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リビングのソファでイザークは眠っていた。
適当にすませた遅めの昼食を終えて、眠気に誘われるままにそこに転がったのだが、イザークの耳にデスクの上のPCがメールの着信を知らせた。そとは既に暗闇に包まれている。
立ち上がってそれを見る。
昼間イザークに宛ててメールを送る人物は一人しかいなかった。その内容を確認して静かにPCのフタを閉じるとイザークはソファに戻った。
ディアッカ・・・。
声にならない声でそう名を呼ぶ。
気がつけば最近は、禄にその名を呼んでいなかった気がする。いつもイザーク、イザークとうるさいくらいだったから、だまれ、とかうるさいだとか言ったことはあっても、ディアッカと名を呼んだことはあまり記憶にない。もしかしたら自分は呼ばれることが当たり前になっていて、ディアッカのことを呼ぶなんてしていなかったんじゃないだろうか。声がでなくなって以来、イザークはずっとそんなことを思っていた。そしてそれに気がついたときには自分の声はもう、その名前を呼ぶことを許さなかったのだ。
ディアッカ。
たった一言だというのに、どうしてそれすら音にならないのだろう。せめて一瞬だけでも声がもどってくれたなら、自分は迷いなくディアッカの名前を呼んで、好きだと伝えるのに。
堂々巡りのように思考が進まない。理由はきっとさっきのメールのせいだ。
イザーク宛のメールはディアッカから今日は帰りが遅くなりそうだという連絡だった。夜中まできっと帰らないだろうと思うとイザークの気は重くなる。
一人になるのは嫌だった。
声をなくして以来、一人というのは以前にも増して心細くなった。近くに人がいなければ、声を出して呼ぶことも出来ない。それまではそんなことは気にしたことがなかった。むしろ近くに人がいるというのは苦手だった。一人のほうがよっぽど気楽だとさえ思っていたのに。けれど人間というのは勝手な生き物だ。いや、自分だけなのかもしれないが、声が出なくなったらとたんに人が近くにいないことに不安で不安で仕方なくなるのだから。
もし、ディアッカが自分を置いて行ってしまったら・・・、待ってくれということも出来ないのだ。
たまらない不安と孤独感。
それを表に出せなかった病院では物に八つ当たりした。湧き上がる不安を払いのけるように物を投げつけることでそれから逃れようとした。
わがままだ、勝手だ、と周りが評するなかで、ディアッカだけは慣れたことのようにあきれるだけで怒るようなことはしなかった。もしかしたら、自分の気持ちをわかってくれていたのかもしれない、とイザークは思う。だから、忙しいというのに自分が家に戻ることのためにさまざまに手配をしてくれた。そして家に戻ったら好きなもの食卓に並べて楽しそうに、イザークを気遣いながら笑ってくれる。
心底優しい男だと思う。声のでない自分を邪魔扱いすることもなく、特別に扱うこともなく、言いたい事を苦もなく理解して、そして誰より心配してくれていて。
ありがとう。
そう伝えたかった。
普段からあまり口にしたことのない言葉だったけれど。今のイザークはこの言葉を一番言いたかった。
けれど、それは叶いそうもない。
いくつもの薬を試してみても一向に効果は現れなく、医者ももはや匙を投げる寸前のようで、ついには治験中の新薬を試してみるかといわれたほどだ。
もう声が戻らない。それが現実になりつつある。そのとき自分は一体どうするのだろう。考えないように避けてきたことだったが、その現実逃避が許されるのも残りわずかな時間だけだ。もっと早く結論を出してしまうこともできたが、イザークはあきらめきれずに可能な限り先送りにし、ディアッカもそれについて何も言わなかった。退院すると同時に軍を辞めていたらそうしたら今頃は何をしていたのだろうか、そんなことを考える。
けれど、それも遠い話ではなくなりそうだ。自分の喉は治る見込みが全くないのだから。そしてもう二度とディアッカの名前を呼ぶことはないのだろう。ディアッカ、と呼ぶ声に振り返ってくれることはもうないのだ、それに気がついて、自分とディアッカをつないでいた絆が一つ、手のひらから零れ落ちていくような気がした。
めぐる思考に胸が苦しくなったイザークは立ち上がるとゆっくりとシャワールームに向かった。
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