命令するキス



「ちょっと、イザーク、なんでこれがオレの仕事なわけ?」
 ジュール隊長の執務室を断りもなく開けながら、副官であるディアッカ・エルスマンは開口一番にそう言った。手には今朝通達された命令がプリントアウトされた用紙が一枚。
「やかましいぞ、ディアッカ。仕事に文句を言うな」
 デスクから立ち上がりもせずに上官であるイザークはそんなディアッカを一喝する。
「だって、こんなのオレじゃなくたってできる仕事じゃん」
 仕事の内容は辺境のプラントへの警備用MSの移送とそれに関する諸手続きの一切というものだった。
「確かにそうだが、お前がやってはいけないということでもないからな」
 この手の仕事はMSパイロットの中でも一般クラスのものが担当することが普通だ。ディアッカは身分こそ一般士官とはいえ、隊長付きの副官だし、過去の実績から特例扱いで、搭乗するMSもエースパイロットクラスのものが与えられている。ジュール隊の中でもその立場は隊長に次ぐ者とされているのだ。
「なんだよ、それ。シホちゃんだって、他の奴だっていくらだっているだろ」
 前方からデスクに乗り上げて腰掛けるとその紙を叩きつけて、ディアッカは腕を組んでイザークを睨む。
「シホはだめだ。その期間はアカデミーに赴任しているからな。他の赤の予定も埋まってる」
 眺めていた資料の束をぽんと投げ出しながら、イザークは言った。
「別に、赤じゃなくてもいいだろ、移送の警備くらい」
 すると、イザークはデスクに足を投げ出してディアッカを仰ぎ見る。
「だめだ。あの辺りは海賊が多く出現してる不穏宙域なんだ。だからわざわざうちの隊を指名してきたくらいだからな」
 ジュール隊は隊長個人の輝かしい経歴も有名なら、その作戦の成功率の高さと損害率の低さでも有名だった。それはイザークという人間の能力の高さと、カリスマ性の強さを表している。そしてわざわざジュール隊を指定してきたというのだから、エース以外に担当させて問題が起こったらジュール隊としての面目にかかわる、イザークは言外にそう告げた。
「だからってさー」
 なおもディアッカはごねる。仕事に関しては物分りのいいディアッカにしては珍しいな、とイザークがその理由を考える。そして一つの理由に思い当たった。と同時にイザークは笑う。
「お前、休みのことが引っかかってるのか?」
 図星、と顔に書いたディアッカはばつが悪そうに横を向く。
 指定された内容をこなすには往復で5日近い時間がかかるのだが、その期間にイザークは2日間の休みを取ることになっていたのだ。
「俺の休みをいつ取ろうとお前には関係ないだろう」
 意地悪くイザークは言う。ディアッカが休みを同じタイミングで取ろうといろいろと調整しているのをイザークも知っているのだ。
「本気で言ってんの?」
 イザークだって休みを一人で取るつもりなんてないくせに、と目で伝えてディアッカは睨む。
 余裕のない副官の様子にイザークは楽しそうに微笑んだ。滅多に見られないその姿は、数少ないイザークだけが知る素のディアッカ・エルスマンだったからだ。
「俺は本気だぞ」
 悠然と立ち上がり、デスクを回り込むとディアッカの前に立ってイザークはその両腕をディアッカの肩に預けるように乗せて、副官の顔を見上げた。
 ムッとした顔をして見下ろす紫の瞳にイザークは口の端を上げて笑うと、つい、と伸びあがってその唇をディアッカに押し付けた。
 不意な出来事に驚いて固まるディアッカを楽しそうに見遣るとイザークはその場を離れる。そしてデスクから離れた場所にあるソファに座ると振り返らないで付け足すように言う。
「今のは仕事を完遂させるための餌だからな。ちゃんとしろよ」
 手をひらひらと振ってからかうような仕草にディアッカはさらに膨れる。
「なんだよ、餌って。ひでー言い方だな」
 そのままドカドカと部屋を出て行こうとするディアッカの背中にイザークが忘れていたとばかりに声を投げかける。
「あぁ、俺の休みはお前が帰ってくる次の日からに変更したから」
 そのとたんにディアッカの足は部屋を出る寸前でぴたりと止まる。振り返ったディアッカの顔は見ている方が恥ずかしくなるくらいに笑顔満面だ。
「イザーク!!」
 ソファの背後から近づいてイザークを背から抱きしめると甘えたような声を出す。
「わかったか。命令をこなすのにキスまでしてやったんだ。ちゃんとしなかったら承知しないからな」
「りょーかいっ!ばっちりやらせてもらいますって」
 現金な奴、というイザークのつぶやきは無視してディアッカはソファの背もたれ越しにイザークの頬にそっとキスをして返した。
「こら、執務中だぞ」
 イザークは怒鳴るがこの部屋に他の人間はいない。第一先にキスをしたのは他ならないイザーク自身なのだから説得力なんてあるわけなかった。
「命令のキスへのお返し。了解のキスだよ」
 ニコニコと笑うディアッカはすでに立ち上がって出口へと向かっている。この部屋に入ってきたときとはまるで正反対の様子にイザークは苦笑した。
「仕事ミスるなよ」
「わかってるって。昼メシにまた来るから」
「あぁ」
 そしてディアッカは部屋を出て行った。閉まったドアを見ながらイザークは小さく笑う。仕事がらみで自分からキスをしてやるなんて、随分甘くなったものだな、と思いながら。



END



2005/9/12