シミュレータールームに人影はなかった。 イザークはそれに小さな息をつくとシートに座ってスイッチを入れる。先週の授業ではアスランに完敗だった。明後日の授業ではあんな無様な姿をさらすわけにはいかない。 自分は不完全な人間だからいつも一番でいなければいけない。 いつの頃からかイザークはそう思うようになっていた。 『あなたは体の下半分は女の子と同じなの。だから他の人に見られたらいけないのよ』 『下半分・・・?』 『遺伝子学上はあなたは女の子の体なの。だけれど生まれたときに体が不完全な状態だったから手術をしてね、いろいろ考えて私はあなたを男の子として育てることに決めたのよ』 『僕は女の子なの・・・?』 『違うわ、あなたは男の子よ。名前も住民データもすべてイザーク・ジュールという男の子よ。だけど体の下半分だけが女の子なの』 『お母様・・・僕は男の子じゃないの?』 『いいえ。だけど男の子としての体には不完全なの。だからこれをいつも身に着けていなさい』 そうして渡されたのはブリーフの形をしたサポーターだった。シリコンでできたそれは足の間に作られた膨らみがある。 『男の子と女の子の体は形が違うのよ』 指差されたモニターには自分と代わらない子供の全裸のCG画像がある。 『あなたの体は女の子と一緒だけどそれは他の人に知られてはいけないことなの。だからこれを履いていれば誰にも気づかれないで済みます。わかるわね?』 母親の言い方はどこか鬼気迫るものがあったと子供の心にも残っている。だから完全には理解できなかったけれど、言われるままに渡されたものを受け取って頷いたのだ。 それは幼年学校に入学する前の出来事だったと、今でも鮮明に覚えている。 そのとき母親の言いたかったことや必死だった理由が分ったのはそれから随分たってからのことだ。その頃にはもう『不完全』という意味も知られてはいけない理由もイザークにしてみれば当然だと思えるくらいに成長していたし、人に接するときは気づかれないように極力気を遣っていた。 同時に不完全な自分を何かで補わなければいけないという強い意識を持つようになり、イザークはいつでも優秀であることを自分自身に課すようになった。実際にイザークはどんな場面であっても常に最高の地位を得るようになっていた。なぜならそれが今までずっとイザークを人に知られてはならない劣等感から守り続けているのだから。 ――それなのに。 「ちっ」 戦闘プログラムを終えてイザークは小さく舌打ちした。結果は思わしくない。集中できていなかった自覚はあるがそれにしてもあまりにも悪すぎる。 こんな状況じゃアスランに負ける記録が増えるだけだ。それだけはごめんだった。 自分は常にトップにいなくてはならない。 トップにいて上から人を見ることで自分の足場を常に確保してきた。自分より上に立つ人間がいるということはそれだけその人間より劣るということで、それはつまりその相手に対して隙が生まれることを意味していた。 そんなことになったら何かのときに気づかれてしまうかもしれない。 アカデミーに入って初めて自分の上に立つ人間が現われたときにそう危惧した。それはずっと今も変わらない。 『隙をみせてはいけない』 『負けてはいけない』 呪文のように言い続ける言葉をかみ締める。 あんな腑抜けな年下なんかに自分が負けるはずはない。 だからそのために努力を続けなければならないのだ。 偽りの世界でも、偽りの居場所でも。自分に求められているのはそこで一番になることなのだから。 スイッチを切替えて再びプログラムを走らせる。時間が許す限り訓練をつづけること、それがいま自分のすべきことだった。 「あれ・・・」 資料室から戻ってきたアスランはシミュレーションルームに明かりがついているのに気がついた。 もうすぐ消灯時間だというのに誰かがいるのだろうか、そう思いながら部屋の中へ足を踏み入れる。明かりのついた席は一つしかなくて部屋の奥のその場所へ近づくと一人の少年の姿があった。 寝てしまっているのだろうか、シートにもたれてかかっている背中が視界に入り、やがてその少年が誰なのかがわかった。 モニターの光を受けて鈍く輝く銀色の髪。 