green leaf |
「どこ行くんだよ?」 講義もなく休日である週末のその日。 いつものように寮の自室のベッドの上でグラビア雑誌を読んでいたはずのルームメイトはその背中に遠慮の欠片もなく問いを投げかける。問われた少年の銀色の揃えられた髪が無造作に揺れ、整った顔立ちでキリッと睨みつけるような眼差しを伴って振り返りながらそれに答えた。 「貴様には関係ない」 こちらもいつもどおりの返答に質問者は鍛えられた腹筋で起き上がりながらニヤニヤと人の悪い笑みを隠しもせず指摘する。彼とこんな遣り取りができるのは片手の指で足りる程度しかいないが、ルームメイトである少年はその筆頭だった。 「アスランなら寮にはいないぜ。さっき玄関前で見かけたからな」 わざわざ煽りたてるように名前を指摘して言うのは常から迷惑を被っていることへのささやかな仕返しに他ならない。チェスに負けただの、成績で負けただの、何かの結果が出るたびに部屋の物に当り散らすだけ散らかして後片付けはいつも彼がさせられているのだから、それくらいしたって罰は当たらないはずだ。 「アスランに用事などあるものか!」 そうめいっぱい強く睨みつけてもその効果はほとんど無きに等しかった。彼のルームメイトはこのアカデミー以前からの知り合いであり、言い方を変えれば幼馴染にカテゴライズされる腐れ縁なのだ。いまさらどんなに振舞ってみても、モビスルーツ戦闘訓練とは違ってその言動の全ては見事に見切られているのだから。 「じゃあ手にしてるのは何だよ?チェスでアスラン以外に相手なんかいないくせによく言うぜ」 「ッ!」 白皙の肌を持つ少年は見事に顔を真っ赤にしてルームメイトを睨みつけている。それを見られれば満足だとばかりにベッドの上の少年は肩を竦めながら笑った。 「急げよ。『アスラン』なんかじゃなく『本校舎』に用事があるんだろ?アイツたしか今日の午後は外出のはずだぜ」 支離滅裂な説明の破綻には触れず、それどころか大きく見開かれたアイスブルーの瞳にルームメイトの少年、ディアッカは隠しもせず人の悪い笑みで追い討ちをかける。 「ラクス・クラインのコンサートだって話してただろ、忘れてたのかよ。勝負するなら早いとこ捕まえろよな」 チェスボードを挟んだ二人の対戦はちょっとやそっとじゃ勝負がつかない長期戦が当たり前なのだ。午後の予定があるのなら今すぐにでも始めなければ中途半端で切り上げになってしまう。勝負事には白黒はっきりつけたがる少年の性格からしたら、結末が曖昧なまま途中で終えるなどありえない事態だ。 「そういや、対戦成績ってアスランの勝ち越し?」 背中を向けた少年にディアッカはダメ押しを喰らわせる。本当はそんなもの本人に聞かずとも逐一結果報告を受けているのだから当然に知っていた。 「今日二勝して俺が勝ち越しだ」 言い切った少年はそれきり廊下に出て行ってしまう。サラサラと揺れた髪の光だけが残像のようにその空間に散らばって、彼らしい物言いにディアッカは「はいはい」と独り言の相槌を打つ。 「ったく、なんであんなに一所懸命なのかね」 自分にはとてもじゃないが理解できない。理解できないが見ているのはそれなりに楽しかったりするのだ。イザークという少年の不器用な色恋沙汰っていうやつは。 「さぁて、コーヒーでも飲むか」 そういうとディアッカは立ち上がる。ラウンジには暇を持て余したいつものメンバーが顔を揃えているはずだった。 「あ、イザーク!何そんなに慌ててんの?」 寮の廊下を駆け下りていたイザークに声をかけてきたのはオレンジがかった髪が跳ね上がっている少年だ。それに一瞬足を止めてイザークはそちらを見上げる。階段の手すりからこちらを見下ろしている同級生はクルクルと表情を変える瞳を興味深そうに向けていた。その視線がイザークの抱える荷物に留まる。 「あーそっか。一昨日の対戦でアスランの36勝35敗2分けになったんだよね!」 無邪気に、そのくせ正確に数字を挙げられて優美な眉が顰められた。ちなみに一昨日の勝負というのは射撃訓練の授業中の成績だ。 「あれは惜しかったよねぇ。