―― Sweet Chocolate ――

雑踏の中、目に飛び込んできた看板に目が留まる。ブルーにゴールドの特徴のあるロゴは、母親が好んでよく買う洋菓子店だった。店頭の赤やピンクのデコレーションに、数日前のシホとの会話を思い出す。数瞬迷ってからイザークはつま先の向きをくるりと変えた。

「おかえり〜、エザリアおばさんは元気だった?」
 ロックを解除する音にエプロン姿で玄関に向かうと、ドアを開けたイザークが立っていた。
「あぁ、相変わらず忙しそうだったがな。次はお前の顔も見たいそうだ」
 本当はディアッカも行くつもりだったのだがどうしても仕事の調整がつかずにイザークが一人で顔を見せに行ったのだ。
「そういえばだいぶ会ってないね、おばさんとも」
「随分帰りが早かったんだな」
 本来の予定ではこの時間はまだディアッカは帰っていないはずで、予想もしないディアッカの姿にイザークはちょっと驚いたようだ。その動揺はディアッカ以外の誰も気付かないくらい些細な表情だったけれど。
「思ったほど時間がかからなかったんだ。まぁミーティングなんてそんなもんでしょ」
 先ごろ配属になった新人と従来の隊員との間に最近少なからずトラブルが続いていてその解決のための話し合いというのが今日の予定だった。そういう場所での調整役としてのディアッカが借り出されたのだ。
「そうか、それで問題は解決したのか?」
 心配などまったくしてない顔でそれでも一応は隊長としての顔で訊いてくる。
「シホちゃんがいたからね、オレなんてすることなかったよ」
 後輩の頼もしさに笑いながら言う。そのシホとてディアッカを頼りにしているのは本人とて承知しているが、あのしっかりものの少女はなかなかに貴重な存在だ。
「かなり手の込んだメニューのようだな」
 ディアッカの料理はもはや素人の域を超えている。時間があればプロ並みの腕を振るうし、ないときはないときなりにこれまた器用に手早くおいしいものを作り上げる。
「時間が早かったからちょっと食材買いこんできた。イタリアンの予定だけど」
「そうか。それは楽しみだ」 
 言いながらイザークはリビングから奥にある階段へと足を進める。さりげなさを装いながらもどこかぎこちないその身のこなしに笑い出しそうになるのを懸命に堪えた。イザークの数段上をいくポーカーフェイスは微塵もそれを恋人には気付かせない。
「先にシャワー浴びてくれば? 出来上がりまで時間かかるし」
 促してやればイザークは「そうするか」といつもの調子で答えてみせる。
ベッドルームの隣にあるバスルームへイザークが消えてから数十分。テーブルの上に見事な料理の数々が並び、それを待っていたかのように洗い髪にコットンシャツ姿のイザークがダイニングへと降りてきた。
 席に着くイザークにソムリエの真似事をしながら慣れた手つきでワインをサーブする。向かいの席に座りながらディアッカはそれとなくイザークに探りを入れてみた。
「そういえば、シホちゃんが明日はイザークにチョコ渡すって張り切ってたなぁ」
「そんなことを言われたな」
 興味なさそうな顔をして、なのになんとなく落ち着きない視線で切り分けたピッツァを皿に取りながらイザークは答える。
「明日はバレンタインだもんな。今年はオレ何個もらえるかな」
「残念ながら何年経とうとも俺には勝てんぞ」
 去年は13個差でイザークの勝ちだった。
「別に勝てなくてもいいよ。イザークからの1個がもらえれば」
 さりげない一言にイザークの手が一瞬止まる。
「誰がやるか。女みたいな真似できるわけないだろうが」
 去年も同じセリフを言ってイザークはそっけなかった。代わりにキスを頂いたからそれでよしとしたわけだけれど、やっぱり恋人からのチョコは特別なわけで。
「ケチぃ・・・」
 そう口では言ってみたものの。
 ディアッカはしっかり見てしまったのだ。玄関でイザークが背中に隠した小さな紙袋を。背にした靴箱の扉の一つが鏡になっていて、ばっちりしっかり店のロゴが見えるくらいに。
 だけど気付かないフリをしたのは、イザークが隠したのだから明日までは気付かないでいてやろうという恋人としての思いやりというやつで。それでもなんとなく話題にしてしまうのは若さゆえだ。
 どんな顔して買ったんだろうかとか、どうやって渡すつもりなのかとか考えると、明日まで待っていられないくらい気持ちは逸ってしまうけれど、それはまぁ一日くらい・・・というか日付が変わるまでの数時間くらいは何とか我慢してみせようじゃないの。
思わず笑みをこぼしたディアッカにイザークが眉をしかめてみせる。
「何笑ってるんだ」
「別に」
「やっぱりお前の料理はうまいな」
 その笑顔はチョコなんかよりずっと甘くて、ディアッカはたちまちノックアウトされる。
 あぁもう!これじゃ明日の朝、起きられなくなっても知らないからな。だけどまぁバレンタインなんだからそれもありかな。
 そんなディアッカの思いなど露知らずイザークはおいしそうに食事を続ける。けれどその心の中ではどうやってチョコを渡そうかとどこか浮かれて思案しながら。


-1-




fin.


2007.2.118(イベント配布ペーパー