ブラインドの隙間から差し込む柔らかな光に朝の訪れをしってアスランはゆっくりと体を起こした。傍らにはイザークがまだ眠っている。
 結局自分を止められなかった。ずっと欲しかったイザークを手に入れたら自分を止められなくなって、何度も熱を解き放った。最後は意識を失わせてしまって少しだけ罪悪感を抱いたけれど、それさえ願いがかなった幸せの前には些細な問題に思えてしまう。
「イザーク・・・」
 やっと手に入れた。
 あのとき、冷たい路上で細く白い腕を取ることができなかったけれど、こうして何年も掛かって遠回りしてでも、イザークの思いを受け止めることが出来て、自分の気持ちを届けることが出来てよかったと思う。
「ん・・・」
 身じろぎしてイザークがゆっくりと目を開けた。
「おはよう、イザーク」
 アスランが頬にキスを落とすと、目が覚めて意識がはっきりするにつれてイザークの顔が赤くなる。
「あ、おはよう…」
 かぁぁと白い頬を染めて掠れた声で返事をするが、夕べのことを思い出しているのがありありとわかった。
「今さらそんな顔しないでくれよ」
 なんだかこっちのほうが恥ずかしくなってしまう。頭の中に夕べにイザークを思い出して、体の奥でもぞもぞと欲望が目を覚ましそうだ。
「いや、けどな」
「もう言うなよ。それより体は大丈夫か?その、随分無理をさせてしまったから・・・」
 申し訳なさそうにアスランが言うと、イザークが顔を顰める。
「それは起きてみないとわからないな」
 その言葉にアスランは自分の暴走を後悔するように下を向いた。
「アスラン、気にするな。お前だけが悪いんじゃない。断る気になればできたのにしなかった。その意味くらいわかるだろう」
「イザーク」
 するとアスランは起こしていた半身を再びシーツの上に横たえた。そのまま隣のイザークを抱きしめる。
「アスラン、一つ聞かせてくれないか」
「何?」
「なぜ、婚約の話を受けることにしたんだ?あれほど嫌がっていたのに」
 イザークもはっきりとした理由は知らなかったが、特別の理由もないのに気持ちを変えるとは思えなかった。
「父に言われたんだ・・・。イザークを家に置きたければこの家の将来のために婚約を受ける以外に道はないと」
 知らなかった事実にイザークは目を見開いた。自分のことが理由だったなんて、それではまるでアスランは父親に脅されたことになるだろう。
「そんな」
「それで考えたんだ。イザークを引き取りたいと言ってそれができたのは、ザラという家があったからだし、一緒の家で暮らせたのもこの家の社会的な地位が役立ってるってことを無視できないって事実に気が付いた。だったら、俺は役割を果たすしかないんだって思ったんだよ」
「アスラン、それじゃ俺のせいなのか」
 今までだって自分のためにアスランはいろんなことをしてくれていた。それが、婚約成立の裏にあるだなんて、何も知らずに家を飛び出した自分はなんて勝手だったんだろう。「違うよ、それは違う。イザークのことは考えるきっかけに過ぎないんだ。オレはオレができることをやるしかない、これは何があっても変わらない。ザラという家にオレしか息子がいないんだから逃げられるわけでもないから」
 結局アスランも政治家の家の息子なのかもしれない。同じ家に暮らしながら、血のつながりのない自分はまるで感じることのない家に対する思いがそこにはあるのだろう。
「なら、ラクスと結婚するつもりなのか」
「そうなるだろうね。明日にも婚約は正式に発表になるよ。そうしたら後戻りなんてできないし」
「それでいいのか」
 イザークはラクスの正体を知っている。アスランはそれを知らずにおそらくは平穏な生活を思って受け入れるのだろう。だが、そんなことは幻想でしかないと自分は知ってしまっているのに告げることもしないでいるのだ。イザークは心が塞がるような気がした。本当のことを言うべきか、アスランの決意を無駄にしないために、何も知らないふりをし続けるべきか。
