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「どう?」

 着替えを終えたディアッカがイザークの着替えている部屋に顔を出した。
「ちょうど終わったところだ」
 答えるイザークは袖を通したジャケットの襟を整えている。
「へぇ、いいね」
 シルクのフロックコートはイザークにとてもよく似合っていた。下見に行ったときも試着のときも見ているのだけれど、改めて本番になってみるとやっぱり違うものだった。
「お前も馬子にも衣装だな」
 イザークはブルーシルバーの色味のものと、ディアッカはシャンパンゴールドのものを身に着けていた。
 軍服を着るという話は結局実現しなかった。ディアッカが未だに緑色の軍服だと言うのを本人以上にエザリアが気にしてくれたのだ。それにイザークにはフォーマルな服装がよく似合うからとエザリアは言い、予想通りの展開に二人はあれこれ話し合った結果フロックコートを二人で着ることにした。タキシードも候補に挙がったけれど、背の高い二人にはフロックが似合うという店員の薦めと試着してみた結果からこれに決まったのだ。確かにディアッカはすらりとしてスタイルがモデル並みだから長い裾を翻す姿は凛々しささえ漂うし、イザークも生まれながらの品のよさが醸し出されるかのようでこれ以上に相応しい服装はないように思えた。



「あぁそうだ」
 チャペルの控え室で二人きりになってディアッカは言った。
「何だ?」
 小さな部屋の扉の向こうで参列者が次々とチャペルに入っていく様子が伝わってくる。間もなくドアが閉められて全員が着席すれば、自分たちはスタンバイしなければならない。
「一つ言い忘れてたよ」
 ディアッカが笑いながら言うので今さら何を言うのだという顔でイザークは首を傾げる。
「言い忘れ?」
 もう式も始まるという時になって何を言い出すんだ、と思いつつも言い出すのを待っているイザークにディアッカは微笑む。
「うん。本当はずっと前からこう言おうと決めてたのに結局言えなかったから」
 そうしてディアッカはアメジストの瞳を瞬かせて告げた。

「Would you marry me?」

 低い声が響いた。
 それに目を細めるとおもむろにイザークは口を開く。

「Yes, sure」

 二人はこれ以上ないくらいに柔らかい笑みを浮かべた。

 間もなく係員が二人を呼びに来て、正装姿の二人はチャペルのドアの外に並んで立った。ヴァージンロードは二人で歩くのだ。新しく始まる二人の人生を一緒に歩みだす、そのための道なのだから。

「やっとここまで来たね」
「バカ、ここから始まるんだろうが」
 イザークの言葉にディアッカは「敵わないなぁ」と笑う。差し出されたイザークの手をしっかりと握りながら。
 扉の向こうからパイプオルガンの音が聴こえてきた。もちろんそのメロディーはワーグナーの結婚行進曲だ。
 そして目の前の大きな扉がゆっくりと開いていく。
 現われた二人の姿に盛大な拍手が沸き起こった。

「じゃ行こっか」
 緊張感の欠片もないディアッカの言葉にイザークは笑ってしまう。
「ったく、しようのない奴だな」 
 その言葉を合図に二人は真紅のヴァージンロードへゆっくりと足を踏み出した。

『誠実な気持ちで進み行かれよ
 愛の祝福に満ちた場所へ
 誠実なる勇気と愛の恵みにより
 汝等は貞淑で祝福された夫婦となろう』

 オペラの歌詞を思い浮かべながらイザークは胸がいっぱいになるのを抑えられなかった。
 自分たちが祝福される日がやってきたのだという事実と、この平和な世界のために散っていった多くの命を思うと幸せにならないといけないのだと改めて思う。

