new year day

「あ」

 小さく呟かれた音をディアッカは聞き逃さなかった。

「どうかした?」

 寒がりの恋人は肩までシーツに包まりながら気だるそうに寝返りを打つ。

「時計・・・」

 壁に埋め込まれたデジタルの時計は間もなく日付が変わることを示している。

「今年も一緒だね」

 年を越す瞬間。
 同じ空間にいられるだけでそれはとても幸せなことだ。
 一年前の自分たちは戦艦の艦橋で星を見ながらクルーたちと一緒にミネラルウォーターで乾杯をしていた。

 そして今年は地上勤務の通常シフトのおかげで遅めの夕食を一緒にとって、こうしてベッドの中で互いの体を温めあっている。

「今年も・・・そうだな」

 思えばいつからこんなにセンチメンタルになったのだろうか、とイザークは思う。
 昔は誕生日を迎えることも年を越える瞬間にも特別な感慨なんてなかった。だけど、今はその瞬間を意識してしまうほどには気になるようになっていた。
 
 たぶん、若くなくなったからだ。

 実際の年齢は平均寿命からしたらまだまだ若輩者の域を出なったけれど、それまでに経験したことを思えば老成してしまうには十分なほどいろいろなことを見て、得て、感じてきた。
 なんど命が消える瞬間に立ち会ったことか。
 なんど自分が死の淵に立たされたことか。
 どれほどの友を失ったのだろうか。

 だからこそ。

 直ぐ隣にいる存在のありがたさと自分が生きていることへの感謝の念が自然と沸いてくる。
『来年もこうしてずっと一緒にいような』
 口癖のように言われてきた言葉の重みが今さらながら胸に響いてくるかのようだ。

 ニコニコと笑う顔はすっかり大人になってしまって、バカみたいにじゃれあっていた時期は二度とやってこないのだろうけれど。
 何も語らずに抱きしめあう幸せが大切だと思えるようになるまで、同じだけ時間を過ごしてこられたのはとても恵まれているのだと思う。

「来年もまたずっと一緒にいような」

 不意に告げられた言葉に、ヴァイオレットの瞳を瞬かせてディアッカは甘く笑う。

「イザークにそんなことを言われるなんて思ってもなかった」

 不意打ちだな、と呟きながらその手が銀色の絹糸を撫でる。

「たまには俺が言ってやっただけだ」

 そのセリフに恋人は目を細めた。
 思わずもれた言葉はそんなふうに言ってしまうくらいにいつも一緒に過ごしてきたのだという証にほかならないのだから。

「たまにはじゃなくていつも言ってくれたらいいのに」

 甘えるようなセリフに、けれど恋人は眉をしかめて軽く睨みつけてくる。

「言えるか!」
「だよなぁ」

 くすくすと笑いながら残念なのに嬉しそうな顔をしてディアッカはその腕を伸ばす。抱え込むようにして自分を引き寄せる腕を当然のように受け入れながらそれに頬を押し付けると、銀色の髪がサラサラと零れ落ちた。

「でも、そうだな」
「ん?」

 すぐ目の前のアクアマリンの瞳に悪戯っぽい色をみてとると、額を押し付けながら聞き返すとさらに甘い色に染まる顔がそこにはあった。

「来年も同じ状況だったら言ってやってもいいぞ」

 またこうして何事もなく年を越せるときが来たなら・・・。
 そのとき、自分の隣に同じ顔があるのなら。
 少しくらいの我が侭を聞いてやらないこともない。
 尊大ぶった言葉に秘められた思いに気づかないディアッカじゃなかったから、やれやれとばかりに口角に笑みを乗せてそのまま唇を寄せる。

「じゃあ今から根回ししないと」

 地上勤務でゆっくりと新しい年を迎えられるように。ジュール隊の優秀な副官はあちこちに手を廻して要塞駐留がその時期にならないように忙しく動き回ることだろう。

「でもその前に・・・」

 それを合図にするように淡い銀色の睫毛が伏せられる。

「Happy new year」

 囁きとともに落ちた口付けにうっとりと答えながらイザークもまた小さな声で告げた。
「Happy new year・・・ディアッカ」

 時計が示す時刻は交わされるキスの合間にゆっくりと進んでいく。
 こうしてまた少しずつ同じ時間を重ねながら歩いていこうと、お互いに胸の中で誓いながら、新しい年が始まった。











