どうしたらアスランに勝てるのか、自分とアスランは何が違うのか。
 イザークは中間試験以降そればかりを考えていた。
 身長はイザークのほうが高い。だがアスランはイザークよりも体重が多い。それはすなわち筋肉の量の違いに等しい。男と女では筋肉の付き方がまるで違うがその問題は薬でクリアしているはずだった。そうだとすると遺伝的資質の差ということになる。生まれつきの体質の差、そんなものは努力だってどうしようもないとわかっていてもどんなときでも努力をすることで乗り越えてきたイザークにとってはどうしても納得できなかった。
 だから、アスランを徹底的に研究してやろうと思ったのだ。
 たとえば、ナイフ戦の授業のとき。自分以外の相手と対戦しているアスランを観察したら、自分とアスランの動きの違いに気がついた。着地のときの足の使い方が自分とは違って軸足の向きをわずかにずらしながら着地するから次の一歩が早くなるのだということがわかった。シミュレーション訓練は見学用モニターに映し出される展開を見守っていたら、アスランのほうが戦況全体を見ていて深入りしないスタンスだった。それは撃ち落す敵の数はイザークよりは減るけれど、自分自身が受けるダメージも少なかったしエネルギー消費も無駄がないから結果的に成績はよくなるのだと思い知った。今までは興味もないからみんなが鈴なりになってみているアスランの対戦データだって近寄りもしなかったけれどまるで違うやり方は新鮮でさえあった。
 それから・・・。

「イザーク!」
 掛けられた声に振り返る。
「何の用だ、もう授業は終わったが」
 そっけなく言われてもラスティは屈託なく笑っていた。
「さっきのアスランすごかったよねー」
 話しかけられた内容に一瞬イザークは動揺する。自分がモニターを見ている姿を見られていたらしい。
「あんなもの、たいしたことない」
 だがそういうイザークは今日もやはりアスランには敵わなかった。
「そう?イザークがかなり集中してみてたみたいだからすんごいなぁって思ったんだけど」
 ジロリと睨みつける視線にそれでもラスティは構うことはない。
「用はそれだけか」
 すっかり生徒たちがいなくなった教室でいつまでも引き止められているなんて気はイザークにはない。
「あのさ、アスランに好きな子ができたって知ってる?」
 突然、そんなことを言われてイザークはクールビューティの仮面を完全にかぶり損ねた。予想もしない事柄をしかもわざわざラスティが話しかけるなんて考えもしない状況に完全に不意をつかれた格好だった。
 大きく見開かれた瞳にラスティは楽しそうに笑う。
「婚約者がいるのにね」
 追い討ちをかけて言うとイザークは慌てたようにいつもの調子を取り戻した。
「どうせラクス・クラインとの話だろうが。そんなこと俺に言っても興味などない」
「ふぅん、そうなんだ。イザークってアスランになかなか勝てないからアスランのこと研究でもしてるのかと思った」
 鋭くて遠まわしな指摘に、けれどイザークは何事でもないフリをする。
「だとしてもそんなゴシップ、何の役にも立たない話だ」
 もっともな回答にラスティは感心したような顔をしながらクルクルと瞳を躍らせた。
「でも、相手はラクスじゃないみたいだよ」
「・・・それがどうかしたか」
 それだけ言うとイザークは背中を向けて教室を出て行った。
「んー、ハズレかなぁ」
 いまいち納得がいかないふうにラスティは唸る。
 あのとき、自分が視線を上げたのはどうしてだったのか。興味などないゴシップネタなんかに何故反応したのだろうか。早足で階段を駆け下りながらイザークはそのことがなぜか忘れられなくなった。



