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 それから3ヶ月が過ぎた。
 アスランはあれから間もなくカレッジを休学してしまった。せめてもの抵抗のつもりだろうが、そんなことをしても婚約の話が覆ることはなく話は勝手に進められていった。
 イザークは変わらずカレッジに通っていたが、引きこもりのようになったアスランとはあまり顔をあわせなくなった。アスランは時間をずらして食事をしているから、入れ違いがせいぜいで同じ時間に顔を揃えることも少なく、それ以外の時間は部屋に篭ってロボット製作をしているらしい。
 会話もまともにしていないから、婚約について話すこともなかった。これは家を出るには都合がいいのかもしれないとイザークは思っていた。


「ご婚約おめでとうございます」
「おめでとう、ラクスさま」
「とてもお似合いですわ」
 内輪といいながら招待客は百人を超えたパーティの主役はニコニコと穏やかな笑みを浮かべている。次々と寄せられる祝辞に丁寧に答えてその周りには人が絶えない。一方でもう片方の主役はすっかり壁の人だ。
「あれが主役って?」
 ジャケットにアスコットタイを締めたディアッカがワイングラスを片手にイザークに近寄ってきた。
「パーティが苦手なヤツだからな」
「なるほど。確かにどこのパーティでも見かけたことないな」
「あれでも着飾っただけ本人にしては上出来なんだろうさ」
 主役同士、色を合わせたタキシードは濃いブルーだった。ラクスのドレスは柔らかなマリンブルーだ。

 二人の婚約は正式に決まり、今日はまだ内輪だけの婚約披露パーティだった。内輪というだけでも相当に盛大で、これが公のものになれば、プラントは大騒ぎだろう。
「歌姫の婚約者があれかよ」
 言ってディアッカは肩をすくめた。視線の先でアスランは壁に寄りかかったまま一人きりでいる。
「30分が限界だからな」
「詳しいな」
「伊達に一緒に暮らしてないさ」
 過去に何度か避けられないパーティの席でアスランは30分すると姿を眩ませた。今回も最初の出迎えと挨拶はなんとか努めたが、それきり婚約者とは離れてのらりくらりと人から逃げている。どちらかというと客はラクスの方が多いから、彼女一人が対応していれば十分なのだろう。そして見ている限り、ラクスの応対が巧みでアスランが隣にいないことに違和感を感じさせていないようだった。
 赤と白のワインを飲み終えてディアッカがナンパに出掛けたころ、一通りの挨拶を終えたラクス・クラインがイザークの姿を見つけて歩み寄ってきた。
「イザーク、こちらにいらしたのですね」
「ラクス嬢、今宵は一段と美しいドレスがお似合いです」
 イザークとラクスはすでに面識があった。一度ザラ家の屋敷に本人がやってきたのだ。
「ありがとうございます、イザーク。でも美しいのはドレスだけですか」
 にっこりといわれてイザークは苦笑した。
「いえ、そういうことでは…意地悪いことはおっしゃらないでください。さすがにお疲れになりましたか」
 先ほどからずっと挨拶続きだった。仕事柄たくさんの人に会うのは慣れているとはいえ、少しくらいは息抜きもしたいだろう。
「わたくしは慣れていますから。でも、そうですわね、少しお相手くださいますか」
 言われたイザークはもちろん、と返答した。アスランの婚約者を無碍に扱うことなどできるはずもない。
「庭に下りましょう、風が気持ちよさそうですわ」

