「よぉ、お帰り。シャワー浴びるんだろ?」
 トレーニングルームから戻るとルームメイトが声をかける。
「あぁ」
 イザークが頷くとディアッカは雑誌を捲りながら言ってやる。
「当分トイレは使わないからごゆっくりどーぞ」
 それは暗黙のルールだった。

 彼らがが同室になるには政治的な力があった。イザークがアカデミーに入学するにあたりエザリア・ジュールが軍上層部に働きかけたのだ。イザークを昔から知るディアッカを同室者にするようにと。それは急進派のエザリア・ジュールが中立寄りのタッド・エルスマンを自分の側に引き入れようとする思惑があるのだろうといわれていたがその本当の理由は違っていた。

 イザークは扱うのが難しい。それはアカデミーの誰もが納得することだ。冷淡な性格と優秀すぎる成績。そして誰よりも高いプライドが彼を付き合い辛い人間にしていた。実力がすべてのアカデミーで、成績だけは飛びぬけて良いから表立って彼にクレームを付けるような生徒はいなかったがとにかく煙たがられていた。そんなイザークのルームメイトをやってるディアッカはバカがつくほど我慢強いのかよっぽどの物好きなのかどっちだろうと言われていた。だが周りの評判とは違い、幼い頃から付き合いがあったディアッカはイザークの性格にも慣れていてディアッカは特別に思うこともなかった。要するに免疫ができあがっていたわけだ。
 だからといって同室で生活することはディアッカにも不安がないわけじゃなかった。見かけは女みたいだし、我がまま放題に育ってるし、お坊ちゃまだし・・・と苦労しそうなところはいくらでもあげられるくらいには心配していたのだが、イザークは初日に自分でいくつかのルールを書いた紙切れをディアッカに突きつけて寄越し、それさえ守れば何も文句は言わないと告げたのだ。
 その一つがイザークのシャワー中は決して邪魔をしないということだった。寮の部屋のバスルームは脱衣所にトイレの入り口があるつくりで、相方がシャワー中にトイレに行くには使用中の脱衣所に足を踏み入れなければならない。男同士の部屋なのだから脱衣中にドアを開けたところで何の問題もないのだが、イザークはそれをするなと言った。ディアッカとしては見たって減るもんじゃないんだから別にいーじゃん、と思ったのだが守れないくらい難しいことを要求されているわけでもないし、それで平和が約束されるなら、と了承したわけだ。だからイザークのシャワーの前にはディアッカが気を利かせていつも同じことを言う。それはこの部屋だけの、イザークとディアッカの間のルールだった。

「悪いな」
 短くイザークは言って着替えをクローゼットから引っ張り出すとシャワールームに消えていく。
 ドアを閉めるときっちりと内側からロックをかける。そこで初めてイザークは息をついた。
「・・・ふぅ」
 イザークがアカデミーの生活の中で唯一気を抜ける場所がここだった。たとえ気心が知れたディアッカと同室だといっても部屋の中でも気を抜くことはできない。他人の目がある以上意識をおろそかにするわけにはいかないのだ。
 汗ばんだアンダーシャツを脱ぐと脱衣カゴへ放り込む。それからスパッツを下ろすと重ねているサポーターをシャワールームへと投げ込んだ。ルールは守られているが油断するわけにはいかない。シャツとスパッツの上にソックスを放り投げるとシャワーブースのドアを閉めてコックをひねる。
 熱い湯がイザークの体の上を滑り落ちる。汗をかいた肌は水滴をはじいてしまうが、銀色の髪はしっとりと濡れていく。ユニットバスの床に立ち尽くしてイザークはただ流れていく湯をじっと眺めていた。自分の体に足りないものを思いながら、それに代わるニセモノを睨みつけるようにして。





 イザークには秘密があった。
 それは母親以外には誰も知らない、記録にも残っていないけれど明るみに出ればエザリア・ジュールを失脚させるには十分すぎるほどの秘密だった。


「お母様、どうして僕はプールに入ってはいけないの?」
 子どもの頃、幼稚園のプールにはイザークは入ってはいけないと言われていた。みんなが楽しそうに水遊びをしているのをイザークはおとなしく見ているしかなくて、大好きな母に聞いてみたのだ。
「イザークは病気があるのよ」
「病気?」
「そう、だからみんなと一緒には入れないの」
 自分が病気なんて知らなかった。驚いて母を見ると心配して銀色のオカッパ頭を撫でてくれる。
「だからお家にプールがあるでしょう」
 母が庭を指し示すとそこには水を溜めた立派なプールがあった。
「でも僕、みんなと入りたい・・・」
 そこにはカラフルな浮き輪もアヒルのオモチャも浮かんでいたけれど幼稚園のプールみたいにみんなで騒いで水を掛け合ったりするわけではない。イザークが一人で遊ぶためだけにあるのだ。
「じゃあ母様のお友達の子にも来てもらいましょう、仲良くなれるわよきっと」
 結局イザークは幼年学校に入るまで家以外のプールに入ることを許されなかった。
 その理由をきちんと知ったのは幼年学校の入学前に母親に打ち明けられたときだった。



