The summer day's afternoon
 翳した手のひらの隙間からキラキラと漏れる青空の向こうの日差しが眩しい。雲は夏向きの積乱雲で、高く、濃く、そびえる様に自己修復ガラスの近くまで伸び上がっている。足元の芝は絵の具を吸い上げたように深い緑色をして、整えられたばかりらしい長さで慎ましく空を向いていた。
 サワサワと心地よい風がのんびりと通り抜ける。
 噴水広場で遊ぶ子供たちの無邪気な声が微かに聞こえてきた。今日の気温は摂氏でいうと27度。カラリと乾いた風は夏に相応しい柔らかさで木々の若葉を揺らしている。伸ばした足の先で転がってきたサッカーボールを押さえて止める。追いかける子供に向けて蹴り上げてやると、張り切って胸でリフティングしようとした子がタイミングを逃してボールは広い芝生を転がっていく。パタパタと駆けていく足音は笑い声に混じってリズミカルなBGMになる。
「惜しかったな」
 読んでいた本から目を上げて笑う声色は穏やかで大人びているバリトンの艶、ページを繰る指先はアラバスターの彫像、細める瞳はサファイア細工の煌き。
「見てたの?」
 子供に向けた言葉は風に乗って笑顔と共に空に上がっていく。
「見えたんだ」
 読書中だったはずの青年は職業柄、特有の動体視力と視野の広さを誇るZAFTのナンバーワンパイロットだ。
「さすがだねぇ」
 白い木製のベンチの背もたれに体を伸ばしてもたれかかる。空の角度が広がって青空がぐんと近づいた。
「お前のことだ、少し本気で練習すればもっと受け取りやすいボールくらい出せるようになるんじゃないか」
「あー、ミスったのわかった?」
 体を起こしてちらりと視線を向けると広げていた本に栞を挟む。地球土産のパピルスのそれは最近の彼のお気に入りだった。遥か太古の象形文字が描かれたデザインで平和と繁栄を表しているらしい。
「それに移動速度の予測が甘いな」
「そりゃターゲットに合わせてミサイル撃つ方が簡単でしょ。モニタに全部出るんだし」
 速度から計算できるロックオンポイントと子供の走る早さを読んでのパスはその性質が異なりすぎる。不満を視線に混じらせると穏やかに口元が緩められた。
「まぁそういうことにしておいてやる」
 ぱたんと閉じられた本が膝の上から退けられて、耳にかかった髪が落ちる。日の光に透けるガラス細工のような絹の輝きは少年時代より僅かに丈を縮め、少女と見紛う美しさは影を潜め、柔らかく鋭利な美しさに変貌していた。
「途中?」
 革張りの表紙を指すと「読了までは一週間かかる」と読み始めて三日の青年は応えた。同時に長くすらりとした腕を突き出すように空にむけて伸びをする。襟を開いた空色のカッターシャツの袖からは白い肌が空の青に浮かび上がるように覗いた。
「イザークでも?」
 軽い驚きにおかしそうに笑うと脇に置いた本を手にしてページを開いた。示されたのは理解不能な記号の山。チカチカと目の裏で何かが点滅しそうな密度で紙一面が埋め尽くされている。
「せっかくだから原書で読もうと思っている」
 デザインかと思っていた表紙はどうやらタイトルが書かれていたらしいと低く唸る。その意味はまったくの不明。金箔の記号がピカピカと輝くだけだ。
「それを一週間で読む方がすごいってわけね」
「地球のお節介が現代版を送ってきたからな」
 わざわざ面倒なことをしている理由は単純すぎて笑わずにはいられない。
「相変わらずだな」
 呆れた声は一ミリグラムの重さも持たず、何をも掠めることもなく軽やかに雲に紛れて消えていった。
「けど、そーいうことされるとなぁ」
 ぐん、と同じように伸びをして起き上がりながら腕を伸ばす。空にではなく、自分の隣に。抱き寄せた体は抵抗もなくすとんと腕に収まって時間差で銀色の髪が揺れた。無言のままのサファイアは文句を言うわけではなく、可笑しさを秘めて見つめていた。
