◆◆◆ 内輪の婚約パーティの翌日。夜遅くにイザークが帰宅すると、その部屋に侵入者の姿があった。 「アスラン…」 小さく明かりをつけた部屋の窓に寄りかかるようにこの家の子息が佇んでいる。 「君を待っていた」 何ヶ月ぶりだろうか。イザークが避け続けたあとにアスランが部屋に引きこもってしまったから、もう3ヶ月くらい経つのかもしれない。 「待っていた、って…」 「その通りさ。イザークに話があって帰るのを待っていたんだ。今日がこんなに遅いのは予想外だったけどね」 久しぶりに交わす会話は不思議なほど穏やかだ。荷物を置いて明かりのボリュームを上げると、イザークはソファに腰掛ける。 「今日は教授会の助手をしていたからな。それより話って何なんだ」 驚くほど普通に言葉が出てくる。まるであの夜のことも婚約の話も何もなかったみたいに。 「一度きちんとイザークと話をしないといけないと思ったから…。昨日のパーティが済んで気持ちにケリがついたのかもしれない。座ってもいいか」 イザークの向かいに座ると長い足をゆっくりと組む。 「ケリがついたというのは、婚約を受け入れる気になったということか」 イザークが祝いを言ったあの日以来、アスランの口からそんな話を聞いたことはなかった。だが、内輪とはいえパーティで公表したのだからもう後戻りできなくないだろう。それで覚悟が決まったということだろうか。 「そういうことになるんだろうな。ラクスと婚約して、彼女と結婚することがザラの家に生まれたオレの果たすべき役割だというのなら、そうするしかないんだって思うよ。オレはこの家に生まれ育ってきて、何にも不自由することなく暮らしてこられたのは確かにザラという家のおかげだと思う。育ってきた家に対して責任を追っているというのならそれを果たさなきゃならないってことだろう」 あのときのアスランからしたら随分成長したようにイザークは思った。 「その通りだろうな。自分でそれに気づけたのなら上出来だ。彼女はいい婚約者なんだろう? 政略結婚というには十分恵まれているんじゃないか」 ラクスとの取引を思い出して少しだけ後ろめたさを感じながらイザークは言った。だが少なくともアスランに対してのラクスはいい婚約者のはずだ。 「それについては別にどうでもいい。どんな女が相手だろうとオレの意思なんて関係ないから。君に話があるのはそれとは別のことだ」 「別の?」 そう聞き返しはしたが、アスランの話の主題が婚約についてのことがメインじゃないのはわかっている。イザークは少しだけ姿勢を変えて話を待った。 「あの夜のことだ、オレが酔って帰ったあの日の」 組んでいた足を解いて真っ直ぐにイザークを見る。やはりあのときのことは終わった話ではなかったのだ。アスランの中でも、イザークの中でも。今さら部屋から追い出すこともできないし、そんなつもりは少しもなかった。これはいい機会に違いない。アスランが婚約の話を納得したというのなら、次のステップに進むためにきちんと決着をつけておかないといけない。 「俺の中であの日のことはもう終わったことだ。酔った勢いのよくある話だろう。だがアスランが言いたいことがあるというのなら話を聞くが」 「酔った勢いだというのなら、酔った勢いであんなことをしたのは謝るよ。だけど、酔ったから冗談であんなことをしたわけじゃない」 まっすぐにイザークを見ながらアスランは続ける。 「イザークに蹴り飛ばされて、酒が抜けてからもずっと考えた。酒が原因なのは、自分が自覚しないで押し込めていた気持ちに気が付いたことだけだ。君に対する気持ちは酒のせいなんかじゃない。はっきりとそう思ったんだ。何日も考えて、今までのことをずっと思い出して、やっぱり間違いなんかじゃないと確信した」 「アスラン…」 そんなの言われるまでもなかった。自分がアスランを突き飛ばしたのはそれが理由なんかじゃない。 