「・・・はい、問題ありません、訓練も順調です」
 週に一度イザークは実家に連絡を入れる。それを同室のディアッカは定期通信と言ってからかっていた。
「それは送ってください。しばらく家には戻れませんから」
 通信の相手は母親だ。
 毎度のことなのでディアッカは特に気にするでもなく、イザークがとっくに片付けてしまった課題のプログラミングに奮闘している。
「えぇ、母上もお気をつけて」
 お決まりのセリフで締めくくって定期通信は終わった。
「無事終了?」
 ベッドの上に腰掛けたイザークに確かめる。行き詰ったディアッカも気分転換に話し相手がほしいところだった。
「あぁ、まあな」
 イザークは母親との遣り取りをあまり語りたがらない。昔はずいぶん母親にべったりだったはずなのだが思春期を過ぎたらさすがのお坊ちゃんも変わったということだろうか。「お前さ、昔はもっと・・・なんていうか気さくだったよな」
 家のプールで一人で遊ぶのを寂しがったイザークの相手に連れてこられたのがディアッカだった。ディアッカの言う昔というのは幼年学校の低学年くらいまでの話だ。それ以降はディアッカと会うのも年に数回くらいになっていたからよく覚えているというのなら幼い頃のことだろう。
「そうか?俺は別に変わらんが。いつまでも子供じゃないんだから男同士で仲良しこよしってこともないだろう」
 普通だというイザークにディアッカは首を傾げる。
「そんなもんかね」
 イザークは決してリラックスした姿というのを見せていないとディアッカは思う。いつでもきちんとしているのは彼の性格もあるだろうが、それにしたってきちんとしすぎてる。年頃の男としては女の話だとかも当たり前の話題なのにイザーク相手にはそれは無理な相談だったし、それどころか最初の頃はグラビアを見てるだけでもあからさまに不快な顔をされたものだ。そしてバスルームへの立ち入り禁止のルール。昔はこんなに潔癖じゃなかったのにと記憶をたどりながら思う。
「そういえば、明日のナイフ戦、アスランの顔に傷つけるなよ」
 楽しむようにディアッカは言った。
「責任は持てん。あいつの腕次第だ」
 プラントの星である王子様の顔に傷がついたら大騒ぎになるだろうにイザークはそれに構う様子はない。
「じゃあ逆でも構わないわけ?」
 問いかけに余裕の表情でルームメイトは頷いた。
「当たり前だ、弱ければ傷くらい仕方のないことだ」
 そんなものは直ぐに消せるしな、そういうイザークの呟きはディアッカには聞こえなかったようで、「オレはごめんだな」とやる気のない声が聞こえてきただけだった。

「出かけてくる」
 自分に向けて届いた声にディアッカは没頭していたPCの画面から顔をあげる。
「今頃どこいくんだよ」
「どこだっていいだろう」
 イザークがそう言ったならばこれ以上を聞きだすのは無理だろう。それは幼い頃から変わらない頑固な性格を良く知るディアッカならではの理解度だ。
「帰りに缶コーヒー買ってきてくんない?ブラックで」
「いつになるかわからんぞ」
 飲み物ならば咽喉が渇いているから頼むんだろうと視線で問いかけられたディアッカの答えは相変わらずにテキトーだった。
「べつに、いつでもいいよ。イザークが戻ってきたときに飲むから」
 どういう根拠だ、と眉間にしわが深く刻まれるのを見てルームメイトは笑う。
「そんなのどうだっていいだろ、それより出かけるなら早くしろよ、消灯まであんまり時間ないぜ」
 言われてイザークはドアのロックを開ける。廊下に消えた背中にディアッカは呟いた。
「そんなにアスランに負けたくないのかね」
 イザークの頭の中にはいつもアスランのことばかりで、イザークのすることはアスランに勝つためのことでしかなかった。それはクールビューティという呼び名のせいで周囲の誰も知らないことだったけれど、イザークと付き合いの長いディアッカは嫌でもそれに気づいてしまったのだ。感情を出すことをまるでしないイザークがアスランにだけは激しくライバル心を抱いていることに。









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