君に一番ふさわしい場所で
「失礼します」
 凛とした声がして、ジュール隊の隊長執務室のドアが開いた。部屋の中にいたイザークとシホは声の方を振り向く。
「本日付でジュール隊に配属になりました、ミハエル・ファーレンハイトであります」
 姿勢を正して敬礼したのは、エリートの証である赤い軍服を身にまとい濃紺紫のショートヘアに薄灰色の瞳をした少年、だった。
「配属・・・?」
 怪訝な顔をしてイザークは自分のPCを操作する。新しく配属になる人間がいるなど聞いていない。シホに視線を向けるが、今は隊長の補佐という立場ではなくなったために隊長以上に情報を持っているはずもなく同じように首をかしげるだけだった。
 やがて、膨大な量のメールの中から一通の通知を拾い上げたイザークが渋い顔をした。
「すまないな。最近忙しくてメールのチェックも満足にできていなかった・・・確かに今日付けとあるな・・・」
 イザークの言葉にほっとしたようにミハエルは頷いた。
「はい、よろしくお願いします」
 しかし、イザークの表情は戻らなかった。不審に思ったシホが尋ねる。
「どうされたんですか、隊長?」
 イザークが読んでいた配属を知らせるメールには続きがあったのだ。
「・・・なんなんだ、この『隊長付き副官として』というのは?」
 ミハエルの配属を知らせるメールには『10月20日付けでミハエル・ファーレンハイトがジュール隊長付き副官としてジュール隊に配属される』とあった。イザークが引っかかったのはそこだった。そこから後半にはミハエルのこれまでの履歴がとあったのだがそんなものに目を向ける前にその一文でイザークは止まってしまった。
その言葉にシホも驚いた顔をする。隊長付きの副官というのはつまりディアッカ副長の地位に付くということなのだ。寝耳に水というのもいいところで、わけがわからないと隊長の顔をみたが、何も知らないで驚いているのは自分と同じようだった。
「何だ、と言われましても・・・。自分は辞令を受けてこちらにやってきただけですので、事情はわかりかねます」
 軍人らしくきっぱりと答えてミハエルはイザークを見た。
 イザーク・ジュールといえばZAFTで知らぬものはいないエリート中のエリートだった。先の大戦ではエリート部隊クルーゼ隊のトップガンとして、連合から奪取したデュエルを駆って活躍し、ヤキンドゥーエの戦闘でも目覚しい活躍をして生き残った英雄。しかもその功績から弱冠18歳にして最年少の隊長という地位についたキレ者で、隊長としての手腕も部下からの信頼も厚いと有名だ。ジュール隊へ配属になると言えば、皆の羨望の眼差しを集めるほど名誉あることだった。実際、今回の配属が決まってミハエルは周りの人間にとてもうらやましがられた。これでエリート街道は決まりだな、と言う奴もいたほどだ。
そして何より隊長自身の魅力もまた有名で、その美貌は女と見紛うほどだと聞いていた。なるほど、初めて目にするその人は銀髪に白皙の顔で確かに女かと思うほどキレイな顔をしていたが、瞳の色と同じようにミハエルには何故だか冷たく映った。
「うちにはすでに副官がいる。同じ地位に二人も人間はいらないだろう」
 隊長の言い方は事務的以上にそっけなく、ミハエルは自分が歓迎されていないことを一瞬で理解した。
「ですが・・・」
 困り果てたミハエルの背後から突然声がした。
「副官の地位は空くらしいぜ」
「ディアッカ」
「副長!」
 二人の声に一瞬遅れて反応したミハエルが振り返ると、隊長執務室の入口に寄りかかるようにしてその人は立っていた。褐色の肌にブロンドの髪。すらりとした細身の体に緑色の丈の短い軍服を着ている人物がミハエルの目に入る。シホの「副長」という言葉に緑の軍服を纏っているが上官なのだろうか、とミハエルは慌てて敬礼をした。
 腕を組んで壁に寄りかかりながらディアッカはミハエルを上から下まで検分した。身長はイザークよりも少し低いが体つきはしっかりとしている。どちらかといえば筋肉質らしいが必要以上にはトレーニングを控えているらしく、身につけた赤い軍服はまだ着こなれていなくて新しさを感じさせる。黄色系の入った肌の色は健康的で光の加減で黒にも見える濃い紫の髪の毛は軽いクセ毛のようでやや右よりで分けてすっきりと額を見せていた。不遜の色を感じさせる薄灰色の瞳はいかにも頭が切れそうな鋭さを感じさせる。
 そのミハエルを一瞥するとディアッカは部屋の中に入ってくる。
「副官が空く、ってどういうことだ?」
 イザークが言うとディアッカは持っていた紙を一枚ヒラヒラとさせた。
「辞令。今さっきメールが来た。イザークのとこにも来てんじゃないの?」
隊長に向かってファーストネームを呼び捨てにした副官をミハエルは何者なんだ、と厳しい目で睨む。
 イザークが慌てて画面をスクロールすると最新の受信フォルダに『ジュール隊士官の異動』という件名で一通のメールがあった。中を見れば確かにディアッカの異動を通告するものだ。
「何だ、これはっ」
 バンッ、とデスクを叩きつけてイザークは憤る。
「何だって言っても・・・見たそのままでしょ。来週からオレは別の新設部隊の隊員として準備に入るらしいよ」
 軽い口調でいうディアッカだったが、イザークの顔色はすっかり変わっていた。シホも心配そうに隊長を見ている。その中でミハエルだけが事態を呑み込めずにいた。自分が歓迎されないだけじゃなく、副官らしい人物の異動に憤る隊長の様子は明らかに普通じゃなく、エリート部隊への配属は順風満帆とはいえそうになかった。