「オレは君が好きだ。婚約者と結婚しなくちゃいけないというのならそれは果たすよ。だけど、だからって好きな人がいたらいけないなんてことはないんだ。婚約なんて結婚までの執行猶予みたいなものだ。だったら、それまでに好きな相手がいたって構わないはずだ」 「そんな屁理屈を」 「屁理屈だっていい。オレは君が好きなんだ」 アスランは立ち上がってイザークに近寄る。何か答えなくてはいけないと思いながらイザークは上手い言葉を思いつけなかった。はっきりと告げられることがこれほど嬉しいとは思わなかった。 「そんなことを言われても俺は…」 ソファの長イスにアスランは膝をついて座っていたイザークの肩を押さえつけた。 「イザークはオレのことを嫌いなのか」 「そんなことない、そんなことは」 それだけは本当だ。アスランを嫌いなはずがない。 「だったら、どうしてあのとき…」 アスランの顔が問い詰めるように近づいた。イザークの表情に一瞬戸惑いが浮かぶ。あのときの理由を正直に告げてしまいそうに心が揺れた。 答えないイザークにアスランの唇が触れた。自然とその目を閉じてそれを受け入れてしまう。 「答えないなら、酔った勢いを怒ったんだってこと?なら、今は酔っていないよ」 ささやくように告げる声にイザークがぎゅっと目を閉じる。力の抜けた体がソファに押し倒された。アスランが覆いかぶさってきて、キスが深いものに変わっていく。 このまま拒絶しなければ、今ならあの恐怖も乗り越えられるかもしれない…。好きな相手なら、アスランとならきっと…。 だがその瞬間、イザークの脳裏にラクスの顔が浮かんだ。取引を強要したしたたかな女が。あの女ならば、自分が婚約者を裏切ることはありえても、婚約者に裏切られることは許せないだろう。アスランはあの女ほど強くはない。好きな相手がいることを隠し続けるほどに器用ではないから、自分達が一線を越えてしまえばラクスに知られてしまうに違いない。 それだけはしてはいけない。自分はザラの家に育てられた恩があるのだ。それを裏切るようなことをするなんて許されるはずもなかった。アスランとラクスの婚約はザラの家にとって大事な契約なのだから。それはアスランが幸せに暮らすために必要なものなのだ。 アスランの体の下でイザークはすぐ前にあるローテーブルに手を伸ばした。そして、手が届いた一輪挿しの花瓶を掴むとそれをテーブルで叩き割った。 大きな音にアスランが驚いて顔をあげる。その隙を見逃さなかった。イザークはガラスの破片を自分の首に押し当てるとアスランを睨みつけた。 「出ていけ!この部屋から出て行くんだ。そしてもう二度とこの部屋には入ってくるな。でなければ俺はここで首を切るぞ」 低い声で告げると、アスランの顔が泣きだしそうになった。 「そんな、どうして…」 ガラスに視線を置いたまま、後ずさるようにイザークから離れる。 「俺はアスランを嫌いじゃない。だが、だからって恋愛の対象なんかじゃない。俺とお前は男同士だ。男に犯されるなんて冗談じゃない!!」 きっぱりと告げるとアスランがソファから転げ落ちるように降りた。 「プラントじゃ男同士だって珍しくなんかないのは君だって知ってるだろう…。それでもダメだっていうのか」 「あぁそうだ。生憎と俺はそんな性癖を持ち合わせてないってことだ。わかったら出て行け」 睨みあげるような視線に今度こそアスランはドアに向かった。 「全てはオレの片思いで思い込みだったってことか」 小さく呟く声にイザークは何も言わなかった。ドアが閉まってイザークは部屋に一人になった。 「こうするしかなかったんだ」 自分自身を納得させるようにそう呟いてイザークは手にしていたガラス片を床に落とした。その手で顔を覆うと声を押し殺す。 「アスラン…」 全てはザラの家の、アスランのためなのだ。 声を出さずにイザークはいつまでも泣き続けた。 -13- |