あの日、消灯時間のギリギリにシミュレーションルームにアスランがいた。
 眠ってしまっていた自分に声をかけて起こしたらしいがどうしてあそこにアイツがいたのかはわからない。
 まさか気が付かれたということはないはずだ。制服を着て座っていた状態だったから。
 だけど、油断はしてはいけない。


「イザーク、シャワーは?」
「いらん」
 心肺機能訓練を終えて汗だくになりながら念のためディアッカが訊いてきた。過酷な状況下でも冷静な判断を下すために十分な酸素補給は重要な点だった。基礎的な能力はナチュラルの比ではないとはいえ、軍人として任務を遂行するには高いレベルが求められる。そのための訓練は低圧から高圧までの圧力下で一定の心拍数を維持しなければならないというものだ。それは通常の有酸素運動よりも過酷だった。それだけに生徒たちは皆全身に激しく汗をかいている。それはイザークだって例外じゃない。とはいえ、イザークの汗の量は他の人間に比べれば格段に少なかった。
「こんなときでも部屋に戻るんですか?」
 アンダーシャツを脱ぎながらニコルが訊ねる。
 共用のシャワールームは大勢が一度に利用することができるだけじゃなく、ロッカールームに併設されていて教室移動の合間に手短に汗を流すのに誰もが利用するのだ。
「どこで浴びようと貴様には関係ない」
 答えたイザークの視線の先でアスランが同じようにシャツを脱いでいた。
 意外に筋肉質な体は、おそらくイザークよりも体重は重いだろう。それがイザークには忌々しく映って無理やりに視線を逸らす。
「あぁいいんだよ、イザークは」
 あまりしつこく訊くなよ、と視線で注意をされてニコルはおとなしく従うことにする。
「次の教室はB棟の機械工学だぜ」
 フォローのつもりかディアッカが声をかけた。言いながら自分は汗だくでたまらないとばかりに全裸になってタオルを片手にシャワーブースへ先を急ぐ。イザークはそれに背を向けてロッカールームを後にした。

 寮の部屋までの距離は近くはない。基本的に訓練の内容によって着替えが必要なときは校舎の中のロッカーですることになっているから授業の合間に部屋に戻ることは想定されていないのだ。だがイザークはロッカーで着替えるわけにはいかなかった。だからどんなにタイトなスケジュールでも必要なときは一度部屋に戻るのだ。
「くそっ、思ったより汗が多いな」
 さすがに軍の訓練は体力を限界近くまで引き出される。日常生活においてはイザークはほとんど汗をかかない体質になっていた。汗をかけば服を脱ぐ機会も増えてしまう。だから自然と汗を抑えることができるようになっていたのだが、さすがにアカデミーに入ってはそれも通用しなかった。
 廊下を走りながらイザークが思い出したのはアスランの姿だった。

 何の変哲もない少年の体。
 自分がどんなに努力したって手にいれることのできない、ただ普通の少年の身体。

 そのうえ、アスランはことごとく自分より優秀な成績を収めていくのだ。自分はこんなに努力しているというのにそれに敵わないなんて許せない。

 アスラン・ザラが嫌いだった。
 そしてアスラン・ザラの存在が憎らしかった。
 自分には手に入れられないものを全て持っているアイツが。
 卒業までに絶対にアイツを抜いてトップを奪ってやる。

