◆◆◆ 「で、どうしてオレが巻き込まれる羽目になるわけ?」 首をすくめながらディアッカが苦情をもらす。だが、すでに部屋にイザークは上がりこんでいて形ばかりのクレームというやつだ。 「他に行ける先がないんだ、仕方ないだろう」 イザークが突然転がり込めるような先などディアッカの他に誰もいない。 「おかげで今日のデートキャンセルじゃんかよ」 そうは言っているが邪魔扱いはされないらしい。さっそくエプロンをしてキッチンに立っているから、得意料理の一つでも出てくるのだろう。 イザークはカレッジでディアッカを捉まえると、そのまま部屋に押しかけた。理由もいわずに「今日から泊めろ」というイザークにディアッカは帰宅のエレカに乗せてやったのだ。 一人暮らしのディアッカの部屋はさすがに良家の子息というだけあって3LDKの間取りだったからイザークが押しかけたところで部屋に困るわけでもない。 「デートがあるならこれから出掛ければいいだろう。俺は一人で構わないぞ」 食事などどうにでもなる。イザークはとにかく寝る場所を確保したかっただけで、それさえあればディアッカがいなくても問題などないのだ。 「まぁそう言うなよ。デートなんていくらでも困らないけど、イザークの歓迎会は今日しかできないからな」 さっきとはまるで違う話に苦笑しながら、床に置かれた帰りがけに寄ったスーパーマーケットの袋を覗き込む。テイクアウトのオードブルとワインボトルがいくつかあった。 「ワインは冷やすのか」 「あぁ、そこの隅にセラーがあるから入れといて。やることないなら先にシャワーでも浴びれば?30分くらいでメシはできるから」 「そうだな」 「着替えがないなら廊下の右奥がゲストルームだから。着替えも一通りあるから使えよ」 イザークは家を出ることを気づかれないようにいつもと変わらない荷物で家を出た。だから持ってきたのはモバイルのコンピュータと最小限の着替え類だけだ。 「あぁ使わせてもらう」 「それで、何があったっていうわけ?どうせアスランだろ」 食事も終えて3本目のワインボトルが空になった頃、ディアッカはイザークに切り出した。事情は聞かずにいるつもりだったが、イザークの酒の飲み方がらしくなくて気になったのだ。家を飛び出すなどよっぽどのことだろう。 「キスを、した」 手にしたグラスをグルグルと回しながらイザークは言った。それにディアッカは自分の予想が外れていなかったのだと知る。 「キスだけかよ?」 子供じゃあるまいし、キスしたからって家を飛び出すのは騒ぎすぎだろう。 「キスして押し倒された…あのままなら最後までいったかもしれない」 ぼんやりと揺れる透明な液体を眺めながら、どこか他人ごとのようにいう。それは感情を押し殺しているからなのかもしれないとディアッカは思う。 「で、イザークはどうしたんだよ?いったかも、っていうんならいかなかったんだろ、殴りつけたのかよ」 ディアッカの言葉にイザークは小さく苦笑した。 「最初は突き飛ばした。昨日は…ガラスを自分の首に当てて脅した」 「最初っていつの話だよ。てか、面倒だから全部話せよ。この部屋に住むなら事情くらいは聞く権利あるよな」 そうしてイザークはアスランとの間にあったことを全て話し始めた。 「そもそもなんで最初にアスランを突き飛ばしたんだよ。オレにはどうみてもお前はアスランを好きなようにしか見えないけど」 10年以上見守ってきたのだ。そんなのはとっくにお見通しだ。それどころか二人が上手くいくように願ってさえいた。それなのに突き飛ばしたというのは合点がいかない話だった。 「俺は…昔、養護院にいたんだ。アスランに会うよりも前に家族に捨てられてそこで暮らしていた」 それはイザークの口から初めて聞く話だった。イザークがアスランに出会う前にはおそらくそういったところにいたのだろうというのはアスランの母親から聞いたことがあったが、イザーク自身が話すのは初めてだ。そしてそれまでの全てをイザークは話し始めた。心に傷を負った理由も隠すことなく詳らかに――。 語り始めると不思議なくらい抵抗なく言葉がでてきた。アスランには知られたくないと思っていたことなのにアスランでなければ平気なのか、ディアッカだから平気なのかはわからない。淡々と続く言葉はまるで他人事のようにスラスラと過去を語り続ける。 「そんな…」 さすがのディアッカも衝撃的な話の内容に二の句を継げないでいる。それに自嘲めいた笑みを浮かべるとイザークはさらに続けた。 「最終的には俺の体で金を手に入れようとした奴らの企みのおかげで施設を飛び出せたんだ。それから一年以上、路上で暮らしていた。アスランに拾われるまではな」 同情のような表情を浮かべたディアッカは予想通りだった。 「忘れたと思っていたさ。もうあんなことはずっと昔の話で、俺はあの家で普通に暮らしてきたから関係ないんだと、あれは夢だったんだと思い込もうとしてた。だが、体は覚えてたんだ。アスランの手が触れたら突き飛ばしてた。反射的なものだろうな、自分でもそんなことをしたのが信じられなかったんだから」 涙が溢れそうになってイザークはワインを煽った。すぐに空になったグラスに注ぐのも面倒でボトルごと口をつける。 「けど、そんなのアスランに話せば済む話だろ」 ディアッカは納得が行かなかった。 まさか、イザークにそんな過去があったなんて思いもしなかった。だが、それでもお互いに思い合ってるのにイザークが家を出るなんてする必要ないはずだ。いや、してほしくない。 「アイツに婚約の話が出なければな。もう今は状況が変わったんだ」 「状況なんて!」 