「手当てをした方がいい」
 言うと相手の反応に構わずにアスランは自分のバックパックから救急キットを取り出し始める。
「余計なことをするなと言っている・・・」
 するとアスランはそっけなく言い切った。
「俺が自分のしたいことをしている、君には関係ないだろう」
「なにを」
「余計なことを言う暇があったら鎮痛剤を飲んだらどうなんだ」
 指摘されて慌てるようにイザークは自分の荷物の中にある鎮痛剤と水を立て続けに口に含むと飲み下した。アスランは手早く必要な荷物を広げるとイザークに視線を上げる。
「脇腹」
 言っても動こうとしないイザークに苛立ちながらアスランは続ける。
「痛むんだろう、見せろよ」
「冗談じゃない、なんで貴様なんかに」
 言いながらイザークの顔が微妙に歪む。痛みを堪えているのだとアスランにはわかった。それは以前のアスランなら気がつかないくらいの微妙な変化だったけれど。
「なら、勝手にやらせてもらう」
 言うなり同時にイザークの服に手をかけようとしたアスランに慌てて声を荒げた。
「さっ触るなっ!ちゃんと見せるから勝手にやるな・・・っ」
 不本意ではあったが、今の状況ではアスランに力負けしてしまうのは目に見えていた。それでもし万が一自分の秘密に気付かれてしまうようなことになれば今までの苦労が全て無に帰すだけじゃなく、母の地位も危うくなる。そんな危険を冒すくらいなら、必要最低限だけを見せてしまうしかなかった。
「最初から素直にしてくれよ」
 小さく息をつくと捲りあげられたシャツの下をアスランは確認した。そっとそろえた指先で肌に触れると「痛っ」とイザークが声に出して訴えた。
「肋骨2本だな」
 短く告げるとそこへ湿布を貼り付ける。
「固定はできないからリタイアしたらどうだ?・・・まぁ言っても聞かないだろうけどね」
「余計なお世話だ」
 アスランは時計を確認する。
「16時か・・・日没が早いから今から動くのは無理だな」
 イザークが飲んだ鎮痛剤が効いてきたとしても一人でこの場所から動くことは無理だろう。降りるにしても登るにしても誰かの手助けがなければリタイアするしかない。通信機でリタイア信号を送れば救助隊がやってくることにはなっているがイザークがそんな選択などするとは思えない。ならばアスランが助けてやるしかない。
「俺に構うな!とっとと行け」
 立ち上がることもできずに座ったままイザークは下から睨みつける。だがアスランはそれに従うつもりもなかった。
「今日はここで俺と一緒に野営するんだ」
「なんで俺が貴様の指図など・・・しかも一緒にだと?」
「理由は三つ。一つ目は君がリタイアしない以上、ここから動くには人の助けが必要だから。二つ目は俺がここにいる限り君との差が開かないから。三つ目は君をここに一人で置いて行くのは俺が嫌だから。以上、問題は?」
 嫌味なくらい整然と並べられた言葉にイザークは何も言えない。アスランを追い払ってしまえば自分が動けないのは事実だったし、アスランがゴールしない以上他の誰もゴールなんてできるわけないから、誰かに一位を奪われる心配をする必要もなかった。アスランを追い払ってしまえばリタイアを避けられなくなって、結果的にアスランは一位イザークはリタイアという大差をつけられてしまうのだ。ただ、最後の理由はイザークには納得がいかなかったが。
 何も言わないイザークにアスランは小さく息をつくと動き始める。
「何をしている?」
「野営の準備だ、薬が効くまで君も眠った方がいい・・・寝袋は?」
「・・・バックの中だ」
 あきらめてイザークが言うとなるべく平らな場所にそれを広げて顧みた。
「寝ておけよ」
 促されれば断る理由もない。正直に言えば傷が痛んで横になりたかったのだ。

