愛おしい、という感情を抱いたのはそのときが初めてだった。
すぐ目の前で穏やかな寝息を立てて恋人は眠っている。秘めた関係では逢瀬もなかなか叶わなくて。それだけにつかの間のひと時は熱く激しく過ぎていってしまう。
今日もやっぱり自分を止められなくて、負担の大きかった彼は意識を失うように眠り込んでしまった。
「ごめん・・・」
理性的なつもりだった。
少なくとも彼に会うまでは自分の内側に止められない感情があるなんて知らなかった。感情は理性でコントロールするもので、感情に流されるなんて愚かな事だと思っていたのは確かだ。自分の置かれた立場や環境はいやでもそれを必要としていたから、自分にもコントロールできない感情があるなんてことは思いもしなかったのだ。
なのに、この少年はそんなものをあっけなく壊してしまった。
手を伸ばして毛布を肩に引き上げると寝返りを打つように顔がこちらを向いた。銀色のまっすぐな絹糸がさらさらと頬に零れ落ちる。まだ情事の名残を示すうっすらと朱に染まった頬に、それは酷く色香を感じさせる。
「イザーク・・・」
止められない感情がわきあがる。
抱きしめたい――。
もっともっと強く、めちゃくちゃになるほどに抱きたい。
求める声も乱れる様も、熱く淫らな身体も、全部。自分を捕らえて離さないから・・・。けれどそうすればきっとまた彼は自分を受け入れてくれるだろうけれど、負担を強いることになってしまう。
なんで、こんなに自分の心が乱れるのだろう。
たった一人の存在だけで。
一瞬の葛藤の後に、前髪に触れるとうっすらとアクアマリンの瞳が現われた。
「アスラン」
小さな声に唇を押し付ける。それに応えるように白い腕が気だるげに伸びて抱き寄せられた。
「なんて顔してるんだ、おもちゃを取り上げられた子供みたいだぞ」
苦笑されて慌てて取り繕おうとしたらパシン、と額を弾かれた。
「俺の前でまで演じる必要はない」
そんなことを言われたら自分がどうなってしまうのか、想像もしなかった。そんなこと今まで言われたこともなかったから。
「イザーク・・・」
きっと、みっともないくらい泣きそうな顔でいたのに、彼は構わないで言った。
「知ってるか? 熱が出た子供に母親が手を触れるとそれだけで熱が下がるんだ」
自分は丈夫だったからあまりそんなことをされた記憶はなかったけれど、きっとイザークはそんな経験があるのだろう。
「それは肌が触れることでヒーリング効果があるからだって話だ」
彼の意図するところがわからなくて、自分の感情を堪えるのに精一杯でろくな反応もしないままでいると、目の前の瞳が睨みつける。
「俺が思うに貴様にはスキンシップが足りなすぎる。だから毎回無茶苦茶すぎて・・・ったく、こっちの身になって欲しいもんだがな」
怒っているというわけではなく、どう解釈していいのかわからない彼の表情は柔らかいものになっていった。
「だからな」
そう言うと不意にイザークが額を押し付けてきた。
コツン、と音がしたような気がして目を見開くと、そこにはとてもきれいな笑顔があった。
「貴様の感情は俺が受け止めてやるから・・・。たまにはこうしておとなしくしてみるのもいいだろう」
まるで不貞腐れた子供をあやすような彼の言葉はお世辞にも気の利いたものとはいえなかったけれど、でも、それだけで十分だった。
なんだか触れた額が温かくて、優しいキスがしたくなった。
「キス・・・したいな」
強請るように告げるとイザークが唇を押し付けてきた。
「これくらいならいくらだってしてやる」
強く笑いながら言うイザークは、だけどやっぱり優しくて。
ぎゅっとその身体を抱きしめていた。
大切にしたい。
これからもずっと。
激しい感情だけじゃなく、穏やかで優しい気持ちで、彼を抱きしめたい。
新しく気付いた気持ちを確かめるように、白い肩に額を押し付けて堪えきれない涙をそっと隠すと、イザークの手が子供を宥めるようにゆっくりと頭を撫でてくれて、喋れないかわりにもう一度強く抱きしめて返した。
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