◆◆◆ 「久しぶりのカレッジはどうだったわけ?」 夕方、一足先に部屋に戻っていたディアッカが帰ってきたイザークを出迎えた。 「あぁ、特に問題はなかったが、就職口の件を聞いてきた」 「就職の話って希望通りなのか?」 イザークの優秀さはディアッカも知っている。教授の薦めでいくつか企業をめぐっているがイザークの希望する仕事はなかなかなくて妥協できずに未だに探しているらしい。ディアッカの部屋に転がり込んで以降、カレッジを休んでいたイザークだったが昨日教授からの電話で呼び出されて、その用件が就職スカウトということだった。 「あぁ。こちらの希望する条件を全てOKするという話だ。しかもプラント中央学術センターの研究科専属という身分が保証されるらしい」 それにディアッカは目を丸くした。中央学術センターといえば、プラントの学問の総本山で学問研究者であれば誰もが一目置く最高峰だ。イザークの優秀さなら不足はないだろうが、それにしてもこんな若手をスカウトというのは聞いたこともない。しかも条件を全て飲むだなんて。 「随分いい話なんだな」 「普通ならありえないだろう。まぁ理由はだいたいわかるが」 イザークの頭の中にはラクスとの取引の話があった。承諾を条件に就職を世話するといっていたが、先に手を回してきたということだろう。何せ、就職後の住居まで用意されるというのだから、普通に考えたらあり得ない話だ。 「理由?」 「いや、こっちの話だ。それより何か食べるものはあるか」 イザークのリクエストにディアッカは親子丼を用意してくれた。すっかり主夫を楽しんでいるらしい。毎日いろいろな料理を用意してイザークと夕食をとるようになっていた。 「そういえば、アスランの婚約話が来週にも公式発表されるらしいぜ」 一瞬、イザークの箸を持つ手が止まる。それに気づかぬ振りをしてディアッカは続けた。 「世間に発表しちまえば事実上の結婚成立ってことだろうな。歌姫の婚約が破談になるなんて聞こえが悪すぎてありえないだろうから」 「そうか」 二人の婚約が正式に決まれば自分はあの女へ回答をしなくてはいけない。もとより選択肢などない取引ではあったが、この数日アスランから距離をおくことが出来て、冷静になって考えてみてもNoという答えは選べない自分がいた。アスランの思いに答えることは出来なくても、アスランの幸せのためにできることなら自分はそれを選ぶだけだと。 そうなれば、自分はあの女の愛人になるのだ。思えば自分のように穢れた人間があの女の愛人になるというのなら、皮肉だがこれほどふさわしい組み合わせはないのかもしれない。 「愛人か…」 小さく呟いた声にキッチンでお茶を淹れていたディアッカが聞き返す。 「何か言ったか?」 「いや―。アスランのために俺にもできることがるのは幸せかもしれないなという話だ」 「何の話だ?」 勘のいいディアッカにこれ以上余計なことを聞かれてしまっては面倒だ。イザークは出されたどんぶりをきれいに平らげて熱いお茶を口にする。 「別に、意味なんてない。心から祝ってやるということさ」 不審そうに自分を見るディアッカに小さく笑って誤魔化すとイザークはイスから立ち上がった。 「うまかった。ごちそうさま。明日は午後から出掛けるから、夕飯はいらない」 「出掛けるってカレッジにか?」 「それもあるがちょっとな」 婚約が発表されるなら、その前にもう一度だけあの女にあって釘を刺しておきたかった。自分の決意が揺らがないうちに、取引を成立させなければいけない――、イザークはそう決意していた。 イヤホン越しに聞こえてきた会話にディアッカは絶句した。 イザークの様子が気になり密かに仕込んだ盗聴器が、クリアーな音を届けている。カレッジを出たイザークを尾行してたどり着いたのはクライン邸だった。ラクスを尋ねる旨を告げるとイザークは通され、それから間もなくして庭のテラスと思しき場所にアスランの婚約者は現れた。最初の挨拶こそ、よく知るラクス・クラインだったが、イザークが就職の話をするとその内容は信じられないものだった。 『ご決心されたのですね』 『最初から答えなど決まっているのは、あなたもご存知のはずだ。そのうえ、学術センターの椅子を用意されてNoと言えるはずもない』 『用意したお部屋は気に入っていただけましたか』 『不満などありません。自分が一人で暮らすには十分でしょう』 『それにお好きなエレカも用意しますわ』 『いつでもあなたの呼び出すところに来いと?』 『えぇ、でなくてはこの取引の意味はありませんもの』 するとイザークが小さく笑う声がした。 『何がおかしいのです?』 『まさしく愛人の生活そのものだからですよ。職と部屋を用意されて、いつでも呼び出されてあなたと会う契約というのが、まるでその見本のようだ』 『悪い話ではないでしょう?あなたの年齢と生い立ちでは望み得ない職を得られるのですから。それにアスランの将来も約束されますわ。その代価としては恵まれているでしょう?』 『それはもちろん。例えもっと酷い条件でも私は受け入れるしかありませんから、厚遇されることには感謝します。ですが一つだけお願いがあります』 『何でしょう?』 『アスランのことを少しでも好きになってください。アイツはあれでいいところもたくさんあります。不器用だがそれは優しいからであって、決して悪い奴ではないんです。自分を好きでもない女と結婚しなくちゃならないなんてアスランがあまりにかわいそうだ』 『イザーク、あなたはまるでわかっていらっしゃらないのですね。政治家の家に必要なのは表向きの顔だけです。わたくしは表向きには良き妻を演じることになるでしょう。ですが、アスランをどう思おうとそれは別の話です。プラントでは手を触れずとも人工授精で子が成せるのです。これがどういう意味かお分かりになりますわよね』 『ラクス…』 『それに、アスランに他に好きな女性ができたとしてもわたくしは何も思いません。私の家はそうでした。そしてわたくしも。結婚は家のためにしても、私生活は自分のためのものです。あなた以外にも私を訪れるお方は今でさえいらっしゃいますわ』 くすくすと笑うラクスの声が聞こえてディアッカはごくりと唾を飲み込んだ。 『あなたの願いを聞き入れるかどうかは、アスランという方を知ってから考えます。願いが叶えられなくてもそれはわたくしのせいではありません。それで構いませんね』 『…仕方がありません』 『では、契約は成立ですわね。その証を頂きましょう』 『証…?』 『口付けは聖なる誓いに他ならない、違いましたか?』 沈黙の後、ラクスの声がした。 『お慕いしておりますわ、イザーク。ともに過ごす夜が楽しみです』 そこで椅子を引く音がしてディアッカが息を吐き出した。ぐったりと物陰にしゃがみこむディアッカをよそに、門からイザークが姿を現した。 「アスランと結婚する代わりに愛人になれって、あの女…」 確かにイザークは美しいから惚れてしまうのも理解できる。だがそれが欲しいからと自分の婚約をネタに脅迫するなど信じられない話だ。 「あれが政治家の娘の本性だっていうのかよ」 イザークはアスランを守ろうとしているのだ。昨日、アスランのためにできることがあると言っていたのはこのことに違いない。 「こんなの見逃せるわけないだろ」 イザークはアスランが好きだから、ここまでしようとしているのだ。だったら、アスランの気持ちを受け入れて自分の気持ちを告げることをなぜしようとしないんだ。あんなに思いあってきた二人なのに。 ディアッカはイライラとしながら足元の石を蹴飛ばした。 -15- |