 ゆっくりと歩を進めると左右の席には見慣れた顔がいくつもあった。
 アスランはオーブの姫と並んでいた。あいつはいつまでたっても優柔不断な奴だと思いながらその手にある一枚の写真に気がついて涙があふれそうになる。
 アカデミーの卒業式に撮った写真。ニコルもラスティもまだみんな生きていた頃の。いつだったかラスティがディアッカとイザークをからかって「お前らの結婚式には呼んでくれよな」と言っていたけれど、アスランの奴はそんなことを覚えていたのか。気の利かない奴だと思っていたのに余計なことをしやがって・・・。
 ラクス・クラインはキラ・ヤマトと一緒だった。ストライクを憎んでいた頃はもうずっと昔だった気がするのにまだ数年しか経っていない。けれどずいぶんと時間は経ったのだなとイザークは思う。もうキラを憎いという気持ちはなかった。あの時は分らなかったいろいろなことが見えてきたら彼にも守るものがあって、それは自分と同じなのだと思えるようになった。だからラクスをプラントに迎えることになってもそれを受け入れられた。プラントを外から見た人間の意見は貴重なのだと素直に思えるからだ。実際、ディアッカの視点は自分よりはずっと広くて高いところにあると今でも思うことが多い。

「あ、シホちゃん」
 ディアッカの囁く声に視線をあげると着飾った部下の姿が目に入った。軍服はやめろといっておいたけれど、結局シホが着ているのは赤いドレスだ。だけどシホにはあの色がよく似合う。自分が同じ色を着ていたときからずっと真っ直ぐについてくる部下の存在はディアッカとは違う意味で大切だと思えた。

 そして一番前の席にいた人にイザークは誇らしく微笑んだ。

「母上・・・」

 小さな声は届いたらしく、嬉しそうにエザリア・ジュールは頷いた。

「おめでとうイザーク」

 一番祝って欲しい人に心から祝福されてイザークは力強く頷いてみせた。


 
「では誓約書にサインを」
 羽根のついたクラシカルな筆記具で二人は順に名前を記し、それを牧師が確認した。厳かな儀式は滞りなく、そしてフィナーレを迎える。
「それでは指輪の交換を」
 リングピローが中央の台に置かれ促される。シンプルで飾り気のないそれは二人にはとても似合いだった。
 最初にイザークが指輪を手にする。プラチナのリングは内側にお互いの誕生石が埋め込まれていた。ディアッカの褐色の指に銀色の輝きがすぅっと収まった。そしてディアッカがリングをとった。イザークのサイズは11号で下手をすると女性用と変わらないから一見すると二つ並んだ指輪は新郎新婦のために思えるほどだ。それをいつもより幾分緊張した顔でディアッカはイザークの左手の薬指へとはめた。細い指に吸い込まれるように高純度のプラチナのリングが薬指に収まる。

 一瞬二人は視線を交わし、そして誓いの口付けを交わした。
 ヴェールもドレスもない誓いのキスは、けれどもとても自然だった。
 その場に居合わせた誰もが二人のことをずっと昔から知っていたから、そうすることが当たり前すぎて初めて見たシーンだとは思えないほどに。

 ゆっくりと二人がお互いを見つめ正面を向く。そして牧師が結婚の成立を宣言した。

「ディアッカ・エルスマンとイザーク・ジュールは神と会衆の前でお互いの伴侶となる約束をいたしました。それゆえに私は、父と子と聖霊の神の御名においてこのふたりの結婚が成立したことを宣言いたします。人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」

 信仰なんてもっていない二人だったけれど、そのときばかりは厳粛な気分になった。神がいるなんて思わなかったけれど、自分がともに生きる相手とめぐり合えたのは奇跡みたいな確率のもとに、神が導いたからかもしれない、と。

 やがてパイプオルガンがメロディを紡ぎだし、讃美歌を全員で歌う。柔らかく優しい歌声が二人を包んだ。
 歌が終わり、祈りを捧げると牧師に促されて二人は振り返る。そこではたくさんの彼らを見守る人たちが温かい視線を投げかけていた。

