「お前、何で・・・っ」
自分の部屋に戻ろうとしていたイザークは開けようとした寸前に内側からあいたドアに驚いた。そしてそれ以上にその中から人が現れたことに声を上げたのだ。
「今日、午後半休なんだ、オレ」
無邪気に言ってのけるのは褐色の肌のジュール隊の副官。隊長の私室のパスワードなんて当然知っているその人は紫の目を悪戯っぽく瞬かせている。
「・・・だからって、どうしてここに・・・っ」
ディアッカが今働いている場所は二つとなりのプラントにあるZAFTの施設に設けられた新部隊の準備室だった。期間は未定だがそちらで仕事をする間はその施設内に寝泊りすることになっていて、昼間からこんな場所にいるはずもないのだ。
驚いているイザークにディアッカはニコニコと笑いながらその腕を強引に引っ張った。
「どうだっていいでしょ。早く入れよ」
そして内側に隊長を引き入れると、ドアをロックしてその体を抱きしめた。五日ぶりの抱擁にディアッカの腕が力強くイザークの細い体をいだく。
「どうしてって、会いたいからに決まってるでしょーが」
耳元で低くささやくとイザークはくすぐったそうに身をすくめる。
「会いたいって・・・俺がいま戻ってこなかったらどうしてたんだ」
まだ通常の業務の終了までは4時間以上ある。
「どうもしないよ。イザークが戻るまで待ってるだけだよ」
そんなことはどうでもいい、とディアッカはイザークの顎に手を添えるとそっとその唇を奪う。うっとりと目を閉じてそれを受け入れていたイザークは緊張が解けたように、コトン、とその額を緑色の軍服の肩に預けた。
「疲れてんの?」
あまりみないイザークの姿にディアッカは心配そうに尋ねる。オンとオフをきっちりと分けているイザークは仕事中には人目がなくても甘えることを嫌がるのだ。
「疲れてないといったら嘘になるな」
そのままの態勢でイザークは珍しく素直に認めた。
「新人くんは使えないわけ?」
戦況が安定している現状でイザークがそこまで疲れを訴えるのは、新しくやってきたあの新人が理由という以外には考えられない。
「能力的に使えなくはないんだろうが、俺があいつを使いこなせていないんだろう・・・」
まだ一週間も経ってないのだから無理もない話だが、完璧を常に求めるイザークには準備期間なんてまどろっこしいものは必要ないのだ。しかも、自分と比べているならなおさらに完璧には程遠いのだろう、とディアッカは思う。
「そうじゃなくて、オレじゃなきゃ嫌なんでしょ?」
笑いながらディアッカはブルーの瞳を覗き込む。ムッとしながらイザークはするりとその腕から逃れた。
「言うまでもないだろ。でなきゃ人事のクレームなんて面倒くさい手続き誰がするか!」
イザークがディアッカの異動にクレームを申し立てたのはイザークとしては珍しいことだ。軍の規律を重んじるイザークは命令は命令だとどんなに理不尽なものでも甘んじて受け入れて、その中で力を発揮し、状況を覆して動かしてきた。だが、それが人事の問題となれば、一度受け入れてしまうとそれを元に戻すのが簡単ではないということは明らかだったから受け入れる前に抗議を申し立てた。見ようによってそのいいがかりのような理由付けは無茶苦茶で、強引な印象も否めなかったが、それは決して間違ってはいないからイザークは正面から申し入れた。ディアッカのことじゃなければここまでしたかどうか、そう思うほどイザークの動きは素早かった。手遅れになるのだけはごめんだ、とばかりにあちこちに確認したうえで必要な書類をそろえて正規の手続きを踏んで異議を申し立てたのだ。
「わかってるよ」
ディアッカは言うとイザークを正面から改めて抱きしめる。
「後任が見つからないんだってさ。オレって使いやすいコマみたいでさ、地位は緑だけど赤だったから色々わかってるわけでしょ。しかもジュール隊長の副官なんて看板も背負ったらさ、あっちこっちで顔が利くようになっちゃって・・・、けっこうこき使われてんだぜ」
その言葉にイザークは黙り込んだ。本来ならディアッカはイザークと変わらないくらい優秀なのだ。一つの隊をまとめて取り仕切るくらい問題なくこなせるほどに。経験の少ない現役の赤服を隊長として昇格させるよりもディアッカのような人間に新部隊与えた方がZAFTとしても人材を有効に生かすことになる、というのも本当のことだった。
だが、とイザークは思う。
ディアッカが降格してまでZAFTに戻ってきたのは自分の傍にいるためなのだ。自分の傍にいないのならZAFTにいる意味はない、そう本人が言うほど絶対の条件だった。そしてそれはイザークにも同じだった。隊長として白い服を着ることになってもディアッカがいなければやってこられたかどうか。戦時中の臨時部隊の隊長ならばともかく、停戦状況に入って落ち着いてからの隊長の仕事というのは、パイロットとしての能力だけではこなせない面も多くイザークに向いていない仕事も多かった。そんなときに言葉もなく理解している存在というのがどれほど自分の助けになっているのかは言うまでもなくイザーク自身にもわかっていた。
公私の区別をきちんとつけているつもりのイザークだったが、ディアッカがいなければこれほどに仕事に支障をきたすとは思わなかったほど、今のイザークは精神的に疲労困憊になっていた。皮肉なことにディアッカがいなくなってなおさらディアッカが副官でなければ困る、と思い知ったのだ。
「今までいい加減にやってた分、返すくらいには働け」
イザークは言って腕を回して軍服の背中をぐっと掴んだ。
「いい加減になんてしてないっつーのに。公私共に隊長を支えてるでしょ」
抱きしめた腕の中、サラサラと心地よい銀色の髪に鼻をうずめてディアッカは言う。
「・・・言うな」
支えられている自覚があるイザークは口を尖らせて抗議する。が、それもディアッカの唇によって封じられてしまった。
「まぁもう少しの辛抱だからさ。どんなペーペーな新人隊長だって問題ないくらい立派な隊になるようとっとと準備してやるから。んで、イザークのとこに戻ってくるよ」
だからもう少し我慢して?