「正直いえばよくわからない。婚約をしたからといってイザークより彼女を好きになるとは思わないし。でもそれがベストだと思うんだ」
 そういうとイザークの銀色の髪に鼻先をうずめる。
「でも、どうしよう。こんな風になったらイザークと離れたくないな・・・」
「アスラン・・・」
「そうだ、しばらく二人で暮らさないか。オレも結婚するまで一人暮らしをしたいから」
「そんなことできるわけ・・・」
 ピーピーピーピー。 
 戸惑いながらイザークが言うと、部屋の隅に放置してあったイザークのモバイルフォンが着信を告げた。
「ディアッカだ・・・」
 言いながら身を起こしてイザークが受信ボタンを押した。まだ何も着ていないからサウンドオンリーだ。
「イザーク、オレ。アスランといるか?」
 一緒にいるのが当然という口調に面食らいながら、そもそものきっかけを作った人物だと思い出す。
「あぁ、いま代わる」
 そうして渡されたアスランの顔色が見事に変わった。何事かとイザークは会話をするアスランを見守る。
「・・・わかった。ありがとう」
 やがて電話を切ったアスランの顔は複雑な表情が浮かんでいる。
「何があったんだ?」
「あぁ、オレのモバイルが切ってあったからイザークにかけたらしい。ちょっと、混乱してる・・・シャワー浴びてから話すよ」
 そうしてアスランは席を立つ。イザークも体を起こしそれを見ていた。

「それでディアッカの話ってなんだったんだ?」
 コーヒーを入れてソファに座るとイザークは切り出した。アスランに鍵を渡したのだからまた何か企んでいるのかもしれない。
「婚約がなくなるかもしれないって言われた」
「ラクスとの婚約がか?」
 イザークには意味がわからない。ディアッカがどうしてそんなことを知っているのだ。だいたいどんなことをしたらそんな事態になるのだろう。
「彼女の、ラクスのスキャンダルが持ち上がってきっと父が破談にするだろうって」
「スキャンダル?一体どんな」
 自分のことはまだ表立ったところでダメージのない範囲だ。だとしたら何があるというんだ。イザークの脳裏にはあの女が自分以外に愛人がいると得意気に笑っていた様子が思い浮かぶ。まさか、それを・・・。
 イザークと同じようにしばらく黙っていたアスランはやっと口を開いた。
「ここの鍵を渡してもらうために、ディアッカに頼まれたんだ。高性能な超小型の盗聴器を用意してそれをラクスに仕掛けてほしいって。絶対にばれないようにって言われて・・・」
「なんでそんなことを・・・」
 ディアッカの行動はまるであの女の正体を知っているかのようだ。だが、慎重なあの女は人に知られるようなことはしていないだろうから、自分しか知らないはずなのに。
「イザークを守るためだと言われた。だからオレは引き受けたんだ」
 間違いない――。ディアッカは知っている。だけど、なぜ知っているんだ。
「それで、彼女が別の男とホテルで密会してる現場を押さえたからマスコミに流したってディアッカが言ってた」
「他の男と・・・ディアッカがそれを盗聴したのか」
「そうだと思う。誰にも知られないようにって言ってたから自分だけでやったんじゃないかな。ねぇイザーク、まさか君はこのことを知っていたのか」
 疑うような目で見られてイザークは黙る。どうするべきか――。
「・・・知っていた。彼女に言われた、アスランの他に恋人がいるって」
 自分との取引を知られなければ構わないだろう。そう判断してイザークば頷いた。
「どうしてイザークにそんなことを・・・。オレだけが知らなかったのか」
 落ち込むアスランにかける言葉がみつからなかった。隠していたのは自分なのだ。まさかこんなことになるとわかっていたら最初から話していたのに。
「それでも彼女はアスランと結婚するつもりだった。政治家の家の娘だから、と。それに彼女の目的は・・・」
 続けようとしたアスランのモバイルフォンが鳴った。
「母さんだ」