「ラスティのやつ・・・」
 ぼそりと漏れた声にディアッカが顔を上げた。
「ぁ?なんかやったのか、アイツ」
 その声で自分の思考が声になっていたことに気づいてイザークは慌てて首を振る。
「いや、なんでもない。それよりシャワー使うぞ」
 声をかけるのはディアッカがトイレに立ち入り禁止になってしまうからだ。
「どうぞごゆっくり」
 確認をして脱衣所に入ったイザークはその脱衣カゴの中にさっきまでシャワーを使っていたディアッカが脱いだ服と、グラビア雑誌がそのままになっているのに気がついた。カゴはそれぞれのものがあるから使ったままになっていたところで問題はないが、イザークはグラビアの中のやけに胸の大きな女性の姿を睨みつけた。そんなものがここにあるということはディアッカは先ほどのシャワーで溜まった欲求の処理をしたのだ。どこで何をしようと禁止されているわけでもなければそれでイザークが迷惑を被るわけでもない。だが自分がいくら男のフリをして男の体を作り出していてもその気持ちも衝動も一生理解などできないのだと思うと、そんな雑誌は忌々しいだけだった。
 いつものようにカチリと鍵をかけると服を脱いでシャワーを浴びる。思いついて大きくはないバスタブに湯を張って体を沈める。アカデミーの寮の部屋では不審に思われることを警戒してほとんどシャワーだけで済ませているが、イザークはバスタブで体を温めることが本当は好きだった。いつも身に着けているサポーターから解放されて人目を気にしなくて言い入浴の時間は自宅にいるときから数少ない息抜きの時間だったから。
「ふぅ・・・」
 お湯に浸かると自然と小さく息が漏れた。
 頭では理解しているのだ。男の体はそういう仕組みだってことを。健康を考えたら適度に処理しなくちゃいけないということも、こういう環境じゃ自分でするしかないというのも。そうすることは健全な少年の体だということに他ならないのだから。だけど自分にはそんな必要もなければそもそも慰める部分すらありはしない。そこにあるのは女の形に作られた体だけだ。それだって本当の女だと言えるのかどうか。
 自分は何なのだろう。
 ニセモノだというのはわかっているつもりだ。自分の存在は母親にとって希望の星であり、ジュール家を継ぐために生まれてきたのだということも。そしてこの運命を変えることができないということも。
 だけどこのままずっと男として振る舞い続けたとして何ができるんだろうか。
 ディアッカはアカデミーでも屈指の遊び人と言われているくらいに女には慣れているし実際モテるらしい。問題なく優秀な子孫を残すのだろうし、ラスティだってあのニコルだってやがては父親になるのだ。
 ならば自分はこの先、どうなっていくんだ?
 アカデミーを卒業して、ZAFTで活躍してやがては母の後をついで評議員になって・・・・・・。それで全てだ。自分が異常な体をしているからには恋愛だって結婚だってできるわけがない。

 思えば今までこんなことを考えたこともなかった。
 手のひらで湯船から湯を掬いあげながらイザークは思う。
 今は戦争のために軍人になる、そのあとは政治家になる。だけどそれは全部社会的な事柄であって私的なことは何も考えたことすらなかった。恋愛だとか結婚なんてできないとわかっていたから意識の底で考えることを拒否していたのかもしれない。
 だがどうして今頃そんなことを考え付いたのだろう。わかりきっていたはずの事なのに。
 ・・・・・・きっとラスティが変なことを吹き込んだからだ。
 アスランに好きな奴ができてそれがラクス・クラインじゃないなんて興味もない話だったが、まさかあのアスランにそんな一面があるとは思いもしなかった。おとなしく親に言われるままに婚約者と手を取り合って結婚し、親の後をついで政治家になっても野望とか野心とかとは無縁のところで適当に幸せな家庭を築いて不器用そうに笑ってるんだろうと決め付けていた。
 だけど、そうじゃないらしい。
 それが何故だかイザークをイライラとさせていた。
 何でもできる立場も能力もありながら、自分からは何もやる気のない奴―――そう思っていたから敵わないながらもイザークのプライドはどこかで守られていたのかもしれない。それなのにアスランが普通に恋愛だとかをするなんて、それはまるで動物学的に正常なオスとしての能力を示すバロメーターのようでイザークを密かに傷つけていたのだ。
「いっそアイツが不感症なら笑い飛ばしてやれるがな」
 自分はきっと恋愛という分野においては不能なのだろう。そもそも恋愛なんてものは子孫を残そうとする動物としての生殖本能のなせる業だ。異性に魅力を感じて相手を欲するなんてまさに動物と同じレベルの話を恋愛と名づけているだけで、イザークに言わせれば所詮はオスとメスの奪い合いだ。自分はその生殖機能が異常なのだからきっと恋愛本能というべきところだって働かないのだろうと思う。その証拠にこの年になるまで好きな人なんていたこともない。それが女であろうと男であろうと、イザークには自分以外のその他大勢にしか映らなかったし、特別な存在だなんて思える相手に出会ったこともなかった。

