カラン。
ブランデーが入っていたグラスの氷が澄んだ高い音を立てた。イザークは気にせず、グラスを置くとそのまま視線を分厚い本の上に戻す。
「もっと飲む? それとも他の?」
コースターごと手元に引き寄せながら聞くと、しばらく考えてから「カルーア」という答えが返ってきた。
「珍しいな、カルーアなんて」
グラスとリキュールをサイドボード取り出しながら、そんなことを言ってみる。どうせ意識の半分以上は本の世界に飛んでしまっているんだろうから、返事なんてないのは百も承知で。
「甘いのが飲みたい・・・」
予想外の返答に軽く驚きながら、別のリキュールも取り出して並べる。
「甘いのなら、マリブは? ミルク入れてホットもできるぜ? カルーアより甘さが残らないから」
コーヒーがあまり好きじゃないイザークにはカルーアよりもずっといいだろう。
「それでいい」
頷くとそのまま本に戻っていく。もうすぐ寝るのだから、冷たいよりは温かいほうがいいだろうと、ホットミルクを作りにキッチンに立つ。
その間イザークはずっと黙って、久しぶりに手に入れた新しい本に夢中になっているようだった。
「できたよ」
ほのかに湯気をあげながら、それでも猫舌のイザークには熱くない程度に抑えたホットのマリブミルクをイザークの前にそっと置く。
「マグカップ?」
カクテルがそんなものに入って出てきたことに少し驚いたような顔をしてオレの顔を見返した。
「ホットにしたから。それともアイスのほうがよかった?」
「いや、別に構わない」
そしてイザークのお気に入りのマグカップに入ったカクテルをゆっくりと持ち上げて口にする。警戒するようにそっと近づけながら、ネコがヒゲをピンと張り詰めるようにして、液体の温度を充分に確かめるとゴクンと一口飲み込んだ。
「・・・うまい」
その顔がほっとして緩んだことがイザークの満足度を表している。
「そ。よかった」
自分に用意したマティーニを口にして、オレはにっこりと笑う。
イザークがまたページをめくり始めて、オレもなんとなく雑誌を眺める。別に読みたい記事があるわけじゃないし、ソファに寝転んだっていいのだろうけど。
イザークと一緒に、イザークを見つめながら静かにすごす時間がどれほど大事なことか、ようやくわかったから。
イザークがそこにいるなら、オレもそこにいる。
それだけのことを手に入れるのにずいぶん遠回りもした気がするけど。
「イザーク」
ふいに思いついて目の前の人を呼んでみる。
「なんだ?」
「イザークは奇跡なんて信じないよね?」
「藪から棒に何を言うんだ」
まったく怪訝そのものの顔で見つめてくる顔が、アルコールのせいかいつもよりほんの少しだけ甘く見える。
「別に。ちょっと思っただけ」
「信じないわけじゃない。常識では考えられないことが起こることを言うなら、ありえなくはないからな。だがそういう場面に居合わせたことがないから、信じられないだけだ」
きちんとした理解のうえに成り立つ冷静な思考。彼らしい、生真面目な解釈。だけどそれはオレの理解とは別のもの。
「ふぅん、そう。じゃぁイザークが奇跡の上にいるとしたら?」
意地悪く言ってみると薄銀のキレイな眉が片方だけ顰められる。
「奇跡の上?」
「イザークとオレがこうしてここにいることが奇跡だといったら?」
思っても見なかった言葉に一瞬目を見開いたイザークは、オレの言いたいことが分ったのだろう、どこか遠くを見るような目をした。すべてを口にしなくても言いたいことが分るのは、オレの専売特許だと思っていたけれど、伊達に何年もそばにいるわけじゃないのだと気づかされる。
「・・・だとしたら信じてやってもいい」
そういうとマリブミルクをまた一口飲んで、ふっと笑ってオレに目線を合わせる。
「それはどーも」
自分の一番好きな人が、自分を一番好きでいてくれることだって、すごいことなのに。
その二人ともが軍人として最前線で戦って、どれだけたくさんの命が散ったかわからない戦争で生き残って。
一時は敵同士のような立場にさえなって。そして月日を経てその二人が穏やかにただゆっくりと一緒にいられるとしたら。
それはきっとものすごい奇跡なんだろうな、と考えたことだったのに。
目の前のイザークの笑顔がとても柔らかくて。口にしたマティーニよりもその笑みにすっかりオレは酔わされてしまって。
そっとその頬に手を伸ばして触れながら、なんだかどうでもいいや、って思ってしまうくらいに思考がまったりと溶けていった。
END
2005/5/26
うちの二人はどちらも酒に強いという設定なのですが、
酒に酔うよりイザークに酔ったディアという甘ーい話が書きたくて。
ディアッカの振った話はどうでもいいって感じですが、
イザークの「ふっ」て笑いを引き出したくて小難しい話をさせてみました。