◆◆◆

「そんな大事なことを勝手に…!」
 イザークが玄関のドアを開けると、聞きなれないアスランの怒鳴り声が響いた。それに応じる声は聞こえなかったが、一階の奥から声はしている。そこにあるのはパトリックの書斎だ。
 アスランがその部屋にいるなんて珍しい――そう思いながらイザークが階段をあがろうとすると、ダイニングからレノアが顔を見せた。
「お帰りなさい、イザーク」
「ただいま戻りました。…どうかしたのですが」
 視線で書斎を示しながら尋ねるとそれに重なるように再び大きな声がした。
「俺はそんな話、認めません!」
 バタン、とドアを叩きつけるおとがして激しい足音とともにアスランの姿が玄関ホールに現れる。
「…帰ってきてたのか」
 イザークの姿を認めると少しだけ怒気を削がれた様子で言う。
「あぁ、どうしたんだ一体…」
 尋ねられてもそれには答えず視線を逸らすだけだ。
「イザークには関係のない話だ」
 そのまま、母親にすら何も言わずにアスランは階段を上がっていってしまった。
「困ったわね」
 息子の背中を見送りながら母親はこぼす。
「何か問題でもあったのですか?」
 気遣うような言葉にアスランの母はため息に変わった。
「パトリックが呼んだのよ、何か話があるといって」
「お話が?」
 それはとても珍しいことだ。父が息子に話をすること自体が少なく、あったとしても食卓ですれ違いのようになりながら一言二言交わすくらいなのだ。
「何か大切な話のようだけれど」
「奥様はご存知ないのですか」
「えぇ。帰るなりアスランを呼びつけたから私は何も。あの子があんな声を荒げるなんて余程のことなのかもしれないわ」
 息子の様子を気にしている夫人に、気が進まないのを隠してイザークは申し出た。
「私が様子を見てみます。心配はいらないと思いますが」
 出来ることなら、今の状況では二人きりで会話などしたくはないのだが、心配顔のレノアを前に見てぬ振りもできなかった。
「ありがとう、そうしてくれるかしら」
 言われて頷きながらイザークは階段に再び足をかける。
「夕食は?」
「頂きます、アスランの部屋によったらすぐに降ります」
「わかったわ」
 レノアはキッチンに向かい、イザークは心の中で枷のかかった重い足をゆっくりとあげた。

「アスラン、――入るぞ」
 返答を待たずにイザークはドアを開ける。部屋の主は授業の課題をやっているのかコンピュータに向かっていた。だがその手は完全に止まっていて、それが素振りだけだということが見て取れた。
「何の話だったんだ?」
 もう落ち着いているらしいが、それでもその気配は明るいものじゃない。
「言っただろう…関係ないって」
 ため息をつきながらイザークは腕を組む。部屋の奥には入らずに入り口横の壁に寄りかかりながら、距離を保ってアスランを見た。
「俺に関係がなくても奥様が気になさってる。俺に話ができないのなら奥様にきちんと話をしろ。あんな怒鳴り声あげておいて、今さら何でもないなんて言うなよ」
 イザークとしては無理やりに聞きだすつもりはなかった。アスラン自身が関係ないといったのだし、パトリック直々の話というのなら居候の身で立ち入ってはいけないことかもしれない。それにあまりアスランと二人きりになる時間を作りたくないのが正直な気持ちだ。今でさえ、こちらを向かないアスランに助けられているが、顔を見たら気持ちが揺らぎそうだった。
「母さんにはあの人が話すだろう」
「そうか」
 それを答えにしてイザークが部屋を出ようと踵を返した。アスランは何も言わず、イザークも何も言わないまま部屋のドアはゆっくりと閉められた。



