自分で淹れたインスタントコーヒーの味はわからなかった。
 自室のモニターに表示されている数値は右から左で頭の中に入ってこない。イザークは右腕の包帯に触れている自分に気が付いた。
 アスランのつけた傷。
 いつもならきっと避けることができた攻撃をなぜだか避け切れなかった。アスランを前にしながらあんなに集中できなかったことなんて初めてだ。その理由は一つしかない。
 もう何日も経つというのに未だについさっきのことのように忘れることができない記憶。
 アスランに告白をされた夜――キスを交わした一瞬と、抱きしめられた体温が頭から離れずにずっとイザークを悩ませていた。
 どういうつもりなのかとか、ふざけるのはやめろとか、いくらでも言うべき言葉はあったはずなのに、自分のしたことはそれとは正反対だった。
 どうして。
 なんで自分はキスを拒まなかったのか。これまで完璧に自分を律してきたはずなのに、どうしてあのときは自分で自分がわからなくなってしまったのだろうか。
 アスラン・ザラは憎くて大嫌いだったのに。殴り飛ばすことすらできずに、どうして――。

『寝ぼけてなんかないよ』
『これが冗談を言う顔に見えるのか』
 
 冗談じゃないというのならどういうつもりだったのか、結局聞けないままだった。もう一度きちんと確かめたいという気持ちと、二度と口を利きたくないという気持ちが自分の中でグチャグチャになって、とにかくアスランとは関わりたくなかった。
 逃げている、と思う。こんな卑怯者みたいなことはしたくないしこんな自分は許せないのに、どうしても他にいい方法が思いつかなくて放り出しているしかなくて。
「ラクス・クラインの婚約者・・・か」
 アカデミーではそういう言い方をされている。アイドルであるラクスのおまけとしてアスランは呼ばれているのだ。だけどイザークにしてみればラクス・クラインはアスラン・ザラの婚約者だった。イザークにとってはアスランの存在の方がプラントのトップアイドルよりもずっと大きい。絶対に敵わない存在。彼がもし、婚約者などいないただの少年で自分と同等の立場であれば、彼に対して抱く感情は違ったのかもしれないと今は思う。
 なぜならイザークは気づいてしまったのだ。
 自分が抱く気持ちには、輝かしい未来が約束されたアスランに対する醜い嫉妬の感情が含まれているのだということに。自分は結婚や恋愛の分野では未来はない。それは頭ではわかっていたことだがこれまで意識することもなかった。それがアスランという存在のおかげでそのことに気づかされたのだ。アスランには幸せな結婚とその先へ続く明るい未来が約束されている。コーディネーターの中でも抜群の優秀さで何をしてもどんな分野でもトップに位置するだろうし、親の跡を継いで政治家になったとしてもそれは間違いない。そして対の遺伝子を持つ存在までも約束されていて彼の未来には輝かしさばかりで曇りの余地などどこにもないのだ。
 それに比べたら自分はことごとくアスランには敵わないだけでなく、プライベートな分野においては未来などないに等しい。ただ親の希望のままに男としてすべてを偽りながら生きて、跡継ぎとして家名を絶やさないという役割を果たすことでしか未来への道は続いていかないのだ。
「何をしてもどんなことでも、所詮ニセモノか」
 縫合した傷は少しだけ痛みを伝えているが別にそれくらいは問題ない。だがこの傷はニセモノである自分に向けてアスランという絶対の少年が引導を渡した証のような気がして、傷の深さ以上にイザークの心に深い傷を残していた。
「ふざけた奴だ、婚約者のいる立場で!冗談じゃないというのはその必要もない愚弄か」
 何をしても勝てない俺を馬鹿にするのはさぞ楽しいんだろうがな・・・そうつぶやいたイザークは意識を切り替えてモニターを切り替える。画面がブルーになったところでふと思い出して立ち上がりクローゼットの引出しの奥に腕を入れた。手の中にはフィルムに包まれた小さなタブレット。無言のまま破るとそれを口の中に放り込んで飲み下した。ディアッカの居ない隙に毎日それは続けられている。それはイザークがニセモノとしてあり続けるために欠かせないモノだった。







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