「あのさ、一つ聞いてもいい?」
オレの言葉にイザークは花の天井から視線を移した。
「何だ?」
「イザーク、他の奴のことは『きさま』って言うのに、どーしてオレのことを『お前』って言うわけ?」
ずっと前からそのことには気づいていた。いつのまにかイザークはオレのことをそう呼んでいたけど、どうしてなのかは聞きたくても聞けなかった。それって、他の奴らとは違うのかなってことを。それとも単にそばにいるから区別するためでしかないのかな、ってことを。
桜の力を借りてオレは思い切って切り出した。
寄りかかっていた木の幹から体を起こして、イザークの正面に回りこむ。
「イザークにとってオレはその他大勢とは違うと思っていいの? 教えてよ・・・」
オレより少しだけ背の低いイザークの顔を覗き込んだ。青い瞳の中にはいつもの自信に溢れた強い光が、少しだけ揺れて見えて、それだけでオレは意味もなく緊張してしまう。
イザークが下を向いたそのときだった。
ふいに風が強く吹いて桜の花びらが大量に巻き上げられた。
その花吹雪に気をとられたオレが視線を戻すと、同じように風に舞う花を見上げて幹を背にしたイザークの髪が花びらと一緒に吹かれていて。
薄紅色の風の中に、銀に輝く髪と白い肌、青い瞳が浮かび上がるようで。
その顔があまりにもきれいで、心臓だけがやたらに早く、ただどきどきといっていて。
まるでオレの魂は吸い寄せられてしまったかのように思えて。
気がついたら、その瞳が目の前にあって・・・・・・唇と唇が触れた後、だった。
「わ、わ、わ!えっ・・・・」
我に返ったオレは、絶対に殴られる・・・そう思いながら、慌ててあとずさってイザークを見た。顔から火が出そうになってるオレとは対照的に、いつもの顔でイザークはオレのことを見ていた。そして驚くほど冷静な声で言った。
「お前・・・・・・キスしたことないのか? そんなに慌てて」
半ば拍子抜けしながら、オレはぶんぶんと首を振って答える。
「いや、別にそーいうわけじゃ・・・」
「そうか」
それだけ言うとイザークはオレの二の腕を掴み、ぐっと引き寄せて・・・・・・キスをした。
一瞬何が起きたのか分らずに目を開いたままだったけど、オレは慌ててぎゅっと目を瞑った。そして所在のない両腕をイザークの背中にそっとまわす。
女みたいに柔らかな唇の感触と、どきまぎするオレとは正反対にひんやりとした体温がそこから伝わって、それはずいぶんと長い時間に感じられた。
唇を重ねるだけのカンタンなキス・・・のはずなのに、オレはどきどきする自分を止めることが出来なかった。
ふいにイザークが離れた。目を開けてみると青い瞳がオレのことを睨むように見ていて。
どうしたらいいのか分らなくて、その顔を見ていることが出来なくて、たまらずオレはその体を抱きしめた。
自然とオレの肩に頬を預けたイザークはぼそりとつぶやいた。
「勘違いするなよ、これは、ただのキス1回なんだからな」
そんな言い方をしているくせに、腕の中でおとなしくしているイザークがなんだかとてもかわいくて、オレはその髪にそっと頬を寄せた。
「うん・・・分ってる」
どんなつもりでイザークがキスしたのかわからない。気まぐれなのかもしれないし、オレへの仕返しなのかもしれない。
でもそれでも、イザークからキスしてきたってことがオレは嬉しくて、幸せで、少しだけ誇らしかった。あのイザーク・ジュールにキスをさせた自分が。自分のことしか見ていないプライドの塊のような少年の心の中に、自分の存在が許されていることが証明されたような気がして。夢の中にいるような気持ちだった。
どれくらいそうしていたのか。
ふいに体を離したイザークが言った。
「帰るぞ」
口調はいつものままだけど、顔は見せずに背を向けたまま。
「あ、うん」
言って歩き出そうとしたオレにイザークは無言のまま右手を突き出した。
上を向いた手のひらが、手をつなぐことを要求しているのだと気がついて、少し笑ってオレはその手をぎゅっと握り締めた。
返すイザークもぎゅっとオレの手を掴んで離さなくて。
どきどきするこの鼓動が、重ねた手のひらからイザークに伝わってしまうんじゃないかと変な心配をしながら。
二人は黙ったまま、ピンクの桜の舞う森の中をずっと歩き続けた・・・・・・。
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