manicure




「ディアッカ」
 呼んだ声がいつもより不機嫌だったのは気のせいじゃなかった。
「なに、どーしたの?」
 床に座ったイザークを覗き込む。その手元には爪きりがあった。
「爪切ってんの? オレが切ってやろうか?」
 するとイザークはぼそりと一言だけ漏らす。
「・・・深爪した」
「え?」
 その手を見ると、右手の小指の先がうっすらと赤くにじんでいる。
「何やってんだよ」
 慌てて他の指を確認する。左手はきれいに切りそろえられていて、右手は小指以外はまだ手をつけられていなかった。どうやら、右利きのイザークが右手で最初の爪を切ったとたんに深爪したらしい。
 たかが小指とはいえ、キーボードの打ち込みをするには小指の痛みを気にしながらというのはそれだけでストレスがかかるものなのだ。
「・・・ったく。疲れてんだろ。不器用なんだからそういうときにやるなよ」
 言ってオレは近くの引き出しからオレが愛用している爪切りグッズを取り出した。
 イザークの肌を傷つけないように爪の手入れには気を遣っているから、道具も一通り揃えているのだ。
「・・・うるさい」
「オレが切ってやるから」
 右手を取りながらイザークの前に座り込む。イザークは不満そうな顔をしながらも、黙ってその手を差し出していた。
「深爪だろうと、擦り傷だろうとイザークが痛い思いするのは嫌なんだから、気をつけてくれよな・・・」
 そしてパチリと爪を切り出す。
「お前に関係ないだろ」
 そんなことを言うくらいなら、深爪したくらいで呼ぶなよな、と思いつつ、そんなイザークがかわいいと思ってしまうオレはほとほと重症なんだよな、と思う。
「はいはい。オレが勝手に気にしてるだけですよ」
 言いながら次々と長くなった爪を切り落とす。全部の指を終えて爪切りを床に置く。
「長くないか?」
 指先を見ながら、イザークはつぶやく。潔癖症のイザークは爪の長さにも厳しいのだ。
「まだ終わりじゃないよ。ヤスリで整えるから」
「ヤスリ?」
「爪切りだけだと割れ易くなるからね」
「そこまで必要ないだろ」
 イザークは面倒くさそうに言う。
「言ったでしょ。オレが勝手に気にしてるだけだって」
 指先を恭しく戴きながら、角をとるようにヤスリを優しく当てていく。
 そして出来上がった指先をまんざらでもないように眺めていたイザークは、ふいに口をへの字に曲げた。
「右手だけじゃバランスが悪いだろう」
 左手もやってほしいなんて天地がひっくり返ってもイザークには言えないから。その言い方がイザークらしくて笑いながら、オレは当然のように左の指も手に取った。
「はいはい。左もやりますよ。短いからあまりできないけどな」
 指を傷つけないように気をつけながら、ヤスリの裏を使って細い指先の薄いピンクの爪を磨き上げる。
「はい、出来たよ」
 左手の指もヤスリをかけ終えてイザークに声をかける。両手の指をしげしげと眺めていたイザークはぽつりとつぶやいた。
「お前は本当に、無駄に器用だな・・・」
 その声はオレ以外の誰も気がつかないような、ほんのわずかなイザークの喜びが表れている。
「イザークの役に立ってるなら、無駄じゃないでしょ」
 ウインクをしながら、爪きりの道具を片付けてオレはイザークの隣に座りこむ。


⇒NEXT