だって終盤までイザークがリードしてたのに、まさかあそこでセンター外すなんて誰も思ってなかったし」 思い出したくもない状況を解説されて美しい顔は苦虫を噛み潰したように歪んでいく。それを知っても少年の顔は笑顔満面だ。ディアッカと同じくこの少年もイザークのことを何とも思っていなかった。それはこの少年がその風貌によらず優秀な成績を収めているいわば同等の能力を持つ存在だからなのか、はたまた生来の性格のせいなのかはわからないが、そういえば最初に出会ったときからイザークに向けての口調はこのままだった。 「…貴様には関係ないだろうが」 苦々しく思いながら返す言葉はあっけなく笑顔で切り返された。 「直接にはね。でも興味あるし、見てるの面白いし」 これまた無邪気に告げられて柳眉は跳ね上がる。 「面白いだとか言うな!ラスティ、だいたい貴様は、」 「アスランは忘れ物を取りに行ったよ。昨日の射撃訓練のときに射撃場に忘れ物したんだって」 見事としか言いようのないタイミングで切り返されてしまっては反論の矛先はしまいこむしかなくなってしまう。この独特のタイミングがイザークの調子を狂わせる最大の要因だった。 「俺は別にアスランのことを探してなど」 「あ、イザークが勝ったらジュース奢ってね。オレ応援してるから」 ヒラヒラと手を振るその応援の相手が日替わりで入れ替わることを知っているが今さらそれを取り上げても仕方がない。 「知るかッ!」 この少年、ラスティへの最良の対応は聞き流すことだと思っているイザークはそれきり背を向けて階段を一気に駆け下りる。銀色の髪の少年はラスティの視界からは消えて足音だけが階段に高く響いている。 「だって本当に昨日は惜しかったからさ、純粋に応援したいんだよ。ジュースはおまけだってわかってんのかな」 本当はとても優秀なくせにアスランのせいでコンプレックスばかり刺激されているから、自分くらいは認めてるって伝えてあげたいんだけど。そう思ってもああいう性格じゃ素直に言うのも聞くのもありそうもないからいつもこんなふうになるのだ。 クスリ、と笑ったラスティは一瞬考えてからその後を追うように階段を歩き出す。その目的地は二階にあるラウンジと呼ばれる場所だ。 「先に飲んで後で払ってもらおうっと」 「うわぁッ」 廊下の曲がり角であやうくぶつかりそうになって声を上げたのは、今期のアカデミー入学生で最年少の少年だった。衝突事故が未遂で済んだのはどちらも優秀なコーディネーターだからに違いない。 「イザーク・・・」 抱えた楽譜を大切にいたわりながら自分を見上げて名を呼ぶ少年に舌打ちをしそうな勢いでもう一人の少年はいきなり怒鳴りつける。 「ニコル、貴様、前くらい見て歩けッ!」 乱暴に言いながらそれでも床に落ちた一枚の楽譜をきちんと拾って渡してくれる少年に年下のニコルは笑いながら応える。 「見てましたよ。ただ僕の前方認識より貴方の走る速度が速すぎたってだけです」 それに貴方なら絶対ぶつからないでしょう、と嫌味なのか褒め言葉なのかわからないセリフにイザークは険しい視線で少年を見下ろす。 「所詮貴様の認識は役立たずってことだ」 「ええそうですね。でもアスランを探しまわってる貴方にはどんなレーダーだってきっと役には立ちませんから僕は気にしませんよ」 にっこりと、だがしっかりと嫌味を言う年下の少年に一瞬イザークは鼻白む。だがすぐに本来の目的を思い出して思考を切り替えた。 「貴様に構ってる暇はない」 手にしたボードをしっかりと握りなおしてイザークが歩き出そうとするとその背中に声がかけられる。 「アスランなら中庭にいましたよ」 「中庭?」 思わず反応して振り返ってしまった自分に気づき、イザークは悔しそうに目を見開くがニコルは何も気にしていなかった。むしろそれが当然だとばかりに頷いて続ける。 「ラクス嬢に持っていく花を摘むんだとかで。彼女はいつも高級な花ばかりもらっているから素朴な花のほうが嬉しいって言われたらしいです。