上目遣い



 猫みたいな奴だ、と思う。
 どちらかというと感情を表すのが苦手な自分に比べると、その表情はまるで子供みたいにクルクルと変わる。
 とくに怒りが支配したときの顔は分りやすい。
 プライドの高い彼のこと。
 俺に対する対抗心は半端じゃなく、それだけに負けると分ると怒りが爆発する。
「っくしょうっっっ!!」
 無理矢理相手をするようにと連れ込まれた彼の部屋。
 あ、相手というのは将棋というボードゲームの、だ。
 日本贔屓のディアッカが持ってきた将棋を始めたイザークはチェスで負けてばかりだから、と今度は将棋で勝負をしろと言ってきた。将棋なら自分に一日の長があると思っていたらしいイザークは「自信がないなら飛車角なしでやってやるぞ」と言ってきた。
 でも実は、俺は将棋の経験があった。
 月での幼年学校時代、オーブから移住してきた親を持つクラスメイトは意外と多くて、その中の誰かが将棋というのを教えてくれた。一時、クラス中が将棋ブームになって、俺はキラとよく対局していた。キラはおっとりしているから勝負としてはつまらなかったけれど、それでもときどき負けることもあって何度も何度も対局を繰り返した。
 それはほんの2ヶ月くらいのブームだったけど、今思えばそうとう熱中していたから経験値だけは、相当なものになっているはずだ。ほんの数日前に始めたばかりのイザークに比べれば。
 そして案の定、飛車角そのままでイザークは負けた。
 だいたい、将棋よりルールが簡素なチェスでも勝てないのに、ちょっとかじったくらいで形成が逆転するなんてイザークが本気で考えるとは思えないけど。悔しがりようは相変わらずだった。
「イザーク」
「何だっ!」
 キッと俺を睨んだイザークは、見事に上目遣いで、ネコそのものに思えた。
「いや・・・」
「貴様、将棋の経験あるなんて言ってなかったくせに!!」
それは負け惜しみって言うんだよ・・・と思いつつ、俺はニッコリと笑顔をつくる。こうすることがイザークの機嫌を損ねる、と知っていて。
「別に聞かれなかったから」
あえて感情を抑えて言うと、イザークは沸騰しそうなほどに顔を真っ赤にしてイザークは立ち上がる。
あぁ、せっかくの上目遣いが見られなくなっちゃったじゃないか。
俺はイザークに勝てないものが一つあって、それは『身長』なんだけど。
 イザークが座っていて俺が立っているという条件が揃ったときにだけ見えるイザークの上目遣いがひそかに好きだった。
「卑怯者っっ」
どかっ、とテーブルの脚を蹴りつけて、テーブルの上の将棋盤に手をかけたイザークを俺はぎりぎりで掴みあげる。また、駒をぶちまけられたら片付けるのが面倒だから。
「そういうのも戦略の一つだろう?」
手にしている情報の全てを開示するなんてお人よしじゃ敵と戦う前から負けに等しい。情報戦略は戦局をいかに有利に運ぶかという点で戦いにおける重要な要素だ。それを知らないイザークじゃないから、俺の言葉に悔しそうに歯噛みしてつかまれた手を振り解くとベッドの上に勢いよく腰掛ける。
「で?!」
負けた自分が何を要求されるのか、と足を組んで半ばヤケクソになったイザークが問う。
この勝負を始めるときの条件が、「負けた人間が言うことを聞く」ということだったから。
 ちょうどその目つきが、きりきりと怒りに染まっていながらも上目遣いで。
 あぁかわいいな、と思ってしまう。
 そのイザークに歩み寄ると、俺は、何をされるのかと力が入っているイザークの額に手を当てて、まっすぐな前髪をかきあげる。
 そのまま白い額に唇を落として「ちゅっ」とわざと音を立てるとイザークの顔は額まで見事に真っ赤になった。
「な、な、なっ」
大慌てのイザークが、前髪をかき集めるようにして額を隠しながら、目の前に立つ俺を見る顔は、見事に上目遣いで。
「頂き」
俺はポケットにしまっていた小型カメラでその瞬間を逃さずに撮った。
「はぁっ?!・・・貴様、何をっ」
正気に戻ったイザークに殴られる前に俺はその部屋を後にする。
ヒラヒラと手を振りながら、楽しさに顔が綻ぶのを抑えられずに。
 いつか、イザークの背を追い抜いてあの顔をいつでも見られたらな、と思った俺は、今日からカルシウム剤を摂取しようかなとちょっと本気で考えてみた・・・。









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