桜 色

「桜ってさ」
不意に発せられた言葉にイザークは一瞬遅れて反応した。
「なんだ?」
「出会いと別れの象徴なんだよね、オレにとって」
 運転していたエレカを脇に止めてふと目を細める。見れば視線の先には風に揺れる桜の並木があった。
「出会いと・・・別れ?」
「そ。ほらオレ、小さい頃地球にいたことがあったじゃん」
 ディアッカは幼いころ数ヶ月だけ祖父母とともに地球に暮らしていたことがあるのだという。
「あぁ・・・それが何か関係あるのか」
「うん、日本にいたからね、ちょうど今みたいに桜が綺麗な時期だったんだけど」
 日本というのはアジアの一地域で、ディアッカの祖父母のルーツでもある土地だ。
「そこで出会いと別れを経験したのか?」
 まだ物心ついたばかりの子供が経験したことなど大したことないだろうと思っていると、その横顔がかすかに曇るのがわかった。らしくない表情になぜだか視線が奪われる。
「初恋、まではいかないけど、憧れてたのかな・・・」
「貴様のことだ、きっと年上の女にでも惚れたつもりだったんだろう、マセガキが」
 自分が知らないディアッカの過去。それはなんとも言い難い居心地の悪い時間に思える。
「ひでーな!確かにマセてたかもしれないけど、そこまで悪く言うことないじゃん。素直な子供心の憧れだっていうのにさ」
 遠く桜を見ている視線の先はきっと今という時間じゃなく、そのときの日本のその場所にあるのだと思うと戻せない時間のもどかしさが二人の間に割り込んで思い出に立ち入ることを許さないように存在していた。
「オレが3歳のときだから14歳上のお姉さんでさ、コーディネーターのオレに優しくしてくれたんだ」
「ナチュラル、だったのか」
 驚きをそのまま言葉にするとディアッカは小さく苦笑いした。
「日本なんて国ではまだまだコーディネーターは化け物だって意識が強かったのに、こんな肌の色と髪の色してたオレと毎日遊んでくれて。嫌な顔なんてちっともしないで」
 緩く微笑む様子は、幸せだった時間を今でも大切に覚えているのだと何より確かに示している。
「それが出会いなのか」
「いや、逆。そのお姉さんが急に留学することになって突然さよならって言われたんだ。そのときに桜の枝をオレにくれて『プラントにもきれいな桜が咲くようになるといいわね』って。そのころはまだプラントに桜があるなんて知らなかったから、地球だけのものだと思ってて、オレは毎日のようにそのお姉さんと桜の並木を歩いてたから」
 地球の並木はきっとプラントの比じゃないくらいに古く大きな幹にたくさんの花が舞う美しい光景なのだろう。
「その枝はどうしたんだ?」
「プラントには持ち帰れないから祖父母の家に植えたけど。その家も処分されちゃったからなぁ・・・」
 残念、という横顔はディアッカが本当にそのときのことを大切に思っているのだというのが分って、だけど少しだけ悔しい気持ちが湧き上がる。それを無理やりしまいこんで気になっていたことを聞いてみた。
「なら出会いっていうのは何だ」
 聞かれたディアッカはふっと笑うとこちらを向いて、そして不意打ちに唇を重ねた。
「・・・!」
「忘れてるなんて酷いな。出会いの思い出はイザークとだよ」
 その言葉に記憶の底に眠っていたシーンが一気に蘇った。
 舞い散る桜の世界に一人きりで泣いている自分。
「あ・・・あれはお前だったの、か・・・」
 楽しそうに笑う顔に、かぁぁと頬が紅潮していくのがわかる。「なんで今まで黙って・・・!」
「思い出してくれるのを待ってたんだけどね。あんまりいつまでも忘れてるみたいだから自分だけの秘密にしておこうかと思って」
 思い出さないことを責める代わりに、そっと抱えた秘密を独り占めしていたと白状する顔は、さっきまでとは打って変わって楽しくて堪らないという様子だった。
「ディアッカ、お前っ」
 恥ずかしくて堪らず殴りかかろうとした腕は軽く受け止められて、そのまま力強く引き寄せられる。
「感謝してるんだイザークには。おかげで桜も好きになったし」
 悲しい思い出は新しい出会いに塗り替えられて、そして今の自分がいるのだと。交わる視線だけで言いたいことなど十分に伝わってしまう。
「それに」
 言いながらディアッカの手が頬に掛かる髪を掬って耳にかける。くすくすと笑う声に視線を上げればアメジストの瞳がこれ以上ないくらいに甘く瞬いていた。
「イザークが照れたり感じたりすると見事な桜色になるから、オレが一番好きな色なんだぜ」
 知ってた?と囁く声はダイレクトに耳に触れてたちまちに背中に電流が走る。
「っ、バカ!」
「ホントだよな、こんなところで」
 無理やりに突き飛ばした腕をもう一度掴み取ると掠め取るように唇が触れた。
「あと5分我慢してよ。そしたらイザークのこと、桜色に染め上げてあげるから」
 答える代わりに耳と頬が真っ赤になっていくのがわかった。
 ディアッカの好きな桜の色に。





初出2007.3.4
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