「ジュール隊長はいつもああなんですか?」
 とりあえず、と案内役に指名されたシホについて歩きながらミハエルは説明を聞く合間に尋ねた。
「ああっていうと?」
 自分より背の高い新人を振り返ってシホは聞き返す。
「激昂するというか、感情的というか・・・」
 さっきの辞令をみてデスクを叩いた一件を指してミハエルは言う。
「普段は落ち着いた方よ。まぁときどき、ああいうこともあるわ」
 ときどき、という言い方に含みを持たせてジュール隊のトップガンは答えた。隊長が感情的になるのは正義に反することを目にしたときと、ディアッカ副長が絡んだときだ、ということまで教えてやる必要はないだろう。それは自分で気がつけばいいのだ。
「そうですか」
 ミハエルはそう小さく答えてから考え込む。
 あの歳で隊長になるような人は冷静沈着で抜け目ない人だと思っていた。実際、第一印象は冷たさを感じさせるほどに冷めていたのだ。だがそうではないらしい。なるほど、とミハエルは自分の考えを改める。いくらエリートと言ってもその身分は軍人なのだ。しかもジュール隊長はMSパイロットとしての腕も一流だと言う。敵と戦い、生き残っていくには激しい一面を持っていない人間などいないのだろうな、と自分の策略を変える必要を感じながら、先を歩くシホに慌てて追いついた。

「エリート街道まっしぐらの新人ねぇ・・・」
 シホとミハエルの去った部屋でミハエルの配属通知を見ながらディアッカは言った。
ミハエルはアカデミー卒の新人だった。しかも成績は主席。ジュール隊に配属されるというのだから腕がいいのは当たり前だったが主席というのは初めてだった。
ジュール隊の損害率が極めて低い。隊長の親衛隊とも揶揄されるジュール隊はそれだけに統率が取れていてレベルも高く、パイロットを失うことが他の部隊に比べて少ないのだ。そのために新人のパイロットが補充されることも少なくて、されたとしてもその人数も少数だった。そしてその分全体のバランスを考えて、主席は他の隊に配属されることが多い。大戦時のクルーゼ隊はいわば遊撃部隊の一面が強かったから、アスランを筆頭に優秀な人間ばかりで編成されていたのだが、今はそうではなく戦力の偏りは避けるべきだとされていたのだ。
「まるでアスランみたいな成績だな」
 添付されていた資料に目を通しながらディアッカが笑った。その声にイザークはムッとする。ほとんどの科目でトップを収めてダントツの主席ということらしく、品行方正、人格も問題なく、他の者の追随を許さない存在だったらしい。
「アカデミーの成績など宛てになるか」
 ZAFTを抜けたアスランを指してイザークは言うが、さんざんそれにこだわっていた人間が言ってもいまいち説得力がない。
「そーいうもんかね」
 ディアッカが笑うとイザークが立ち上がって副官の手から資料の束を取り上げた。
「それより! 問題はそんなことじゃないだろうが。お前の異動なんて俺は認めないぞ」
 イザークはそういうがどうしようもないことなのだ。軍という組織にいるかぎり異動や転属は避けては通れない。むしろ今までずっと一緒だったことの方が不思議なくらいだと、今回の辞令を受けてディアッカは思っていた。
「じゃあどうするわけ?」
 肩をすくめてディアッカは聞く。いくらイザークといえども決まってしまったことを覆すことなんて簡単にできるわけなかった。それがわかっているからこそイザークはさっきからずっとイライラしているのだろうけれど。
「ま、とりあえず、言われたとおりにするしかないんじゃない?」
 ディアッカの言葉に白い服を着た隊長は睨んで返す。
「そんなことできるか」
 短く言ってイザークははき捨てた。
「なしくずしのままでどうにもならなくなったらどうするんた? それより、俺はお前の上官だ。部下の異動には上官の了承が必要なはずだ。だが今回の件はまったく聞いてないからな、それを言って取り消しにさせる」
 力強く言うイザークに頼もしいね、とディアッカはからかいながらそうはいってもすぐにはもとに戻れないだろうと思っていた。仮にイザークの言うことが認められてディアッカの異動が取り消しになるとしても、その位置に別の人間を置くには必要な段取りがあるだろう。ディアッカの異動がどれくらい前から決まっていたことなのかしらないが、すぐに適当な人材が見つかるほど今のZAFTに余裕があるとは思えなかった。
「じゃ、まぁ頼みますよ隊長」
 そういうとディアッカは部屋を出ていこうとする。
「どこ行くんただ」
 咎めるような言い方に苦笑してイザークを振り返った。
「仕事だよ。すぐにここを去るわけじゃないんだからさ」
 そういわれたイザークは取り乱している自分に恥ずかしそうにはっとして顔色を変えた。その様子にディアッカは隊長に歩み寄るとそっとその頬に口付ける。
「ばか、勤務中だぞ」
 言いながら上目遣いに見るブルーの瞳は、けれど怒る気なんて全くなさそうだった。
「イザークがあんまり必死なんでつい嬉しくて」
 言ってディアッカは今度こそ隊長の部屋をあとにする。
 一人残されたイザークは、デスクの上に置かれたミハエルの辞令を忌々しげに睨みながら、温かさの残る頬にそっと確かめるように手のひらで触れてみるのだった。






-1-
⇒NEXT