◆◆◆ ある知らせを受けたディアッカは夜遅くに家をでた。 仕込ませた盗聴器の感度は問題なく、それに気づかれた様子もない。聞こえてくる音の全てをPCに取り込みながら、受信範囲を超えないようにそっと尾行を続ける。 「オレって探偵にでもなれそうじゃん」 目立つ風貌を隠すようにすっぽりと帽子を被ってサングラスをかけてしまえば、不思議なくらい人の目は向かなくなった。 「これが決定打になればいいんけど」 そういうとディアッカはその建物へと足を踏み入れる。聞こえてきた会話から部屋の番号を知って、その一つ空いた隣の部屋をフロントでリクエストした。 「あとは、アスラン次第ってことだな」 エレベーターのドアを閉じながら小さく肩を竦める。結局、伴走者ばゴールテープまで用意する羽目になったらしい。 「つくづく損な役回りっていうか、馬鹿だな」 きっとこれが惚れた弱みというのだろう。楽しくはないが悪くはないと思う。 「オレだって早くケリつけてまともな恋愛しなくちゃなぁ」 あの二人と自分自身のために。 やがてエレベーターは最上階でドアが開く。その先にはプラントの歌姫がいるはずだった。 「なんで、お前が」 玄関のドアが開いてイザークが迎えに出るとそこにいたのはディアッカではなかった。 「イザーク」 久しぶりに見るイザークの顔にアスランは目を細めて名前を呼んだ。 「なぜ、鍵を…」 外から開錠されたからディアッカだとばかり思ってインターフォンさえ確認せずにイザークは顔をだしたのだ。 「ディアッカに渡された。彼に頼まれごとをして、それを手伝えばイザークに会わせるって」 「そんなの…」 ディアッカの前で泣いたのはつい一昨日のことだ。気恥ずかしさがあって昨日は一日顔を合わせなかったが、いつのまにそんな話を進めていたというのか。 「ディアッカに言われたんだ。オレの知らない君の話があるって。それをオレは知らなくちゃいけないって」 一歩ずつイザークに近づきながらアスランは言う。その顔は真剣でイザークはなんと言ったらいいのかわからなかった。 「話してくれよ――」 まっすぐに自分を見つめる翡翠の瞳にイザークは力なく俯いた。ディアッカの言葉が脳裏をよぎる。 『何もしないであきらめてるなんて無責任すぎだろ』 あぁ確かに。自分は何もしようとしなかったのかもしれない。アスランはまっすぐに自分を向いていたのに、それをかわして逃げてばかりだ。 「家を出るつもりなら、せめてその前に全て聞かせてくれよ。何も知らないまま離れていくなんて酷すぎる・・・オレはイザークをずっと守るって決めてるのに」 アスランはイザークが家を出るつもりで既に部屋まで決めていることを話した。そして就職しようとしていることも。だけど、それを止めたかったら話を全て聞けと背中を押されたのだ。 「長い話に、なる。とりあえずはソファに座れよ。コーヒーくらい淹れてやる」 そうしてイザークは廊下を先に進んでいった。どうやら話が聞けることにホッとしてアスランはイザークの後に続いた。 「あのとき、アスランが酔ったときに突き飛ばしたのは理由があったんだ。お前が酔っているとかじゃなくて俺の中の理由が」 湯気の立つカップをテーブルにおいてイザークは喋りだした。 「イザークの?」 「俺はずっとアスランのためなら何だってしてやりたいと思ってきた。アスランがしたいことならどんなことだって平気だった。――あのときだって突き飛ばすつもりなんてなかった。でも体が勝手に・・・無意識のうちに昔を思い出したんだ」 目を閉じて息を長く吐き出す。手のひらを握り締めてイザークは俯いている。 「アスランと出会う前、俺は孤児の養育施設にいたんだ。そこで10歳くらい年上の少年に無理矢理…」 続かない言葉の変わりに自分を抱きしめる仕草だけで十分だった。 「誰にもいえなくて何度も繰り返し呼び出されて――」 途切れた言葉にアスランは口を開く。 「それで、施設を飛び出したのか」 「直接のきっかけは売春だ。そいつらにホテルに連れていかれて大人に引き渡された。相手はたぶん父親くらいの年齢だった。そこで金を渡されてそれを手にあの街に行ったんだ」 「イザーク・・・」 「俺の体は穢れてるんだ。忘れたつもりでも体が覚えているのがその証拠だ」 「違う、イザーク!それは違う。君は穢れてなんかいない。オレが一番よく知ってる」 しっかりとイザークの肩を握り締めてアスランは断言した。 「・・・」 「オレは君のことを誰よりも知っている。オレは君が好きだ。今目の前にいる君が好きなんだ。過去なんて関係ない。ずっと一緒に暮らしてきたイザークが好きなんだ」 涙が、溢れた。 拾われた子供でしかない自分を大切だといってくれる存在が嬉しくて、ありがたくて、大切だった。 「アス、ラン・・・」 「オレはずっと君が好きだった。たぶん、出会ったあのときに魂を奪われてしまったんだと思うくらい、ずっとずっと好きなんだ。イザークがどんな過去を抱えていてもそれごとオレは君のことを愛してるって言える」 その言葉にイザークは泣きながら笑った。 「せっかくの告白なのに断言くらいしてみせろよ」 涙は止まらない。だけど、心の中は不思議と軽くなっていた。まるで霧が晴れていくみたいに、アスランを見ることに後ろめたい気持ちが消えていく。 「それは・・・ちゃんと言うよ。だから・・・オレはイザークを愛してる」 「そんなこと、とっくに知っていたさ」 不思議そうに理由を問うような瞳にイザークは愛おしさがこみ上げてくる。優秀なくせに、こいつはほんとにバカだ――。 「俺だってお前と同じ気持ちだからだ。あの日、冷たいアスファルトの上で手を伸ばそうとしたのが始まりだ。あれは予感だったんだ、こいつが俺を助けてくれる、って」 「俺はちゃんと助けられただろ?」 「あぁそうだな。いま、ここでこうしていることがお前が俺にくれたものの全てかもしれない」 抱き寄せる肩に顔をうずめながらそう呟く。 「全て?」 「無償の愛ってやつじゃないのか?」 聞かれたアスランは銀色の髪をゆっくりと梳いていく。 「無償っていうのは自信がないな・・・」 「なぜだ?」 顔をあげて予想外だという表情のイザークにアスランは楽しそうに笑うと言った。 「だって、俺はイザークを欲しいと思ってるから、そこは譲れない」 それにイザークは笑い出した。笑っているのに涙がこぼれてしまう。 「いいのか、俺で」 「それはオレのセリフだろう。イザーク、君のすべてが欲しい。いいか?」 小さく頷いてアスランのその胸に顔をうずめる。 抱き寄せる腕に包まれて柔らかい口付けが降りてきた。もう何も考えられなかった。 今は、今だけは全て忘れてしまおう――。 -17- |