「ディアッカ、俺を抱きたいか?」 とろん、とした目でディアッカを見上げて突然言い出した。 「何言ってんだよ」 「部屋代になるなら好きなようにすればいい。俺にはそれくらいしか払えるものがないからな」 「本気かよ」 「…お前が欲しいならくれてやる。汚れた俺じゃどれほどの価値もないのかもしれないがな」 そう言ってイザークはイスの背もたれに寄りかかった。 「オレは男だから、据え膳ていうなら食うぜ」 イスの脇に立つと見下ろしてディアッカは言う。 「わかってる」 天井を仰ぎ見て目を閉じたイザークをディアッカは抱き上げる。 「いいんだな」 「もう聞くな」 キスをしながらイザークは着ていた服を脱がされた。下着だけになってディアッカに身を任せている。ワインのせいかどこか頭がぼーっとして不思議と恐いとは思わなかった。 「ん…」 アスランのキスとは違ってディアッカはさすがに巧みなのだろう。イザークは体にゾクゾクと電流が流れるような気がした。その手が肌を撫でて下りていっても抵抗を感じる余裕もない。呼吸が弾むのを必死で抑えながら体が反応するのがわかった。 「ぁっ」 小さな声を上げたイザークにディアッカが触れる。怖いと思うよりも早く触れて欲しいと思っていたのは、理性を溶かすようなキスのせいだろう。体の奥が熱くて、躊躇いなどまるで感じなかった。 するとディアッカの手が止まる。目を開けると体から離れてベッドの上に腰掛ける姿があった。 「ディアッカ?どうしたんだ」 「どうしたって…」 「俺は構わないと言ったぞ」 イザークの言葉にディアッカは首を小さく振った。 「そんな顔されてんのにヤれって?」 イザークは慌てて起き上がって自分の顔を確かめる。手で触れると目じりから涙があふれ出ていた。 「オレは男だけど極悪人じゃないんでね、気持ちよくて泣かれるなら大歓迎だけど、どう考えても違うだろ」 「違う、これは…っ」 慌てるイザークにディアッカはため息をつく。 「いくらだって気持ちよくしてやる自信はあるけどさ、オレじゃダメだろ。トラウマだっていうなら心の問題だ。だったら心から好きな相手に抱いてもらえよ。ヤケクソじゃ意味なんてない」 「ディアッカ…」 「まぁ誘惑は強烈だったけどな。アスランにちゃんと話して上手くいかなかったらそのときはオレと付き合えよ」 ぼろぼろとイザークは涙をシーツの上に落とした。 「すまない…」 「別に。今さらだろ」 イザークに振り回されるのはほんとに今さらだった。そのままディアッカは部屋から出て行く。 「さすがに生殺しはきついわ」 そう言ってイザークを一人にしてやると、やがてディアッカは出かけていってしまった。 イザークは胸が苦しくて苦しくて堪らなかった。 翌日。 結局朝帰りをしたディアッカは、朝一番にモバイルフォンの着信で起こされた。着信の相手は確認するまでもないアスランだ。 「子供じゃないんだ。別に問題ないだろ」 イザークを家に帰すように言い立てるアスランにディアッカはそう言って電話を切った。あの様子じゃ家に押しかけてくるのも時間の問題だろう。 「アスランは知っても動じないだろうから、問題はイザークだな」 自分がイザークの事情を知ったときは驚いた。だが、それくらいどうってことないと思った。だったらイザークを引き取り、ずっと傍で暮らしてきたアスランならなおのこと。あのアスランのことだ、イザークの過去を知ったら本人よりずっとつらそうな顔をしてそれから力いっぱい抱きしめてその勢いで押し倒しでもするんじゃなかろうか。 「アホくさ……」 恋敵だったはずの男がイザークを手に入れるところを想像して何が楽しいんだか。一瞬そうは思ったが、それが10年も見守ってきた二人の幸せなゴールなのは間違いない。それを見届けるためにディアッカはずっと傍にいたのだ。 「けど、イザークがな」 ディアッカが明け方家に戻ってきたときにはまだ寝ていないようだった。酔いつぶれて寝てしまえたらいいのだろうが、それにはイザークは酒に強すぎる。 「トラウマってそんな話…聞いてないって」 小さいときからイザークを見ていた。アスランと一緒にいるイザークが一番嬉しそうで幸せそうな笑顔だった。なのに昨夜のイザークは、アスランへの気持ちを抱えているせいで泣いていたのだ。 「どうにかならないのかよ…」 思い合ってる二人が上手くいかないなんて、いや、イザークが泣いているのを見なきゃならないなんて耐えられそうもない。 「だいたい、あんな状態が続くんじゃこっちの身が持たないっつーの」 昨日は理性をフル稼働して踏みとどまった。だが、イザークがあんな風に泣きながら縋ってきたら、次は堪えきれないかもしれない。 「オレがイザークを傷つけて悪人になるまえになんとか手を打たないと」 正直いえば、あまり気は進まない。敵に塩を送るなんてガラじゃないと思う。だけど、イザークが古傷を抱えたままなのはあまりにかわいそうだ。 「自分で失恋のダメ押しするしかないってことか」 あの二人をただ見守っているつもりだった。手を出さない代わりに手助けもしない。伴走者とはそういうものだと言い聞かせて。だが、こうなってしまったらそんなことばかり言ってもいられないのだろう。 「自称面倒くさがりなんだけど、オレ」 だがそれはイザーク以外に関してのことだ。イザークに関することだったらどんな面倒なことだって最優先で引き受けてきた。 「クライマックスってやつだな」 もうきっと、二人の関係はどちらにしても結末に近づいているのだ。だったら自分もとことんまで付き合ってやろう。そう決めてディアッカはもう一度寝なおすために毛布を頭から被りなおした。 -14- |