 それはアスランを呼び出す知らせだった。
「どうやら本当になりそうだ。何か途中だったんじゃないか」
 確かめるアスランにイザークは数瞬だけ迷う。隠し通したほうがいいのだろうか、その方がアスランが傷つくことはなくて済むのは明らかだ。だが――。
「彼女から取引を持ちかけられていた」
「取引?」
「ディアッカはどこかでそれを知ったから、ラクスに盗聴器をしかけたんだと思う。彼女は俺が目的でアスランと婚約したと言っていた。その事実をアスランに隠したいのなら彼女の愛人になれといわれた。そして、その代価として就職と部屋を世話されたんだ」
 ラクスとアスランの婚約が立ち消えになるなら、このことを隠す意味はない。それにディアッカが「イザークのために」といっていたというのなら、これは自分とあの女の取引を意味のないものにすることが狙いなのは明らかだ。だったらアスランがどこかから知る前に自分自身で言わないといけない。
「そんな・・・取引、愛人って・・・」
「他にも男がいると言っていたから、その現場をディアッカが抑えたんだろう」
 全て話してイザークの心が軽くなって、アスランを守るためとはいえ、隠し事をしているのはやはりどこかで辛かったのだと気づく。
「俺は別に構わなかった。それがアスランのためになると思っていたから。アスランのためならなんでもしたかったし、都合の悪い話じゃなかったからな」
「そんなこと・・・イザークの犠牲がなきゃ成り立たない婚約だって知ってたら、オレは絶対に受けなかった」
「あぁ、だからディアッカも勝手なことをしたんだろうさ。あれは案外お節介だからな」
「そのことをディアッカは気づいていたんだな」
「打ち明けたわけじゃない。あいつは勘がいいいいから、犬並みの嗅覚で嗅ぎつけたんだろう。ずっと俺とアスランのことを見てきたと言ってたから」
 生殺しから先に進めないと笑いながらディアッカは自分でアスランとイザークが上手くいくように馬鹿みたいなことをしてばかりだ。
「・・・少しだけ妬けるな」
 アスランの声が小さくなる。
「そんなこと知ったら調子に乗るぞ」
 イザークの言葉にアスランは苦虫を噛み潰したような顔になった。まるで自分ばかり取り残されていることを拗ねている子供のみたいに。
「いくら彼女がスキャンダルで窮地に立っていても、俺が打ち明けたことをラクスに知られたら何をされるかわからない。あれはそういう女だ。だからアスラン、わかっていると思うが」
「あぁ、そのことは誰にも話さない。だけど、知った以上婚約の話は絶対に白紙にしてみせるよ」
 そうしなければイザークがここで打ち明けた意味がなくなってしまう。さすがにアスランにもそれはわかっていた。
「そろそろオレは戻らないと」
 短く言うとアスランは立ち上がる。
「イザークはここにいればいい。あの家のごたごたに巻き込まれる必要はないし、またイザークを人質に取られたらオレは身動きができなくなるから」
 苦笑してキスを一つするとアスランは玄関に向かう。
「もし、この婚約がなくなったら・・・、ベッドの中で話したこと覚えてる?」
「あぁ」
 家を出て二人で暮らそうというアスランの思いつき。
「オレは本気だよ。結婚までの期限付きじゃなくずっと一緒にいたいと思うから。そのときは断らないでくれるかな」
 イザークは頷くしかできなかった。
 もし、婚約の話がなくなるのならもう自分たちの障害は何もなくなるのだから。
「じゃあまた連絡するよ」
「アスラン」
 背中に向けて名前を呼ぶと少年は振り返った。
「待っているから」
「うん」
 玄関のドアの向こうにその姿が消えて、イザークは手のひらを握り締めた。しばらく立ち尽くしてそれから頭の中でいろいろな事柄を整理して考える。そしてまず最初にしたのはディアッカに連絡を取ることだった。






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