今はシロツメクサが咲いてるって教えてあげたらそれでいいやって言ってましたから」 そういうところが案外ずぼらなんですよねぇ、とアスランへの批評もしっかりこめながらニコルはニコニコと微笑んだ。 「外出の時間は14時だそうです。今からだと4時間はありますけどお昼はちゃんと食べた方がいいですよ」 何もかも見通してご丁寧な忠告まで付け加えたニコルにイザークは今度こそ背中を向けて走り出す。中庭は中庭という名前の割には広大な敷地の端に位置するのだ。目的にたどり着くまでの距離が増えた分だけ気持ちが焦ってしまうのを押さえられなかった。 「ちなみに今日のランチメニューはイザークの好きなキッシュですよ」 親切にそんな情報まで付け加えたニコルをイザークが勢いよく振り返る。 「昼までには終わらせる、俺の勝ちでな!」 あっというまに姿を消した年上の少年に楽譜を抱えた少年はにっこりと笑みを浮かべた。 「勝ちを急いて負けるのはいつものパターンですからね。じゃあ僕はアスランに賭けますよ、ラウンジじゃ今頃みんな集まってるでしょうから」 たどり着いた中庭に果たしてアスランの姿はあった。だが花摘みなど少女の真似事をしていたら笑い飛ばしてやろうと思っていたイザークの目論見は残念ながらかなわなかった。 中庭のシンボルのように立っている木立の根元でアスランは緑の芝生の上に寝転がっていたのだ。気配を消して近づくと案の定目を閉じて眠っている。完全に勢いをそがれた格好のイザークは困り果て迷った挙句にアスランの近くに黙ったまま腰を下ろした。 呑気に眠っているアスランが目覚める気配はまるでなかった。ふと見たアスランの意外に長い睫毛が小さく震えているのが見えてイザークが慌てて視線を逸らすと、その目の前に広がる芝生のところどころには白い花が咲いていた。 「シロツメクサ…」 幼い頃、生まれ育ったマティウスとは別のプラントにある別荘で遊んだときにその庭で母親のために花冠を作る真似事をしたことがイザークにもある。手の届く範囲にそれがあってつい手を伸ばしてしまう。小さな白い花はイザークの指先でクルクルと回った。たしかに豪華な花束には遠く及ばないがそれなりに素朴なかわいさがあると思う。だがこれをアスランが摘むのはどう考えても似合わない。幼い子供ならまだしも、成人した男が小さな花に手を伸ばしたって笑い話にしかならないだろう。その図を想像したイザークはラクスのリクエストだからとそんなことまでするのはある意味でアスランらしいと笑いを浮かべた。そしてその先にあるものにイザークは目を留めた。 「これは…」 目に入ったのは一枚の葉。数多く広がるグリーンの中にあるたった一枚にイザークはいつかの会話を思い出した。 「四葉のクローバー?」 いよいよモビルスーツ搭乗訓練が始まった頃のことだ。自分の機体を受領し、それなりの戦果をあげれば機体へのマーキングが許されるという話になって自分ならどんなマークにするかという話題でその日のラウンジは盛り上がっていた。ニコルは音楽に関するマークがいいと言ってみんなから戦場には似合わない平和すぎる柄だと笑われて、ラスティは速そうだからという理由でパンサーだと言った。ディアッカは期待を裏切って美女のキスマークではなく日本の刀と扇子をデザインしたいと言い、イザークはギリシア神話のポセイドンのトリアイナだと宣言した。 そしてアスランが問われて答えたのが四葉のクローバーだったのだ。その理由をニコルが尋ねるとしばらく躊躇った後にアスランが口を開いた。 「遺伝子操作が当たり前のプラントじゃ四葉のクローバーなんて珍しくないけど、地球では今でも幸運のお守りとして大切にされてるらしいんだ。昔、母親が純粋種のクローバーの中で見つけた四葉をお守りにってくれたんだけど、俺にはその意味がわからなくてそのうち失くしてしまったんだ。その意味を知ってたらもっと大切にしてただろうけどね…。だから幸運のお守りって意味でもいいかな、って思って」 それが、血のバレンタインで母を失ったアスランの複雑な気持ちを表していることはその場にいた誰もが気が付いた。