額同士を合わせるようにして向き合ってディアッカは聞いた。それに言葉なくイザークは頷く。
「俺の胃に穴が開く前に戻って来い」
そんなことを言うイザークにディアッカは笑った。
「大丈夫、イザークの胃の粘膜はオレがキスしてやれば修復されるから」
そういうとディアッカはもう一度イザークの唇にあまいキスを落とした。そして時計を見上げたイザークはディアッカの腕から抜け出て抱きしめられて生じた軍服の皺を正す。
「なるべく早く戻る」
イザークはそう言うと自分の部屋の入口を振り返った。予告した10分はとうに過ぎていて慌てて戻ろうとするイザークは、だが、内側から伸びた腕に絡め取られる。
「っバカ、お前っ」
イザークが言うとその顔は部屋の中から現れた金色のクセ毛の頭に隠された。
「大丈夫、誰もいないって。交代時間でもないのにこんなところに人はいないよ」
言うとディアッカはもう一度イザークのチュッと軽く音を立ててキスをした。
「そういう問題じゃない、ここは公の場だぞ!」
白い服を纏ったイザークは言うが、その顔は言葉とは裏腹に穏やかな笑みに満たされていた。
「っバカ、お前っ」
通路の先からそんな声が聞こえてミハエルは思わず姿を隠した。この先には隊長の私室があるはずで、ミハエルはそこに向かおうとしていたのだ。
「大丈夫、誰もいないって。交代時間でもないのにこんなところに人はいないよ」
そんな声がしてミハエルが様子を伺っているとどうやらそれは隊長と副官の二人らしい。
どうしてこんな時間に隊長の部屋に副官が? そんな疑問を抱きながらそっと身を隠して覗いているとあろうことか副官と隊長の顔が近づき・・・二人はキスをしたのだ。
えぇっ。
ミハエルは声に出そうな驚きを慌てて飲み込んで口に手をあてる。
「そういう問題じゃない、ここは公の場だぞ!」
大きな声をあげる隊長はさっきまでのイラつきが嘘のように穏やかな顔をして笑っていた。
「じゃぁ早くプライベートなイザークに戻ってくれよなー」
からかうような副官の声がして隊長は声もなくそれに微笑んで返すとドアが閉まる音と同時に、まるで仮面をつけたかのように普段のクールな隊長の顔に戻っていた。
慌てて身を潜めながらミハエルは信じられない光景を思い返す。
二人ははっきりとキスをしていた。あれは明らかに恋人同士のキスだった。そしてそのときの隊長の顔が頭の中によみがえる。
副官といるときだけに見せるトクベツな笑顔・・・。
その本当の理由がミハエルにはわかった。二人の関係はただの隊長と副官じゃないのだ。幼馴染で元同僚というのも嘘じゃないだろうが、それが全てではなかったのだ。本当の二人の関係は。
そう思うと同時にミハエルの胸のうちに奇妙な感情が湧き上がる。一瞬見ただけだというのに隊長の顔が頭から離れない。クールで冷静な隊長がまるで少女のように見えた。遠くから見ただけでもそう思えたのだ、もし間近で見たら、自分に向けられたら・・・そう考えると何故だかミハエルの胸は鼓動を増した。
「あの二人・・・」
やっとそれだけ口にしたミハエルは混乱する頭を何とか落ち着かせるように深呼吸すると、仕事に戻るべくその場を後にするのだった。
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