「まさか新年早々お二人が慌てている姿を拝見できるとは思いませんでした」

 朝礼に滑り込んだディアッカにシホの言葉は手厳しい。
 イザークだって一緒だったのに、と訴える視線はあえなく無視されてジュール隊の尊敬を集めている副官は年下の後輩の説教に所在なげにうなだれてみせた。

「そんなフリされても何も変わりませんよ」

 ははは、と乾いた笑いを浮かべて顔を上げたディアッカにまったくもう、とシホは呆れ顔だ。

「そんなつもりじゃなかったんだけどね」

 まさか新年最初の出勤日に遅刻をしそうになるとは予定外もいいところだ。

「当たり前です」

 ばっさりと切り捨てるシホに通りがかったイザークきまりが悪そうな顔を見せて歩み寄る。

「シホ、その・・・すまなかったな」

 謝る隊長に視線を上げたシホは、だが思わず言葉を失ってしまう。
 
 軍服の詰襟の影、サラサラと輝く銀髪の下に見えたのは見間違えであって欲しいと願ってしまう鬱血の跡。

 あぁまったくなんてことだろう。
 新年早々の遅刻の理由が、夜更かしによる寝坊だなんて。
 憧れの隊長は確かに厳しすぎるところもあったけれど、何もここまで丸くなってしまわなくてもいいのに。

「いえ、結果的には何の問題もありませんから」

 ぎりぎりで間に合ったのだから、と情状酌量の態度を見せるシホに「オレとは随分違うじゃないの」とディアッカは不満顔だ。

「そうだ、これを」 

 言うとイザークはデスクの上に置いた紙のバッグから小さな袋を取り出した。

「あ、ありがとうございます」

 手渡された和紙の袋には何かが入っているらしい。覗き込む素振りを止める様子もないのでそのまま開くとシホの目に入ったのは白い小さな塊だった。

「隊長・・・これは・・・」

 それに答えたのは始終傍にいる優秀な副官だ。

「お年玉だよ」
「お年玉・・・?」
「歳神への供物である鏡餅のおさがりがその由来だ」

 敬愛する隊長の説明にシホは曖昧に頷く。 
 詳しくはない地球の習慣もこの二人の近くにいることでだいぶ知るようにはなったが、これは初めての経験だった。

「それに、これは歳神さまの加護をもらうことになるから幸福を得られるって意味もあるんだぜ」

 なんだかんだと隊長と同じように民俗学に詳しいらしいディアッカのフォローで漸くシホは納得した顔になる。

「そうなんですか・・・、ありがとうございます」
「ちなみに中はほんとのお餅」

 お供えのお下がりだからね、とウインクを寄越す先輩にシホは思いついてにっこりと笑った。

「では、ぜひディアッカ副長にお汁粉でも作っていただかなくては」

 いつだかご馳走してもらったお汁粉はとてもおいしかった、とシホの記憶が鮮やかに蘇った。

「えぇオレがぁ」
「そうだな、それがいい」

 隊長の後押しも得てシホの笑みは力強く遠慮がない。

「じゃあ次の休みのときにでも作るかな。ちょうど鏡開きの時期だし」

 だが、そう言って背中を向けたディアッカにシホは釘を刺すのを忘れなかった。

「次の休み明けは寝坊しないでくださいね」
「シホちゃん・・・」

 困った顔で自分を見てくる副長と視線を逸らす隊長はめったに見られる顔じゃなくて。
 たぶん幸せな年明けを迎えたのだろうなと思うと許してやるかという気持ちになってしまう自分はどうにもこの二人が好きなのだなと、悔しいけれど認めざるを得なかった。

「冗談です。整備班のミーティングに顔を出してきますね」

 敬礼をしてドアの向こうに姿を消した少女は、いつのまにやら随分と寛大になったらしい。

「少年老い易く・・・てのは本当らしいね」

 もっともシホちゃんの場合は少女だけどさ。
 言って笑うディアッカにイザークもつられて笑う。

「まぁ年も明けたことだしな」

 そうして。
 ジュール隊の年は明けた。

 尤も、こんな遣り取りを知るのはこの場にいる三人だけだったけれど。


 
 

2007/1/1


2013/3/22 up