「おめでとう!」
「おめでとうございます」

 次々と掛けられる言葉にはにかみながら二人はゆっくりと歩き出した。チャペルの出口にはたくさんの人垣ができていて、やってきた二人に向けて色とりどりの花びらを浴びせかける。

「やったな、ディアッカ」
「綺麗です、隊長」

「よかったな、お前ら!」
 一際大きな声がして大量の花びらが二人へむけて投げられた。そこにはオーブの代表首長である少女の姿がある。
 頭から花びらを被りながらディアッカが目を真っ赤にさせているカガリに歩み寄った。
「ブーケじゃなくて悪いな」
 言うとその胸に挿していたカサブランカのブートニアを取り出してカガリの手のひらに握らせる。
「え?」
 楽しそうに笑いながらディアッカは驚きに目を見開く少女とその隣に立つ青年に向けて派手にウインクをしてみせる。
「早く貰ってやれよ」
「ディアッカ!」
 その言葉にアスランも顔を真っ赤にさせて、周りから笑い声が起こった。カガリは慌てて手元にあった花びらをディアッカに全部かけてやる。まるでバケツをひっくり返したような大量の花びらにディアッカは埋もれかけてさらに大きな笑いになった。
 それを見ていたイザークも思いついて自分のブートニアを外し、そしてそのまま一番端に立っていた部下にそれを手渡した。
「隊長?」
「シホも早く幸せになれ」
 自分ばかりが幸せになることに気が引けるわけではないけれど、大切な部下には幸せになって欲しいと心から願うのは本当だ。
「はい・・・ありがとうございます」
 自分が主役のこんな日でも部下を気遣う上官はやっぱり人として素敵だとシホは改めて思った。そしてそれを支えているその人の伴侶も。柔らかく幸せそうに笑うイザークにシホも心から笑みを浮かべ手にしていた花びらをその人に向けて投げかけた。
「おめでとうございます、隊長!」


 フラワーシャワーをくぐりぬけ、チャペル入り口の階段の一番上に立つと二人は空を見上げた。
 そこには青い空が広がっている。

「これでやっと認められるのか?」
 不意にイザークが言ってディアッカは聞き返した。
「何が?」
「いつだったかお前が言っただろう『結婚を尻込みする人間は、戦場から逃亡する人間と同じだ』ってな」
 その言葉にディアッカは笑う。
「あぁそんなことも言ったね。でももうとっくに認められてるでしょ、オレらはさ。こんなにたくさんの人が祝ってくれるんだから」
 階段の両脇だけじゃなく、階下の芝生の庭にはいつのまにか駆けつけたのか招待をしていないジュール隊の隊員たちも多く駆けつけていた。
「・・・あぁ、そうだな」
 差し出された手のひらにイザークは自然とその手を載せる。隊長がエスコートされる姿に隊員たちからは悲鳴に近い歓声が上がった。ゆっくりと階段を下りると次々と花びらとリボンが二人へ向けて投げられた。

