◆◆◆ 「遅かったね」 家に入ると正面の階段から声が降ってきた。黙ったまま視線を上げると、緑色の瞳が自分を見下ろしている。 「ディアッカと夕飯を食べてきたんだ、連絡はいれたぞ」 「そう・・・」 何か言いたそうな気配を感じてイザークが視線を外すとちょうどそこへレノアが姿を現した。 「あらイザーク、おかえりなさい」 にっこりと微笑むその人の出現にほっとしながらイザークは返事をした。 「すみません、友人と一緒だったもので」 「友人ってディアッカかしら」 「はい、奥様にもよろしくと言っていました」 もともとイザークとディアッカが出会うきっかけになったのは親同士の親交からこの家に連れてこられたことだった。だからイザークが言う友人が誰なのかはレノアにもすぐに見当が付く。 「そう。たまには顔を見せに遊びにいらっしゃいと伝えてね」 小さい頃はよく来ていたのに、いつごろからかディアッカはこの家に顔を出さなくなってしまったのだ。 「わかりました、伝えておきます」 答えながら頷くイザークにレノアはお茶を勧める。 「すみません、明日までにやらないといけない調べ物があるので」 その言葉に残念そうにしながら、「それじゃあ後で夜食を届けるわね」と出会ったときと変わらない優しい笑顔で母親代わりのその人は笑う。 「ありがとうございます」 自分のことを母親だと思ってほしいと何度も伝えたけれど、決して敬語を改めないイザークにレノアは最初のころこそ残念そうな顔をしていたが今では何も言わなくなった。イザークはパトリックに言いつけられたことを頑なに守り続けているだけなのだ。 「何かリクエストはある?」 にっこりと笑いながら訊ねろその人にしばらく考えてイザークは答える。 「それではクロックムッシュを」 「わかったわ」 ふふふ、と嬉しそうにレノアは笑う。 クロックムッシュはイザークの大好物なのだ。 初めてこの家にやってきたとき、遠慮と緊張で食欲が細ってしまったイザークが夜中におなかを空かせてキッチンにやってきたときに作ってあげたのがクロックムッシュだった。トーストにチーズとハムをはさんで焼いただけのシンプルな軽食は食べなれないザラ家の手の込んだ料理よりもずっとイザークの口には合ったらしく初めてお替りを欲しがり、レノアは喜んで熱々のクロックムッシュをテーブルに並べてやったものだ。 そしてそれ以来イザークの嗜好がザラ家の料理に慣れてきてからもクロックムッシュは変わらずに彼の大好物のリストの一番上に位置している。 素直に好物を欲しがるイザークにレノアは心底嬉しかった。些細なことであっても素直に気持ちを表してくれることは、イザークの性格からしたら不器用ながら家族として心を許してくれていることに他ならないのだから。 「では失礼します」 挨拶をしてから玄関ホールを離れ、私室のある二階へと続く階段を上がる。その上にはレノアとの遣り取りを一部始終眺めていたアスランがまだ立ったままだった。その脇を黙ったままイザークは通り過ぎる。 何かを言いたそうな視線を向けられるがそれに構わず何も言わずにに真っ直ぐに自分の部屋に向かう。 その背中を見つめていたアスランはしばらく考えてからそれを追いかけた。 「待ってくれ」 自分を呼ぶ声に気がついたイザークはだが余計に早足になる。長い廊下の奥にある部屋にたどり着くと部屋に入るなりドアを後ろ手に閉めて背中でもたれるようにして立った。 分厚いドア越しに追いついたアスランの声が聞こえる。 「あのときのこと…やっぱり怒ってるのか?」 「言うな」 短く、けれど鋭い声が返ってきてアスランは息を呑んだ。何かを言おうとしてドアに手を伸ばすがややあってその手を戻す。 「イザーク、お願いだ…話だけでもさせてくれないか」 「忙しいんだ」 小さい声がしてそれきりドアの向こうの気配が遠ざかった。 「イザーク・・・」 下を向いてアスランはぎゅっと拳を握り締める。 もう二日近くもイザークはアスランを避けている。 こんなことになるなんて――。 あのとき自分がしたことを、アスランは深く後悔していた。 -6- |