「さぁ、こちらにお座りください」
 会場となったレストランは独立した建物で英国式という広い庭が有名なところだった。その庭で座れる場所を見つけ出してイザークはエスコートしたのだ。
「ありがとうございます、イザーク」
 最初、ラクスはイザークのことを年上だからという理由で『様』づけで呼んだのだが、イザークが自分はそんな人間ではないと固辞したためにアスランと同じように名前で呼ぶようになっている。
「アスランはこの婚約がお嫌なのでしょうね」
 ぽつりとラクスは言って問いかけるようにイザークを見つめた。それにどう答えたものかとしばらく考えてからイザークは口を開く。
「嫌というわけではないと思います。ただ突然のことに実感がわかないだけなのでしょう」
 本当はアスランがどれほど嫌がっていたのかイザークはさんざん見ていた。あれから何度もアスランは父のパトリックと口論をしたが父は耳を貸さなかった。そのたびにアスランは部屋の中でモノを投げ飛ばしていたらしいことも知っている。だが、結局聞き入れたのは母親が宥めたのが理由のようだ。
「そうですか。…正直に申し上げますと、アスランがわたくしを嫌っていらしてもわたくしは構いませんの」
「ラクス…それはどういう」
 テレビコマーシャルで見る天真なのとは違う笑みを薄く浮かべてラクスはイザークの手を取った。
「わたくしが本当に欲しかったのはイザーク、あなたですわ」
 その瞳を真っ直ぐにイザークに向けて歌姫は言った。
「何を言って…」
「いつかのパーティでアスランと一緒にいらしたあなたをお見かけして、わたくしの心は奪われてしまいました。けれどあなたの身の上を知って、わたくしの立場上あなたとは釣り合わないとわかったときに、このお話を思いつきました」
 政治的な婚約の裏にこの少女の意図があったというのか。信じられないという顔のイザークにラクスはなおも続ける。
「アスランとあなたはとても仲がおよろしいでしょう。ですから、アスランと結婚すればあなたとのつながりもできる、あなたを手に入れられると思ったのです」
 そこにいるのは愛らしい歌姫などではなかった。知略と欲にまみれた政治家の娘だ。
「どうして、それを私に」
「話したのはこうすればあなたを縛り付けられると思ったからこそですわ。このことをアスランが知ったらとても傷つくでしょうね。けれどザラの息子という立場から逃げることもできない。あの方はあなたやわたくしほど強くない人なのでしょうから、立ち直れなくなってしまわれるかもしれませんわ」
 笑いながらイザークに選択肢を与えない少女はこれが本性なのだろう。アスランなどよりずっと政治家の家に生まれたことを自覚して生きてきたということのようだ。
「あなただってその顔をアスランに知られたら困るはずだ。私がアスランにこのことを話したら婚約は破談になって終いでしょう。ここで話を聞かせてもその意味はあまりないはず」
「あなたが手に入らないのなら、アスランに知られたところで大きな痛手はありませんわ。あの方は例え事実を知っても大騒ぎするとも思えませんし。ですから、アスランが何も知らないただの婚約者でいられるようにあなたと取引をしたいのです。条件はわたくしとお会いくださることですわ、もちろんアスランには知られずに、この先ずっと。わたくしがあなたに興味を失うまで何年でも」
 それの意味するところはただのお茶の相手ではないのだろう。アスランに知られてはいけないというのなら。
「興味を失うまでとは、あなた方が結婚となったときでもですか」
「えぇ。美しいものは何年経ってもふと手にしてみたくなるものでしょう」
 結局のところ、アスランをずっと裏切り続けろということだ。イザークがアスランを大切に思っていることをしってこの女はこんなことを言い出したのだ。おそらく彼女の父親もこの本性は知らずに、ましてやパトリックは権力欲を見抜かれて利用されたのだろう。
「すぐにお返事せよとは申しません。あなたが卒業されるまでお待ちしておりますわ。お答えによってはあなたの望むお仕事をいい条件でご紹介できますわよ」
 権力者の子供というのはこれほど強かなのか。だとしたらアスランなんてこの女にいいように利用されるのが関の山だ。そうは思ったがイザークはどうにも答えを決めかねた。だが、足元を見られているとわかってはいてもラクスの申し出を最大限利用するしかないだろう。
「お話はわかりました。返事をするまでくれぐれもアスランにはいい婚約者として振舞って頂きたい」
「もちろんですわ。でなければこのお話が水の泡になってしまいますもの」
 にっこりと笑う顔はいつのまにか歌姫のそれに戻っていた。すぐ近くに人がいて彼女は仮面を被ったのだ。
「私はこれで失礼します」
 言ってイザークはその場を去った。
 婚約の本当の理由を知って、アスランが騙されているのを知って、だがイザークはそれをアスランにいう気にはならなかった。自分の返答次第でアスランは何も知らずに幸せな将来が待っているのだ。ラクスとの婚約はアスランにプラスになることはあってもマイナスになることはないだろう。表立ってのプラントでの立場を考えたならこれ以上ない政治的縁組なのだから。






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