「限界か?」
 ぽつりと響く言葉はあからさまに笑い出すのを堪えていた。いたずらを仕掛けた子供がその成果をわくわくと楽しみに待ち望んでいるかのようなそれが彼のプライドのためか衆人環視のただ中だからなのかは、抱かれている腕を解かないことから明白だった。
「えー…」
「今年の企画、だろう?」
 クスリと浮かぶ笑みと同時に手のひらが頬に伸ばされる。つい、と触れた指先が容赦なく本気で皮膚をつまみあげた。
「いでっ!!」
「本末転倒だな、」
 腕の中からするりと抜けて伸び上がる体はあっという間に鼻先にあった。触れると同時に「俺からキスしてやるなんて」と嘯きながら可憐な笑顔が花咲いて、体温がコンマ二度ほど急激に上がっていく。心臓の運動量がいや増してその分思考は遅れがちになった。
「あ、っと…」
「何か忘れてるんじゃないのか」
 白々しく尋ねる唇はほんのりと濡れて桜の色に染まっている。空の青よりも芝の緑よりも吸い込まれそうな美しさは神が作り出した奇跡みたいだ。
「誕生日おめでとう、イザーク」
 思い描いた予定もひそやかな勝負もあっけなく全敗し、するすると手の中から逃げ出していく。すっかり忘れたフリをするなんて古典的なアイデアは、そもそも挑む相手が悪すぎた。古代の有名な画家が描き出した天使が大人になったかのような満足そうな笑顔に完敗を思い知らされる。
「気づいてたわけね」
「お祭男が年に一度のイベントを忘れるわけがないだろう」
 天使にしては辛らつな言葉は心地よいトゲを持って、麻薬のように心の奥に忍び込む。
「そりゃそうだよな」
 もう、どれほど繰り返したのかわからない遣り取りを、今年もまた一つ思い出の引き出しに仕舞いこむ。その舞台は洒落たレストランでもなく、ロマンチックな夜景の前でもなく、貸切の観覧車でもなく、ただの昼間の公園だった。
「でも悪くはなかったぞ」
 これまでの行動はブランチと本を携えて公園での散歩だけ。でも、それはとても掛け替えのない平和な時代だからこそ、自分達に許された時間に違いない。
「じゃあ行きますか」
「どこへ」
 立ち上がるとスニーカーの足元から緑の匂いが生まれた。お気に入りのジーンズは長い読書のお供でいつのまにか汗ばんでいる。
「ショッピングモール。予約したケーキと夕飯の食材の調達にね」
「なら、ワインは選ばせろよ」
「もちろん」
 どちらともなく歩き出すと同時に手のひらが重なった。白い手のひらは見かけを裏切る武人のそれだ。けれど歩幅はゆっくりと休日モードで、夏の風にシャツの裾がはためく。
「あ、」
 開けた視界の先、緑の中を伸びていく小路に濃い影を伴ってまたボールが飛び込んできた。ポンポンと不規則に跳ねながらこちらに向けて近づいてくる。
「イザーク」
「わかってる」
 指し示すまでもなく、繋いだ手を離しながら転がるボールに駆け寄ると、ちら、と視線を子供に向けてから白いデニムの長い脚が柔らかく蹴りだされた。だが、放物線を描いた先に子供は間に合わなかった。途中で見事に転んでいる。
 パスの失敗――。
「今のはアクシデントだからな!」
 振り向きざまにそう叫ぶとイザークは芝生に駆け出していく。子供ではなく遠くに転がっていくボールに向けて。
「まーったく」
 どうやらパスをやり直すつもりらしい後ろ姿に笑いながら、仕方なく預けられた革張りの本を抱えて子供に向かって走り出す。
 キラキラと午後の空が眩しい。
 けれどそれ以上に子供のように笑う恋人の姿は宝石のように眩しかった。







 2009.8.8







 Happy Birthday YZAK!!!