 クールビューティと言われるイザークとどちらかといえば口下手なアスランとの間に会話がないまま時間が過ぎる。最初に転落の理由を尋ねられたイザークはしばらく無言でいたが時間が経つと先を急いで無理な足場で登ろうとしたからだと白状した。だがその後はイザークが苦しそうにしていたからアスランは話しかけるのをやめてそれきりになってしまい、すっかり日が暮れて焚き火を前にしてアスランとイザークは相変わらずに喋ることもなかった。
「雨は降らないで済みそうだな」
 アスランの呟きにイザークも空を見上げる。といってもすでに真っ暗になっていたからアスランの言葉は空気中の湿度から導いた話だ。
「水分を摂ったほうがいい」
「いらん」
 差し出されたコップを拒んでイザークは背中を向けると折れた肋骨が痛んで顔をしかめることになった。本当は怪我のせいで発熱をしているから水分摂取はした方がいいのだが、余計な水分など摂るわけにはいかない。アスランがずっといるという状況はある意味でイザークには酷だった。隠れる場所もないこんな場所ではトイレにもいけない。そうなれば水分なんて余計なだけだ。秘密を守るためには一晩くらい水を飲まなくても大したことじゃなかった。
「君はどうしていつもそうなんだ」
 問いかけにイザークは柳眉をしかめる。傷を負った脇腹はじわじわと熱を持っていた。
「なんのことだ」
「いつも何かに追い詰められているみたいに必死になって無茶をして・・・!それで怪我をしていたら何の意味もない」
 思わぬ言葉にイザークは何も言い返せなくなる。何か言わなくてはいけないのに。
「何を・・・」
 言葉に詰まったイザークにアスランは容赦なく続ける。
「そんなことをしなくても君は十分優秀じゃないか。無茶をするのはやめるんだ。そうじゃなきゃ不要な事故や怪我が増えるだけでバカみたいじゃないか」
 畳み掛けるようなアスランの言葉にぷつり、とイザークの中で何かが切れる音がした。
「バカだと・・・っ!貴様に何がっ、何がわかるっていうんだ!!」
 身体を起こし、イザークは振り返って声を上げた。
 突然の豹変振りにアスランは唖然とする。聞いたこともないイザークの大きな怒鳴り声。怒りに震える表情に顔は真っ赤になっている。わなわなとその手は文字通りに震えていて、睨みつける視線は相手の呼吸を止めてしまうに十分なくらい鋭くきついものだった。
「イザーク・・・」
「貴様はっ、貴様は・・・!こっちは必死にやってんだ!ギリギリまでやって怪我してそれがバカかどうかなんて貴様には関係ないことだ・・・っ。無茶したって貴様に敵わないこの気持ちが分るか?!何でも俺よりいい成績を苦もなく手に入れてさぞ気持ちいいだろうがな!」
「そんな・・・」
 青ざめるアスランに反してイザークの顔は真っ赤だった。
「あぁバカさ!俺はバカで構わない。それが本当だからな!!」
 吐き捨てるように言うと脇腹を押さえながら立ち上がる。
「イザーク?」
「貴様とこんなところにはいられん。俺は行く」
 寝ていた寝袋を畳むと乱暴にバックパックに詰め込んだ。
「そんな無茶苦茶だ。登るのにしても降りるにしてもその怪我じゃ腕に力なんて入るわけない・・・!」
「俺は無茶をするバカだからな!」
 睨み付ける目の力にアスランはそれ以上何もいえなかった。
 そのままイザークはヘッドライトを頭に取り付けると岩壁に手をかけて登り始める。光に照らされた範囲だけが闇に浮かび上がった。
「言っておくが、追いかけてきたら貴様を撃つ。朝になるまでここから動くな」
 そうして痛みを我慢したままイザークはその場から離れていく。その姿と照らすライトが段々と遠ざかっていった。

 アスランは何もいえず、動くこともできなかった。
 イザークは泣いていた。
 目に光るものに気がついてしまったアスランはイザークの言葉を無視してまで止めることができなかったのだ。



「く・・・っ」
 たどり着いた頂上でイザークは身体を投げ出した。薬も切れて痛みは酷くなっていたし、休息もとれなくて疲労も溜まっていた。
 そして何より、アスランに言われた言葉が深くイザークを傷つけていた。

 悔しい、悔しい、悔しい。
 アスランに言われてあんなことしか言えなかった自分が悔しかった。
 だけど。
 バカなことというのなら自分の人生こそバカみたいじゃないか。

 ニセモノとして偽りだらけの人生を歩くしかなくて、この先もずっと秘密を抱えて嘘をつき通すしかなくて・・・。本当の自分になることすらなく、このまま一生を終わるのはきっとアスランのようなやつに言わせたら「バカ」の一言で終わるんだろう。ラクスと結婚してプラントの星と呼ばれて華々しく歩むアスランに比べたらきっと自分の人生など馬鹿馬鹿しいに違いない。
 本物を越えるニセモノなんてあるわけがなかった。いくら強がってみせたところで結局何一つ勝てたためしがない。
 つぅーと頬を流れるものに構わずに唇をかんだ。
「俺はアスランになりたい・・・あいつの身体と人生を手に入れてニセモノじゃなく本物の希望の星になりたい・・・」
 本当はあんな奴と比べられる位置になんていたくもなかった。だけどそれは避けられなくて、だから必死になって努力を続けたのにどこまでも敵わなかった。思い知らされるのはニセモノの限界ばかりでアスランを憎みさえした。それはアスランが悪いんじゃなく、自分の抱える問題のせいなのに・・・。
「バカみたい、か・・・・・・」
 本当に馬鹿なのかもしれない。
 折れた肋骨が肺を傷つけたらしく呼吸が苦しくなってきた。そのせいで熱も上がったらしい。
 アスランの顔を見ていたくなくて、あの場所にいることが耐えられなくて無理やり崖を登ったけれどそれももう限界だった。

 この世界がニセモノならば、いっそすべて無くなってしまえばいいのに――。

 イザークは通信機を取り出すとリタイアの信号を送信した。30分もすれば救助がくるだろう。アスランがここにくるよりも早く、間に合ってくれ・・・。
 それきりイザークは意識を失った。







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