「婚約、ですか」
 アスランが降りてこないままの夕食の席でレノアはため息混じりに告げた。主人であるパトリックはふたたび仕事に出ていて食卓は二人だけだ。
「私も初めて聞いたのよ。あの人はいつもそう。相談なんて何もしないでいつも一人で決めてしまうの」
 決まったということは変えられないということだ。その相手がクライン評議会議長の娘というのなら間違いなく政治的思惑がそこにはあるだろうから、今更アスランが反抗したところで覆る話ではないだろう。
「そうですか・・・おめでとうございます」
 形どおりの祝いを述べるとレノアの顔は明らかに曇った。
「そうね・・・イザークがそう言ってくれるのなら、アスランにとっていいことなのよね」
 レノアの言葉はまるでイザークにアスランの将来についての審判を委ねているようだった。それに戸惑いながらもイザークは頷く。
「とても・・・いいお話だと思います。ラクス嬢は歌姫としてプラント市民にとても好かれていますし、アスランとは似合いでしょう」
 言いながらイザークは改めて思った。アスランには輝かしい未来がある。それにはこの話はとても大切なきっかけになるはずだ。アスランはこの家の息子として家を継ぎ、その名を背負う責務があるのだ。拾われた子供に過ぎない自分とは違う道がこれから先に待っている。だから、兄弟のように育ってきたとはいっても、自分とアスランは距離を置かなければならないだろう。
 婚約と聞いて胸が痛んだことなど気のせいにすぎない。
 やはりあのとき自分がアスランを突き飛ばしたことはよかったのだ。あのまま夜明けまで一緒にいたなら、止まることなくキスを続けていたのなら、きっとこの話にアスランは耳を貸すこともなかったかもしれない。  
 だが、自分たちには何もなかった。何もなかったから、アスランはこの話を受けることに問題はないはずだ。
 だから――。
「よかったんだ」
「何か言ったかしら?」
 食後のお茶を用意しているレノアがイザークの小さな呟きを聞きつけた。
「いえ、何でもありません」
 湯気のたったカップを受け取りながらゆっくりとイザークは首をふる。
「アスランもおなかを減らしていると思いますから、帰りがけに声をかけてみます」
 イザークは明日までにまとめなければならないレジュメを3本ほど抱えていたから、食べ終えたらすぐに部屋に戻るつもりだった。ゆっくりおしゃべりをする時間がなくてよかったと思う。
「えぇ。あの子、昼過ぎから何も食べてないと思うから」
 カップの中身を飲み干すとイザークは立ち上がった。
「今日のサラダは特においしかったです。ドレッシングが新作ですか」
「ふふ、さすがイザークね。オイルを少し変えてスパイスを加えてみたのよ」
「それではなおさらアスランに食べてもらわないといけないですね」
 レノアは新しい料理を作ると二人の息子に必ず感想を求めるのだ。
「そうね。あの子はサラダが好きだから」
「必ず降りるように言います。・・・ごちそうさまでした」
 イザークはそういってダイニングを後にした。


「聞いたんだろ」
 ドアを開けた状態で、アスランが言った。
「あぁ」
「政略結婚てやつだ。自分が政治家の息子だなんて自覚したこともなかったのにいきなりこんな話…オレに自覚がなさ過ぎただけなのか」
「今さら何を言っている。アスランは生まれながらにザラ家の跡取りだろう。自覚も何も関係ない」
 冷たく言い放つのはイザークが意図してのことだ。今、こんなときに感情的になってしまっては、自分があのときに突き飛ばしたことの意味がなくなってしまうかもしれない。
か」
 何も思わないのかと聞かれたら、イザークはそうだと答えるしかない。自分の立場は居候でしかないのだから。
「アスラン、これはお前のことだ。俺が口を挟むような話じゃない。俺は…この家の家族ではないんだ」
 ガタンッ。
 イザークが立つ、すぐ横のドアをアスランが拳で殴りつけた。
「それ、本気で言ってるのか」
 真っ直ぐに翡翠の瞳がイザークを見る。
「本当のことだ。俺は拾われた子供なんだ、家族じゃない。家族にはなれないんだ、アスラン。兄弟のように育っても兄弟にはなれない。今さらわかりきってることだろう?」
 自分の口から零れる言葉がブリザードみたいに冷たく感じた。いつも思ってきたことなのに、言葉にするとこんなに冷たいものだったのか。
「わかりきってなんて…」
「婚約おめでとう」
 そういうとイザークは踵を返して自分の部屋に向かった。アスランが何かを言う前に、追いかけてくる前にドアの中に逃げるように飛び込む。そしてそのままドアに鍵をかけて膝から崩れ落ちた。
 自分は家族にはなれないのだ。
 それはわかっていたことじゃないか――。
 アスランの一番近くにいて、守られながら守りながら生きてきたけれど。それももう終わりかもしれない。
 一日も早くこの家を出なくてはいけない。
 アスランのために。この家のために。――自分のために。
 
 





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