「ミハエル、これは・・・パターンFはどうなってるんだ?昨日までと大きく違ってるようだが」
データをチェックしながらイザークが低く指摘した。仮の副官席に座ったミハエルは慌ててそれの意味するところを説明する。
「パターンFのデータフローは手直しに時間がかかりすぎるからという話でしたので、修正ではなく自分が新規にパターンを構築してみたのですが・・・」
ミハエルの答えにイザークは軽く舌打ちをした。
「お前が自分でやったのか? これじゃ今までの演習のデータがパァだ」
それを横で見ていたシホは本日3回目の隊長の舌打ちに手を止めてミハエルに向くとやんわりと告げる。
「自分で進んで仕事をするのはいいことだけれど、知らないことについては確認するべきよ。勝手にやって余計な仕事を増やすことにもなりかねないわ。隊長の仕事を遂行しやすくするのが副官の仕事よ、自分が表に出たければ副官の仕事は向いてないわね」
いくら優秀な人間でも、ミハエルは新人だ。それまでの経緯を知らないで仕事をこなそうとすればそこにある本来の意味に気づくことなどできない。エリートでもなんでも実務を経験していなければわからないことはあるものだが、ミハエルの場合、半端じゃないエリート意識が『知らないことを人に聞く』ということに抵抗をもたらすようで、自分の勝手な判断でプログラムを書き換えてしまったのだった。MSに乗るだけなら新人もベテランも差はないが、こういうことではどうしても経験の差が大きいのだ、とミハエルはシホのきつい言葉に思い知らされた。
「申し訳ありません、以後気をつけます」
隊長とシホに向かって言うとミハエルはモニターに向かいなおす。
「いや、慣れていないお前にきちんと指示をしなかった俺も悪い」
イザークはそう言うと席を立った。
「隊長?」
シホが声をかけるとイザークは入口へ向かって歩きながら軽く手を振った。
「少し息抜きをしてくる。10分で戻る」
そうしてイザークは執務室を出て行き、シホとミハエルの二人がその部屋に残された。
何も言わないシホにミハエルはちらり、と視線を向けるがその表情からは何も読み取れない。エリートとしてもてはやされてきた自分がまるで出来の悪い子供のような扱いをされて、シホに対していい印象はもてなかった。だが、言っていることはもっともなので反論することもできない。シホは自分のことをどう思っているのだろうと表情を伺ったのだが、切りそろえられた黒髪の下からは全く何も読み取れなかった。
「ハーネンフース先輩」
ミハエルは努めて冷静に声を出した。
「何?」
「隊長はこんなにしょっちゅう休憩を取られるんですか? デスクワークは嫌いなんでしょうか」
前任の副官、といってもまだ籍はジュール隊にあるその人が新しい部隊での仕事に移ってから5日になる。ミハエルは一応副官としての仕事を引き継いでその日から隊長執務室に席を与えられているのだが、デスクワーク中にジュール隊長はよく席を立つのだ。もともとが生粋のパイロットなのだから大人しくイスに座って画面に向かうのが好きではないというのはミハエルも含めたMS乗りの誰もに当てはまるのだろうが、それにしたって集中力がなさすぎるように思える。あれでアカデミー時代に伝説のエースとあらゆる科目で首位を争ったようには思えないのだ。
「どちらかといえばお好きじゃないでしょうけど、こんなに頻繁に休憩をされるのは私もみたことがないわ」
シホの言い方は遠まわしだったが、ミハエルのプライドを傷つけるには充分だった。早い話、ミハエルが副官の仕事をするようになってから隊長はしょっちゅう休憩をとるようになった、つまりミハエルとの仕事はやりにくいということなのだ。
「私は何が足りないんですか?」
率直な言葉にシホは苦笑する。
「配属になってまだ一週間よ。足りないものなんていくらだってあるわ。でも問題はそういうことじゃないわね、きっと」
「そういうことじゃないって何なんですか?」
ボロボロに言われながらもミハエルは食い下がる。
「ディアッカ副長の代わりには誰もなれないってことよ」
キリッとした目をミハエルに向けてシホは言い切った。
「代わりになるなんて自分はそんなつもりでは・・・! 今回の配属は自分の意思とは関係ありませんし」
いきり立つミハエルにシホは苦笑した。
「誤解しないで、別にあなたを責めている訳じゃないわ。ただ適材適所という意味で隊長の副官としてディアッカ副長以上の人はいないということよ。もうずっとその副官と仕事をしてきたのだから、急に人が変わってやりにくいのは仕方ないことだわ」
ミハエルを慰めるように言って、シホも席を立つ。
「先輩?」
自分ひとりが残されるのかとミハエルは名前を呼んで席を立とうとする。
「コーヒーを淹れるわ、ブラックでいい?」
「あ、はい、すみません」
しばらくして渡されたマグカップの黒い液体に映る自分を見てミハエルはシホに聞こえないように小さくため息をついた。
とにかく面白くなかった。
エリートであるはずの自分はここではまるで立つ瀬がない。一つ年上だという目の前の女性パイロットは見目麗しい外見とはまるで違う性格で、あの副官よりずっと手前で自分を検分しているかのようだったし、そもそも隊長自身が自分を副官と認めてはいないかのようでずっと忙しそうにしているのだ。悠然としているはずの隊長が忙しくしているのはあきらかに副官の力不足のようで居心地がよくなかった。
何より、隊長は今回の人事に関して異議を申し立てている。それが一番の面白くない理由だった。副官の異動に上官の了承を得ていないから受け入れるわけにはいかない、と申し立てをしたらしく、どうやらそれは受け入れられる方向のようで、エルスマン副官は籍をジュール隊に置いたまま後任の人選が定まるまでは新しい部隊で仕事をしている。つまりそれはミハエルの副官としての地位は砂上の楼閣よろしく、すぐに消えるということなのだ。そんな状況でいるくらいならとっととパイロットとしての配置にして欲しいとも思わなくもないが、しかしミハエルにはあの隊長の笑顔が忘れられず、少しの間でも副官として傍にいてできるならあの顔を間近で見てみたいと中途半端な状況でも精一杯仕事をしてやろうと思ったのだ。
だが現実はことごとくうまくいかない。失敗とまでは行かなくても隊長の納得する仕事をいうのはできていないらしく、ため息や舌打ちが容赦なく隊長から聞こえてくる。だとしたらはっきりと罵声された方がよかったがそういうこともするわけでもない。自分も悪いのだと言って、そのくせしょっちゅう席を立つのだから、副官としてのミハエルの面目は丸つぶれだった。ミハエルとしてはどうしたら隊長の気に入る仕事ができるのか、満足のいく結果をだせるのかを聞きたいくらいだったが、隊長の態度はまるで取り付く島がなく仕事以外の用件で話しかける隙もまるでなかった。
思ったよりもジュール隊長の前に立ちはだかる壁はずっと高くて厚いらしい。だが、難しければ難しいほどそれを乗り越えることは優秀なものにしか許されないのだということを意味していて、エリートであるミハエルはあきらめるどころか逆にどうしてもジュール隊長に認めさせてやろうと決意を硬くしていた。自分は優秀なのだ、不可能なことなどないのだとコーヒーを口にしながらミハエルは強く思うのだった。
「すみません、すぐに戻りますっ」
急にミハエルは言うと席を立って部屋を出て行く。
わからないことは確かめろ、と目の前の赤服の先輩が言っていた。ならばどうしたら希望にかなうのかなんとしても直接に聞いてやる、そう思ってミハエルはイザークの後を追うことにし、廊下を走りながら強く手のひらを握り締めるのだった。
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