気分よく戻るはずの部屋への道を想像もしていない状態でイザークは歩いていた。巡回に遭遇するなんてタイミングが悪かったといってしまえばそれまでだが、あんな風にアスランと接近するなんて予想外の事態だ。おかげで言うべきことは伝えたというのにイザークはすっきりするどころか落ち着かない気持ちでいっぱいだった。
「慣れてないだけだ」
 秘密を守るため、他人と接近すること自体をイザークは避けてきていた。だからアカデミーに入って訓練という場で体を使って格闘するという状況なって初めて周りの生徒たちと同じように当たり前のように対戦相手と組み、体を接するようになったのだ。言ってみればイザークは人の体に触れること、人に触れられることに免疫がない。それでもそんなハンディキャップを感じさせないのはイザークの強い意思があったからこそだった。
 だが、訓練と違う状況となれば話は変わってくる。しかもアスランに直接抱きしめられることになったのはどちらも不意打ちのようなものでイザークは心構えができていなかった。しかも例えば転んだところを抱き起こされたとかいうのならばともかく、状況が状況だ。
 きっと、イザークと同じ歳の少年たちならば恋愛の一つや二つは経験していて、甘やかな抱擁だって経験しているのだろうが、それに関してはイザークの経験値はあまりに少なかった。だからこんなに気持ちが落ち着かないのは誰かと接近することに慣れていないせいだと自分に言い聞かせてみたのけれどあまり効果はないらしい。
 手のひらが汗ばんで胸が息苦しいような感じは一向に収まる気配がない。アスランの頑固さは意外だったし、ケリをつけるはずの話が収まらなかったのも計算外だった。けれどイザークの頭の中にあるのは、気まぐれじゃないと言い切ったアスランの言葉と微かなシャンプーの匂いばかりだった。



 あれきり二人は会話をしないままアカデミーの訓練はまもなく宇宙へ出る時期を迎えていた。今回はお互いに避けているというよりも純粋に時間がないせいだった。カリキュラムはより実践的な段階に入って、突然の出撃を想定して寮の部屋にいても突然の出撃指令を受けて部屋から飛び出して訓練を始めるようになり、それに備えて生徒たちもいくつかのグループに分けられて異なったタイムスケジュールを割り当てられるようになった。昼も夜もない生活は肉体的にはもちろんのこと、精神的にも疲労は色濃く成績優秀な少年たちも未知の経験についていくのが精一杯だった。イザークとアスランは別のグループになり互いの行動などは知らないまま、いつ起きていていつ寝ているのかさえわからなかったから呼び出して話をするなどというのはもちろんのこと、食堂やラウンジで姿を見かけることすらもなかった。

「そういえばアスラン見かけてませんね」
 同じグループのニコルが食事を取りながら言う。真夜中の緊急コールがあるから寮の同室者同士は同じグループに分けられていて、アスランとラスティはニコルやイザークたちとは別のグループだった。
「あぁA組だろ。あいつらはシフトが正反対だからな」
 ディアッカが疲れを隠さずにあくびをしながら答えた。この数日は睡眠時間が二時間くらいで立て続けの戦闘を想定してMSに乗ってばかりだった。戦闘だったり待機だったりと状況はともかく寝ている時間よりもMSのシートに身を沈めている方が断然に多い。
「時差だと思えばいいんでしょうけど」
 やはり眠そうな表情でニコルも言う。
「宇宙に出れば時差なんてないからな。時計の表示がすべてだろ」
 自分たちはプラントの標準時間で動いていたがアスランたちは時差12時間で動いていて、それにあわせて時刻をすべて変更していた。
「まぁそれも明日で終わりだけどな」
 明日は一日の休息日だった。それがあけるといよいよ宇宙での訓練になる。無重力下でのモビルスーツ戦闘をこなして初めてZAFTのパイロットになれるのだ。
「あれもたしかグループ分けですよね」
 特性の違う宙域の経験を積ませるという主旨でグループごとに分けられていくつかの宙域に別れて戦闘を行うことになっていた。それは当日発表されるから生徒たちには事前に何も知らされることはない。
 そこでイザークが席を立った。のんびり食事をしている暇はないとばかりに育ちのよさからは想像できないほどにイザークの食事は早く済んでしまう。曰く「これも訓練のうちだ」ということだったが。
「先に戻る。シャワーを使うぞ」
 ディアッカに告げてトレイを手にした。
「了解」
 その姿が食堂から消えるのを見てニコルがディアッカに訊いた。
「そういえば、イザークとアスランてどうなったんですか?」
「どうって」
 自然と互いに顔を近づけて声が低くなってしまう。
「ナイフ戦で怪我して以来どうなんだろうっていうことですよ」
 イザークの回復は順調で腕を酷使するような場面でもない限り特に問題はないほどにまでなっていた。
「さぁ。二人がお互いに避けてるみたいなのはあったけどそれ以来まともに顔合わせてないんじゃないか。最近はこんなだし」
 二人が顔を合わせるたびに大喧嘩しているというのならば忙しくても注意は向くのだがそれとは逆でおとなしいとなるとついつい見過ごしてしまうものだ。しかもこの課程に入って別のグループに分かれてしまったのだからどうなったかはわからないのが正直なところだった。
「見たところイザークは変わらないみたいですけど」
「まぁオレらにはな。問題はアスランに対してだったんだよ」
「アスランがいなければ普通だっていうんですか」
 少しだけ意外そうな顔でニコルが言った。ニコルはどちらかというとアスランサイドだからアスランのことに気が回ってもイザークのことにはラスティほど気がつくわけじゃないようだ。
「そーいうこと。何があったかはオレからはいえないけどな」
 そうしてディアッカも席を立つ。
「部屋に戻るんですか」
「それしかすることないだろ」
 今の状況は戦艦に搭乗中という想定なのだからいつまたコールがかかるかわからないのだ。部屋に戻る以外に自主トレなどの選択肢はありえない。
 グループごとにシフトが違うせいで食堂は空いていて人影もまばらになり始めたテーブルでニコルは慌ててデザートを口に運びながらディアッカを見送ることになった。







-13-

NEXT


BACK