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 注射は水薬に変わり、そして錠剤になった。

「今日から処方を変えたから。回数は減るが今までよりも若干強い薬だ」
 目の前の医者はカルテの画面に打ち込みながら淡々と告げる。その相手とももう何年の付き合いになるかわからない。いや、数えるまでもなくイザークが生まれたときからの付き合いなのだから自分の年齢と同じだけ顔を合わせていることになる。
「強い・・・?何か問題でもあったということなのか」
 生まれたときからイザークは薬を投与され続けている。それは治療するための薬ではなく、現状を維持するための薬だった。
「別に問題はない。むしろ君が成長しているということだから本来なら喜ぶべきところなんだがね」
 その口調はどこか歯切れが悪かった。だが相手の言おうとしていることはすぐにイザークにも理解できる。
「思春期ということか」
 確かに嬉しくもない話だった。自分が服用している薬はホルモン調整のためのもので、女として生まれた体で男として生きていくためにずっと薬を飲み続けてきた。そして思春期に入ったということならより強い抑制が必要なのだろう。
「もし生活に不都合があるほどの副作用があればすぐに言うように」
「大丈夫だろう、俺の体は男以外の自分を知らないから」
 生まれてから一度として女として生きたことなどない。体自体が本来の姿を知らないのだ。
「だとしても念のための注意は怠らないように」
「わかっている」
 イザークが席を立とうとすると医者が呼び止めた。
「ちょうどいい機会だからこの際、きちんと説明しておこう」
「説明?」
 カタカタとキーボードを叩きながらカルテのページを捲っていく。膨大なページのそれをしばらく遡っていき、やがて古い日付にたどり着いたのがわかった。
「君の体のことだよ」
 言って医者は静かにイザークに向き合った。
「何を今さら、そんなの知っているさ」
 自分が下半身だけ女だということなんて嫌というほど言い聞かせられてきたし文字通り身をもって知っている。ホルモン剤のせいで体のほとんどは筋肉質な男のものだったが、肝心の部分は男とは別のものだということを。
「カルテを見せたことはなかっただろう?」
 その一言はイザークの興味を引くのには十分だった。落ち着いて座りなおすのをみて医者は話を始める。
 彼はこの病院でいまや一番古い医者の一人だった。



 エザリア・ジュールの産んだ子供は染色体の異常だった。
 生まれる前からすでに異常は分っていて早々に帝王切開で取り出された。その子の体には大きな異常があった。
 本来は男の子としてコーディネイトされたはずの子は男女どちらでもなく生まれて、その体は下半身の発達が不完全だったのだ。排泄器官が形成されていなくて、股間はつるんとした肌で尿道すら見当たらない。急遽実施された手術で人工血管を埋め込んだ尿道が作られて事なきを得たが問題はそれから先にあった。
「男の子のはずなのに」
 エザリアのショックは相当なものだった。
 ジュール家の跡取りとして相応しい能力を持たせるべく可能な限り高度なコーディネイトを施した。自分が女として生まれていろいろと苦労をしたから、生まれる子供は絶対男の子だと決めていた。それなのに生まれた子はコーディネイトに失敗した体なのだという。
「コーディネイトの弊害としか言いようがありませんが・・・。染色体は女性のものです。女の子として生きていくために必要な手術をするならば早い方がいい」
 医者の言わんとすることは、不形成の部分を人工的に作り出すということだ。女性としての下半身の形を。
「でもこの子の体は女ではないのよね」
 体力も回復していない身でエザリアは訊ねる。
「厳密にいえばそうです」
 医者はノーとは言わなかった。染色体の異常は女としても不完全な体を作り出していたのだ。
「ならば、男の子にすればいいのよ」
「それは・・・」
「できないことなんてないわ。途中から性転換だってできるんだもの、今ここで男の子にしてしまえばこの子はずっと男の子よ」
 ジュール家は地球から続く名門の家系だった。コーディネーターの第一世代として生まれたエザリアも本来は男のはずだったのだ。それが完全な女として生まれてしまった。まだコーディネイトの技術が不完全だったせいもあるかもしれない。だがそれは仕方のないことでエザリアは女ながらにジュールの家を継ぎ、男と伍してやってきた。
 その跡取りが染色体異常で生まれたなどというのは聞こえのいい話ではない。それにまた男が生まれないとなればその遺伝子に疑問を抱く輩もいるはずだ。それは何があっても避けなければならない。遺伝子の優位性が全てのプラントにおいてそれはジュール家を失墜させるには十分すぎるスキャンダルだ。
「ここまで私がやってきたことが無駄になってしまうなんて嫌よ。不完全だというのなら男の子として跡を継がせるわ。この子は男の子よ・・・そう名前はイザークがいいわ」
 ジュール家の名門としての重圧と、遺伝子が全てのプラントという世界の特殊性がエザリア・ジュールに選択させたのかもしれなかった。  
「男の子としての体を形成するのは今は無理です。思春期を終えて体が出来上がってからの方がいい」
「それまでは体は女のままでも構わないのよ、人に知られないようにすればいいわ」
「おそらくその手術をするまではずっと薬を服用することになるでしょうし、もしかしたら異常の影響で成長が止まってしまうかもしれない」
 男として生きるというのなら女に近い体を薬の力で男に変えていくのだ。
「それも仕方がないことよ」
 プラントの医療技術は高度に発達している。それはエゴが倫理をも軽く超えてしまうくらいに。
「それならば、体は女性として手術をします。男の体にするのは二十歳過ぎて適正を確かめてからにしましょう」
 二十歳といえばエザリアがジュール家を継いだ年齢と同じだった。
「ええ、それでいいわ。この子はジュール家の跡取りなんだから」