 今まではずっとそうだった。
 だけど、今は違う。
 イザークにとってその他大勢とは違う存在がたった一人だけいる。
 何をしても適わない、自分より絶対的に優秀な少年。
 
 今になってずっと忘れていたはずの医者の言葉を思い出した理由なんてわからない。でも思い出してしまってからはその言葉が何度も自分の中で繰り返された。
『君が女の子だったら、プラントの歌姫も敵わないだろうに』
 あのとき答えた自分の言葉は見事に裏切られた。
 アスラン・ザラは軟弱なんかじゃなかった。それどころか自分でさえ適わない優秀で健やかな身体を持つまさしく本物の希望の星。
 それを知った今、同じことを言われたら自分はなんと答えるのだろうかと考える。
 自分がもし女だったら・・・、女として生きてきてアスランと出会っていたなら・・・。
 歌姫のように優しく微笑んでいるなんてできないだろうけれど、きっとあれこれ言いながら同じ場所に立つことはできたのだろうなと思う。自分はアスランには適わないけれど、足を引っ張るほど愚鈍ではないから。もしかしたらあのおとなしすぎる少年を叱責さえしたのかもしれない。そうしたらアイツは申し訳なさそうにしながら、けれど嫌味なくらいにスマートに何でもこなしてしまうんだろう・・・。アスランは優秀だけど控えめで自己顕示なんて知らないだろうから。
「ふん」
 思わず漏れた笑いはイザークが思っているよりずっとやわらかいものだった。だがすぐに罪悪感が襲う。
 最初に思い出したときは吐き気しかなかった。『自分が女だったら』なんて仮定することさえ許されないものだと身体が思考を拒絶した。けれど今は本能としての拒絶ではなく、理性として罪の意識がイザークを支配する。
「俺は男なんだ」
 男としてしか生きられない運命。それは受け入れるしかないものだとずっと思ってきたし、今もかわらない。母親が望んだことならば適えてやるのが自分の使命なのだから、生まれてきたときからジュール家を継ぐことのためだけに生きてきているのだから・・・。だからこそイザークは罪悪感を抱くのだ。母親の望みを知りながらそれと反する自分を思い描いてしまうことに裏切りの気持ちは抑えられなかった。 
「考えてどうなるっていうんだ」
 自分が男としてしか生きられないのも、恋愛も結婚もできやしないことも。女として生まれた自分がアスランの隣に並んでいることを想像してみたところで、この先の人生が変わるわけじゃない。
「せいぜい優秀な政治家になってアスランを蹴落とすことくらいか」
 この先ずっとアスランと無縁というわけにはいかないだろう。生まれた家も親の考えもその立場さえ、皮肉なくらいに近くて似ているのだから。だとしたら本物の希望の星の近くにいる自分はずっとニセモノとして歩きながらそれに見劣りすることがあってはいけない。
「カメレオンは擬態を続けていると本当の自分を忘れるんだろうか」
 ずっと周囲を欺いていけば、嘘が真実を越える本物になる日がくるのかもしれない。そうだとしたら自分はもっともっと本物に近いニセモノにならないといけないのだ。アスランに勝ってアスランより優秀だと証明しなければ。
「女なのにアスランより優秀だとなれば奴のメンツは丸潰れになるしな」
 イザークは女なのだ。女でありながら男に勝るというのはコーディネイトの技術をもってしても超えられない壁があるのも事実だった。だがイザークはそれさえも超えなければならないのだ。
「本物を越えるニセモノになってやる」
 不可能じゃない。
 自分はイザーク・ジュールなのだ。誰よりも優秀な第二世代のコーディネーターなのだから。
 そのためには何があってもアカデミーを主席で卒業しなければならない。






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