「イザーク」
 ディアッカの声でイザークがそちらへと向くと控えめに立つ男女の姿が目に入る。それはアマルフィ夫妻の姿だった。
「おめでとう。二人ともよく似合ってるわ」
「わざわざ来ていただいてありがとうございます」
 ディアッカが言うとイザークも頭を下げる。
「今日はお招きありがとう、私たちはニコルの代わりよ。あの子ならお祝いにピアノ演奏でもしてみせるところでしょうけれど・・・私にそれができなくて残念だわ」
「いえ、来ていただけただけで十分です」
 ニコルの死によって二人はこの夫婦と知り合うことになったのは皮肉なことだったが、命日の近くになると必ず家を訪れて親交を深めてきた。自分たちがニコルの代わりになることはできないが、せめてニコルを忘れずにいることが最期まで共にいた同僚としての精一杯できる供養だと思っていたからだ。
「そのかわり、といってはなんだけれど二人に報告があるのよ」
 ロミナはたおやかに笑い、隣に立つ夫と顔を合わせる。嬉しそうな夫妻にイザークとディアッカはなんだろうかと首を傾げた。
「報告ですか」
「えぇ。ね、あなた」
 ユーリは頷いてロミナを促す。最愛の息子の死を乗り越えて穏やかに生きる夫婦に二人はほほえましくさえ思った。夫はすでにZAFTを離れて研究職に身を置いているという。
「実はね、ニコルの妹ができるの」
 嬉しそうに、まるで蕾がほころんで大輪の花が咲いたような、そんな笑顔でロミナは言った。
「妹・・・って、それじゃぁ」
 ディアッカは驚いたそのままの顔で言い、イザークは失礼だとは思いつつ、ついその腹部に視線をやってしまった。プラントでは高齢出産も珍しくないし、ロミナはまだ十分に母親となれる年齢なのだろう。よく見ればドレスのデザインは緩やかなラインのワンピースだった。それにしてもこの年齢の女性の正装にしてはあまりない服装だ。
「ふふふ、まだ目立たないけれどね。夏には生まれるわ」
 心底嬉しそうにロミナは笑った。
「おめでとうございます」
 イザークは言ってディアッカも祝福する。
「おめでとうございます、今度は女の子なんですね」
「えぇ・・・、もう戦争なんてないだろうけれど、二度と軍人にはなってほしくなくて・・・」
 一瞬悲しそうな顔をしたロミナはけれどすぐに笑顔になる。
「本当はあなたたちのどちらかにお嫁にもらってほしかったのよ」
 冗談めかした物言いに二人は目を合わせて顔を赤らめた。この夫妻を訪れるときは親友同士として振舞っていたのだ。それがまさか結婚するなんて思ってもいなかったことだろう。
「でも、今日の二人の顔を見たら、それがいかに無理なお願いかっていうのがよーく分かったわ」
 あんまりにも幸せそうな顔しているんですもの、そうロミナは言う。
「だいいち、その子が結婚するころオレはもうおっさんですよ。オレを犯罪者にしたいんですか!」
 ディアッカが笑いながら言うとロミナも「それもそうね」と笑った。
 それはとても温かい笑顔だった。
「まぁきれい」
 ロミナの声に二人は視線をあげる。

 グリーンの芝生の遥か上、青い空で吹く風にヒラヒラと花びらが舞っている。天然のフラワーシャワーだ。

「桜だな」
「あぁ」

 二人は挙式をする時期に春を選んだ。
 気候も穏やかな暖かい芽生えの季節。新しい人生の始まりにはこれ以上相応しい季節はない。そして二人が好きな桜の花が咲く美しい季節だった。


 空を見上げる二人に優しい風が淡いピンクの花びらを届ける。 
 同時に手を伸ばし、花びらを掴もうとた二人はお互いの指先を掴みあうようになってしまう。すると花びらは羽が生えたかのようにふわふわと舞い上がる。キラキラとまぶしいコバルトブルーの空にそれは高く、高く、どこまでも昇っていく。

「天使がいるみたいだ」
 イザークがぽつりと洩らした。
 自分たちを見守っている天使はきっと一人や二人じゃないはずだ。
「ニコルなら適役だな」
 優しい少年を思い出しながらディアッカは頷いた。



「ずっと」
「ん?」
 風に舞う花びらを見上げながらイザークは呟いた。
「ずっと一緒にいるからな」
 それにディアッカの目が細められる。
「もちろん」
 言葉と同時にイザークの頬にキスをして、それを見ていた参列者たちから大きな声が沸きあがった。





 いつまでも一緒に。
 死が二人を分かつときがやってきてもずっとずっと離れないで。


 柔らかな日差しが温かい春の日に、
二人は永遠の伴侶となった。


 

FIN.










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初出:『Would you marry me?』
2007.2.11刊行


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