 そしてイザークは女性の体を持ちながら男として育てられた。
 投与を続けた薬のせいでどんなに成長しても男にしか見えない体を持った。
 だが、まだ16歳のイザークは下半身は女性のままだったのだ。

「君の体の形は女性と同じに作ってある」
 淡々と医者は言う。
「だがおそらくその機能は働かないだろう」
「異常に生まれたうえにずっと薬を飲んでるんだから当然の話だな」
「もし・・・君に好きな人ができて愛し合いたいと思うときがきたら」
 その言葉をイザークは鋭く遮った。
「そんなのありえない」
「だから、もしだよ。もしそういうことになったら君は辛い思いをすることになるかもしれない」
 思春期というのは体の成長だけでなく、心も大人に近づく時期だ。好きな人ができて相手の体に触れたいと思うのは当然の理屈なのだ。
「それはありえない話だ。俺は誰のことも好きになんてならないからな。こんな体じゃ化け物扱いがオチだ」
「男として君に好きな人ができたなら」
「ありえないと言っている」
「それが本当ならばいいんだが・・・残念ながら君の体は生殖機能の異常があって外科的な手術も難しいかもしれない。無理な手術でリスクを負うよりは今のままの方が身体的な負担も少ないで済むだろう、これだけは言っておきたいと思ってね」
 男の体を手に入れることは難しいのだという。イザークの望みを残酷に打ち砕く内容だった。それは死刑宣告にも等しい。大人になればきちんとした男になれるということを信じて今までずっと秘密を抱えてきたのだ。
 自分の役目は終わったとばかりに目を伏せる医者にイザークは言うべき言葉を持たなかった。
「君が女の子だったら、プラントの歌姫も敵わないだろうに」
 至極残念そうに言う医者の言葉はイザークの美しさに対して本心からのものだったのだろうがイザークにはあてつけにしか思えなかった。
「生憎だが、あんな軟弱そうな婚約者はごめんだ」
 そのときはすでにアスラン・ザラという存在はプラント中に知れ渡っていたからイザークの皮肉は痛烈なものだった。
「まぁ確かに、美少年というのなら君のほうが上かもしれないが」
 イザークは母親の希望したとおりに男として生まれたことにされ、立派な少年に成長していた。母親にとって彼の存在はかけがえのない息子であり、希望の星だった。
「褒め言葉にしても嬉しくはない類だな」

 このときはまさか自分がアカデミーに入るとは思ってもいなかったのだ。ましてやそこでアスラン・ザラと机を並べることになろうとは。 

 






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