背中を向けたデスクから、リズミカルなキーボードのストローク音が聞こえる。
連続した打音が一時止み、手近な資料をめくる音。
しばらく音が途絶えて、文字を追っているらしい。
そしてまたキーボードの音。
ローラーチェアが床をわずかに移動する。
足を組みなおしたのだろう。
またきっちりとチェアを元の位置に戻して仕事に戻る。
もう一つモニターを立ち上げる。
微妙に位置を調整して。
崩れそうなほど積まれた資料が邪魔で、すこし強引にスペースを空けた。
小さな舌打ちのあと、バサバサと紙の束がすべり落ちる音。
それを無理やりに脇に追いやって座りなおし。
新しい画面でデータを検索して流しながら、元の画面に打ち込みをする。
少し手を休めて考え込む。
微妙な表現の推敲なんかじゃなく、ありとあらゆるパターンを想定してその全てを一つずつ消去法でふるいにかけて。
納得したわけじゃないらしい、キーボードを打つ指が遅い。
そして、単音の連続。
一度書いた内容を削除するデリート音。
すこし、イライラしてるらしい。
小さなため息が一つ。
無意識なんだろうけれど、思いの外、部屋に響いている。
チェアが下がる。
そのまま立ち上がって。
「ディアッカ」
背後から声が降って来た。
「なに?」
首だけを傾けて見上げると、眉間に皺が寄っている、我らが隊長の姿。
「おまえ・・・さっきから何、人のこと観察してるんだ?」
さすがにお見通しかと手を止めてイスを回転させる。
「観察って?」
ニッコリと笑ってみせても、皺が消えない。
「肩越しに気配探って楽しんでるだろう? 手元が動いてないじゃないか」
どっちが探ってるんだか、と思ったことは顔には出さずに。
「動いてるよ、ちゃんと」
速度はだいぶ落ちてるけど。
画面を流れていくデータを見せる。
それなりにやることはやってますよ、とアピールすると器用に方眉だけ顰められた。
「検証中なら、他にすることあるだろうが」
いくらでも立ち上げるモニターはあると、視線で指摘する隊長はそれ以上言う気はないようで。
不機嫌の自覚、はあるらしい。
「することって?」
とぼけてみると、ムッとした顔を隠そうともしない。
「思いつかないなら、紅茶でも淹れろ」
素直に紅茶が飲みたい、と言えないあたりがまだまだだけど。
要求してきただけよくできました、と内心で採点しつつ。
「オーケイ、でもその前に」
言って強引に腕を引いた。
バランスを崩して机に突こうとする腕も攫って、受け止める。
「ディアッカ、何してっ」
ぎゅっと抱きしめると耳が真っ赤に染まった。
「疲れてるんだろ? ちょっと休憩、ね」
「休憩って、お前・・・っ」
口では抵抗してるけど、体は腕の中に留まったまま。
席を立ってここまで来た時点で、甘えたがってることくらいわからないわけないじゃない?
視線だけで言うと、尖った口元を隠すように緑の軍服に頬をうずめる。
「調子よくないね」
「そんなことない・・・」
強がりは今さら。
「じゃぁ、ここまででやめとこうか?」
笑って言うと、意味を理解して。
素直になれないもどかしさで表情が曇る。
キスしたい、なんて言えるわけないってわかってるけど。
たまには意地悪もしてみたくなる。
「なんてね、嘘。キス、したいのはオレだし」
途端に安心したように瞳が和らいで。
瞳の蒼が長い睫毛の下に消える。
重なる唇の先に、ほんのりと熱が生まれて。
腕の中で身体の力が抜け、すべてを預けられる。
「感じたんだよね、肩越しに」
短く言うと不思議がる顔が、警戒心なさすぎて。
「何をだ?」
離したくなくなる。
「イライラして、キスしたがってるの」
がばっ、と剥がれそうになる体をぎゅっと抱きしめて。
「だーめ。まだ離さないよ」
頬まで赤い隊長を独り占めしてる自分の幸せを実感しつつ。
もう一度、そっと口付けた。
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