イザーク・・・。 口に出そうになった名前を慌てて飲み込みながらアスランはそっと近づいた。 一人で自習していたのだろう。イザークは自由時間だっておとなしくしていることなんてないのだ。 眠り込んでいる姿をまじまじと見てしまう。さすがに綺麗な顔をしていた。コーディネーターは皆整った顔立ちではあるけれどイザークは別格だった。アカデミーで一番綺麗な顔は誰かと問えば誰もが真っ先にあげるのがイザークの名前で、それ以外は誰もあり得ないと口をそろえて評している。そしてそれはアスランも知ってはいたのだけれど、正直を言えばここまで綺麗な顔だとは思わなかった。なぜならアスランがイザークのことを見ようとするものなら視線が合ったとたんにイザークは顔を背けてアスランを無視していってしまうからほとんどその顔を見たことがなかったのだ。 長い睫毛はその髪と同じ色で光に透けて見える。頬は色素があるのだろうかと思えるくらいに白く高価な人形の陶器の顔のようだった。そして唇はうっすらと桜色をしていて夢の世界にいるせいだろうか、あどけない表情に少しだけ口元は開かれていた。 そして瞳は・・・。 残念ながら見ることはできないが、それがどれほど美しいブルーなのかはアスランも良く知っていた。対戦するときにいつも睨みつけられてはいるけれど、真っ直ぐに自分に向けられるイザークの瞳はまるで地球の海の色を切り取ったような深く澄んだ色をしていた。 こうして寝ていれば少女と間違えてしまうくらいに美しいというのに、自分はまともに話すらしたことがないのだ。せっかく同じときに入学した同級生なのに、それを思うとなんだか残念な気持ちにすらなってしまう。 自分とイザークはとてもよく似た境遇だとアスランは思っていた。実際、お互いの親はナチュラルに対しての姿勢は良く似た強硬派だったし、評議員のうちでも軍部に関わる立場だというのも同じだった。そしてそれを背負いながらアカデミーに入学したというのだって同じなのだから、話すことができれば友達くらいにはなれるんじゃないかと思うのに何故だかイザークは入学直後から自分を避けていてろくに話をしたことさえない。それどころかさすがに自分でも気づくくらいに彼には避けられていて、その理由も思いつかなかったから、半分以上あきらめていたのだ。理由はどうあれ自分は彼に嫌われていて相手にされることはない。アカデミーは軍人の養成機関で普通のカレッジとは違い卒業後は現場に配属されるのだから一時的なものだと割り切ってしまうしかないとずっとそう思ってきた。 だけど。 こうして間近に彼の姿を見てみるとやっぱりどうしても興味が沸いてしまう。 ラクスとの婚約が発表されて以来、自分はずっと好奇の視線に晒されてばかりだった。だから人に見られることにうんざりしていたのに、イザークだけは違ったから逆に興味をもったのかもしれない。だけどその興味すら冷めかけてしまうくらいに一方的に無視をされ続けてきたのだけれど。 どうしてなんだろう。 自分が今、息を押し殺してイザークのことをずっと見ているのは。 その銀色の髪に触れてみたい衝動を必死に抑えているのは。 そっと伸ばした手がバカみたいに震えていた。 触れた絹糸のような銀色の光がすぅっと指先を滑り落ちる。 それをきっかけにイザークがうっすらと瞼を開けた。 驚いて手を引くと心臓が早鐘を打っていた。 「アスラン・・・?」 訝しく自分を睨む瞳の色は美しいブルーで。 「もうすぐ消灯時間だ、部屋に戻ったほうがいいんじゃないか」 いつもと変わらない口調で言うのが精一杯だった。 いつもと同じ距離で、イザークに遠慮して遠くから。 時刻は消灯の15分前。 「それじゃあ俺は失礼するよ」 何もない、何もなかったというふうに装いながら廊下に出たときには、知らずに早足になっていてドキドキと鼓動する音が耳の中で響いていた。 イザークの髪はサラサラとしていた。それならば頬は・・・?とんでもないことを考えた自分にアスランは必死になって頭を左右に振ってみる。 バカ、落ち着け・・・!何考えてるんだ、自分は。 グルグルする頭を振り続けてみても、その答えはテキストのどこにも書いていなさそうだった。 -4- |