 イザークの歩く速度が上がっていく。
 それはまるで何かに追いつかれまいとしているかのようだった。





「なぁ、どうしたわけ?」
 ラスティが訊ねるとディアッカは無言のまま首を横に振る。
 中間試験の成績発表が終わったばかりなのだが、イザークは一人で部屋に篭ってしまった。総合成績はロビーに掲示されているから全員がその内容を知っている。
 アスランが一位でイザークが二位。
誰もが予想したとおりだったのだが、当の本人だけはそれを受け入れられないらしい。ピリピリと神経を張りつめさせて無言のままベッドに腰掛けた姿は確認したが恐ろしくて尻尾を巻いて部屋から退散してしまいディアッカ自分の部屋の前で立ったまま部屋に入れずにいるのだ。
「アスランに負けちゃったからなぁ」
「ラスティは気がついてたのか」
「そりゃわかるでしょ。いつもが無表情すぎるからアスランが絡むとわかりやすいくらいだよ」
 クールビューティと言われるイザークの思わぬ弱点をこともなげにラスティは指摘した。それはディアッカだけが知るところだと思っていたのに、このお気楽キャラに見えるラスティも侮れないということのようだ。
「あいつ、今回の試験にかけてたからな」
 実技、教科ともに準備は怠りなかったはずだ。夜遅くまでデスクにかじりついていたし、トレーニングルームにも連日篭っていた。
「結局勝てたのって、地球地理史だけ?」
「まあね、それはイザークの十八番だから意味ないんだろ」
 地球に関する地理と歴史はカレッジでイザークが地球の民俗学を専攻していたことを考えれば専門分野なのだからアスランに優って当然だった。結局もとからアドバンテージのあった科目でしかアスランの上にはなれなかったのだ。
「で、どーすんの?」
 ラスティは楽しそうにディアッカを窺う。
「どうもこうも何もできねぇよ。そのうちまたトレーニングにでも出かけるんじゃないか」
 だからそれまでおとなしくして部屋には戻らないつもりだ。クールビューティは怒ったときが実は一番恐ろしいのだ。何も言わずにぴりぴりとした空気が漂う二人の共同部屋はまるでブリザードの吹く極寒の地になる。そんなことをされるくらいならば怒りを爆発させてくれた方が一瞬で終わるのにとディアッカは思うのにあいにくとイザークはそういうキャラじゃなかった。自分に対する怒りも悔しさも内側にこめて何も表に出さないのだ。
「ディアッカも大変だなぁ」
 やっかいなルームメイトに同情して言うとディアッカは小さく苦笑する。
「仕方ないでしょ、こればっかりは。悪い奴じゃないからね」
 その言葉にラスティも頷いた。イザークはクールビューティだけど悪い奴なんかじゃないし、本当はきっととてもいい奴だと思う。





 冗談じゃなかった。
 こんなの冗談では済まされない話だ。
 大事な中間試験だというのに、ここまでアスランに惨敗するなどとは!
 そもそも入学試験での成績はもう少し差が小さかったはずだ。それがこの時点で差が開いたというのは自分がアスランに純粋に劣っていることになってしまう。入学試験はそれまでの生活や専攻で差が出るから単純な比較をすることはできないが、中間試験というのは食事からカリキュラムまで全て同じ生活をしての結果だったから、試験の結果はそのまま資質の差ということになる。
 それが耐えられない。
 アスランには負けていないつもりだった。
 たとえ授業の結果がよくなかったとしても、その後で自分なりにフォローをしてきたし、負けた授業の次には挽回だってした。

 それなのに敵わないなんて・・・。

 灯りを点けていない部屋は暗かった。
 ディアッカは状況を知って近づかないつもりらしい。イザークはシャワールームに飛び込むとコックをひねって熱い湯を頭から浴びる。着たままの制服が水分を含んで体に張り付いた。

 ぴったりと体に添って張り付く布地。それは鍛えられた筋肉をくっきりと感じさせる。
 イザークの体は無駄なく鍛えられている。アスランに負けたくないから、負けるわけにはいかないからアカデミーに入ってから筋肉量は倍以上に増えた。色が白くて女に間違えられていた体だって腕も首も太くなったし肩もがっしりと逞しくなった。シャツのサイズが二つ上がるくらいに胸囲だってウエストだってサイズアップした。
 それなのに、そこまでしたって自分はアスランには敵わなかった。

「なんで・・・」
 シャワーの水音の合間にイザークの震える声が零れ落ちる。
「なんであんな奴なんかに」

 歌姫と対の遺伝子を持つ希望の星。
 彼は次の世代にプラントを繋いでいくことを期待され、求められている。それはイザークが何をしても絶対にすることのできないことばかり。

 もしも。
 もしも自分が女だったら。

「何を・・・」
 思いついたことに自分が信じられなかった。
 とたんに襲う激しい吐き気。
「・・・っぐぅ」
 こみ上げた胃液を吐き出してザァザァと熱い湯の降る壁をずるずると滑り落ちる。そしてそのままシャワーブースの床に崩れ折れた。
「・・・」
 目蓋の下から溢れるものを誤魔化すために顔をあげてまともにシャワーを顔面に浴びる。
「ニセモノの限界なのか」
 ニセモノは所詮偽物でしかない。本物の、本当の希望の星の前ではどんなに分厚く塗りこめたメッキだって剥がれ落ちてしまうのかもしれなかった。
「俺は母上の希望の星、なんだ・・・」
 激しい水音の下でイザークはあの日のことを思い出す。
 自分がニセモノとしてしか生きられないと告げられた、全ての希望が消えた日のことを。








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