そしてその話題はフェイドアウトしそれきりになってしまっていたが、その後にイザークは四葉のクローバーについて調べ、キリスト教普及以前に起源を持つというアイルランドの民俗学に行き着いていたのだ。 「あれ、イザーク…?」 不意に目を覚ましたアスランが名前を呼びイザークは記憶の旅から現実に引き戻される。そして無言のまま手にしていた一枚の葉をアスランへと突き出した。 「これ…」 ゆっくりと起き上がりながらアスランはその手に渡された物が何なのかを理解した。そしてすぐ隣に座っている少年を見上げる。 小さな四枚の小葉を持つシロツメクサ。それがどんな意味を持つのかわからないわけがない。意外なことにアカデミーの中庭には遺伝子操作とは無縁の純粋な草花が勝手に生えているのだから。 「君が持っていてよ」 穏やかな笑みを浮かべながらアスランはイザークの手のひらに小さな葉を押し戻す。それと同時にすぐ隣に腰を落ち着けて改めて銀髪の少年を覗き込んだ。 「こんなもの俺は…」 「君に持っていてほしいんだ」 「…ッ」 エメラルドの瞳が穏やかに瞬いてイザークは言葉に詰まる。昨日のリベンジだと意気込んでいた勢いはすっかり失われ、なぜだか穏やかな会話に戸惑いさえ覚えてしまう。 「それは幸運のお守りだからね。一番大切な人に持っていてほしいんだ」 イザークにとって一番大切な母親はアスランにはもういない。そのことの意味にイザークの口は重くなり、裏腹にアスランは微笑んだ。 「本当は俺が守ってあげたいけど、イザークは嫌がるだろう?」 「当たり前だ!貴様が足手まといになることはあっても俺が守られるなどあるはずないっ!」 反射的に言い返したその言葉にアスランはクスクスと笑う。 「だから、ね」 触れた唇は一瞬で掠めるように過ぎ去っている。イザークは避けることもかなわずに驚きと怒りと羞恥に顔を真っ赤に染めていた。 「こんなふうに敵の不意打ちを喰らってもイザークが無事でいるようにせめてそのお守りを持っていてよ。俺が見つけたのじゃないのが少しだけ情けないけど」 さりげなくイザークの功績を指摘してアスランはその様子を伺っている。タイミングを逸して引くことも出来ず、結局イザークはおとなしくその葉をポケットから取り出したハンカチにそっと包んだ。 「俺みたいに失くさないよね」 「誰がするか!貴様と一緒にするな」 フン、とそっぽを向いたもののイザークの怒りは続かない。アスランと二人きりのイザークは必要以上には反発しないのだ。もし、今の遣り取りを他人の目の前で再現したら、イザークは間違いなく貴重な四葉をアスランに投げつけるくらいしているはずだ。だが二人のときにそうならないのはアスランの事情を理解しているイザークは反発しながらも不器用な優しさを見せてくれるからに他ならなかった。 だからこそ、アスランはイザークに特別な感情を抱いたのだ。自分に似て優秀なのに酷く不器用な少年に。そして今はそれが自分だけではないのだとも知っている。 「四つ葉のクローバーの小葉は、それぞれ希望・誠実・愛情・幸運を象徴しているとされるんだ」 イザークは不意に告げてアスランを見た。その視線の先では穏やかなグリーンの瞳が微笑んでいる。 「ならイザークにぴったりだね。君は未来への希望を抱いた誠実な人で愛情に溢れた家庭で育ち、幸運に恵まれている。それをずっと守ってくれるように俺はずっと祈ってるよ」 恥ずかしげもなくそんなことを言い真っ直ぐに自分を見つめるアスランから逃れようとイザークは視線を逸らした。だがすぐに元に戻ってじっとアスランを睨みつける。 「そういえば貴様は既にグリーンを持ってるんだな」 「え?」 「貴様の瞳は緑色だ」 その色合いを確かめるように自分を見つめたイザークにアスランは嬉しそうに笑う。 「そうだね、君の瞳に映れば四つになる…。だから俺の幸運のために君は必要なんだ」 近づくグリーンにイザークは目を閉じた。甘い口付けは芝の緑とシロツメクサの甘い香りに包まれる。 「大好きだよ、イザーク…」 それに答える声はなく、優しい風が二人だけの世界をそっと作り出していた。 fin.
2009.3.31 -1- |