イザークが気になる。
 ずっとここ何日か考えているけれど、どうしてもイザークが気になってしまう。
 以前はこんなことなかったのに。


 アスランは深くため息をついた。
 誰もいないスイミングプール。自由時間は解放されているけれど、訓練漬けで疲れている生徒が利用することはまずない。だからここへやってきたのだ。文字通り頭を冷やしたくて。

 チャプン、と水に浸かりながら顔の半分までを水面につける。ぶくぶくと息を吐き出しながらそれでもやっぱり頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 中間試験の結果でイザークはとても落ち込んだらしい。らしいというのはアスランにはわからなくてニコルとラスティが教えてくれたのだ。アスランから見るとそんなのは全然わからないくらいにいつもどおりだったのだけれど、自分だけ気がつかないというのがなんだかとても悔しかった。それからなんとなく、気がつけばイザークを見るようになったのだ。
 そうしたらイザークはけっこう感情が表情に出るのだと気がついた。自分が言うのもなんだけど、感情を表すのが苦手なんじゃないかと思う。
 白兵戦でイザークが先にポイントを取ったら、唇の端をあげて笑うように見えたし、ナイフ戦でアスランが僅差で勝ったら睨む目は心底悔しそうだった。だけどどちらもほんの一瞬だけの出来事ですぐにいつものクールビューティに戻ってしまったから、それまでのアスランだったら気がつかなかっただろう。イザークに興味をもって注意深くみるようになったからこそ、そんなところでイザークの感情を読み取れるようになったのだ。
 そうしたら。
 イザークのことがとても気になるようになった。
 たとえば、きっと嬉しそうな顔をすれば笑顔はとてもかわいいだろうな、とか。悔しがるのは負けたくない証拠だから本当はとても負けずきらいで一人のときに感情を爆発させたりしてるんじゃないだろうか、とか。
 とにかくそんなことばかりを考えていたら、自分の中がイザークのことばかりになってしまったのだ。
 先週ラクスから贈り物が届いたのにすっかり忘れて二日も後になって慌ててお礼と謝罪をすることになった。親が決めた婚約者だからといってもラクス本人はとてもいい子だし、嫌いな訳ではないから邪険に扱うようなことなんて今まで一度だってしたこともなかったのに。そしてその原因はイザークだった。


 シミュレーターでのデブリ戦訓練を終えた後、食堂で昼食となったときにそれは気がついた。
 いつものようにイザークはディアッカと二人でやってきてどの場所に座るかを話し合っている。それを先に食事を始めたアスランはちらちらと盗み見ていたのだが、ディアッカが忘れ物を取りに戻っていったらしくてイザークは一人になった。そのままイザークは席に着くかと思っていたのだがアスランの予想を裏切ってイザークは急に食堂を出て行ってしまった。なんだか気になるけれど、それでも何も気がつかないそぶりで食事を終えて午後の授業の始まりを待つとそこにイザークの姿はなかった。
「あれ、イザークはどうしたんですか?」
 ニコルが訊ねるとディアッカが小さく肩をすくめながら答えた。
「なんか具合悪いってさ。医務室から薬貰ってきて飲んだみたい」
 機嫌が悪くてとても近寄りたい状況じゃないし、自分のことは自分でできるから構うなと近寄らせないからディアッカとしても詳しい状況はわからないらしい。
 それだけでもアスランには気になって仕方がなかった。熱を出したり弱気なことを言うやつがいると「軟弱者」と吐き捨てるイザークが体調を崩すなんてありえないと思っていたから文字通りそれは晴天の霹靂だったし、それがその日だけじゃなく次の日まで休んだのだ。ディアッカに様子を聞こうにもいきなり自分がイザークのことを訊ねるなんてしたらどうしたんだとこっちのほうが怪しまれてしまうだろうからそれもできなくて、だけど気になって仕方がなくて。そんなことに頭を悩ませていたらラクスから届いた品物を開けるのもお礼を伝えるのもすっかり忘れてしまったのだ。ラスティに指摘されるまで荷物が届いたことにすら気がつかなかったくらいに。
 結局イザークの体調不良はその二日だけで次の日には普通に授業に戻っていたけど、本当は午後から休むことになった日の朝から具合が悪かったのだ。ディアッカが後から聞いたら白状したらしいが、朝から39度近い熱があってシミュレーター訓練の間の記憶もろくにないくらいだとか相当無理をしていたらしい。それでも二位の成績を譲らなかったのはとてもイザークらしいと思ったけれど、それ以上にアスランが思ったのは自分が気づいてやれなかったことへの悔しさだった。
 そしてその直ぐ後にはっとした。
 イザークは気難しくて、クールビューティと有名で、唯一ディアッカにはいくらか気を許しているらしいから本音を漏らすことがあってもそれもとても稀なことなのだと知っているのに。それどころか自分がイザークには嫌われているというのもわかっていることなのに。なんでそんなことを考えたんだろうと、自分自身がよくわからなくて驚いた。
 だけど、考えれば考えるほどイザークが気になってしまうし視線が彼を追ってしまうのだ。
 このままじゃ訓練にだって支障を来たしてしまう。アスランとイザークは成績がずば抜けているからよく対戦相手になるのだ。それがイザークを相手に普通にしていられなくなったらどうなってしまうんだろう。突然イザークにぼろ負けするようなことになったら・・・。


 プールの中央まで泳ぎながら答えなんてでてこない。そのまま頭から垂直に潜って10mのプールの底を目指しても、そこで仰向けになって水の天井を眺めてみても何も変わらなかった。
 音のない水の中は自分の吐く息が全てになって宇宙空間に似ている。ポコポコ・・・と口から吐き出す空気でリング状の泡を器用に作りながらアスランはぼんやりと考えた。
 気がつくと目で追ってしまうなんてまるで恋でもしてるみたいだな。
 その瞬間。
 ガボガボガボ・・・・・・ッ!
 巨大な泡をいくつも吐き出して呼吸困難になりながら慌てて水面へと浮上する。
「グゥゲホッゲホッ・・・・・・」
 むせ返りながら何とか呼吸を整えるとアスランは頭が真っ白になった。

 なんで気がつかなかったんだ、自分は。
 あのとき、髪に触れるのに手が震えたのだって、笑った顔を見てみたいと思ったのだって、いま心臓がドキドキとしてしまってるのだって。その理由なんて一つしかないじゃないか。
 やっとそれに思い当たった、ようやく自分の状況が理解できたのはよかったと思う。だけど理解できたことはアスランには何の救いにもならなかった。それどころか、どう考えても困難でしかない片思いを自覚してしまったのだ。そう、絶対的な一方通行の恋を。
 でも、それでも。
 不思議と心が軽くなっていた。ウキウキという形容がそのまま当てはまるような心地だ。
 ゆっくりと背泳ぎをしながら天井を眺める。横切るロープが見えるとターンする代わりに膝を抱えて水に沈みこんだ。長く息を吐きながら細かな気泡が揺れる水面に砕け散る。
 
『イザーク・ジュール』
 この名前がアスランの中で特別なものになった瞬間、だった。 











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