between the sheets
間接照明のライトがほのかに足下を照らす寝室のベッドの上で、淡いブルーのシーツは乱れ、幾重にも波が重なるようにベッドの片隅に流れていた。
その上で熱情の事後、汗ばんだ肌の熱が冷めきらないまま絡み合った視線に二人の青年はどちらともなく唇を重ねる。それは飴のように糸を引く濃厚な口づけではなく、持て余した熱を与え合い、互いにそれを逃すための儀式のような軽いフレンチキスだ。
己の体を肘で支えて、覗き込むようにキスをおとすのは褐色の肌の青年、ディアッカ・エルスマン。逞しい骨格と柔らかな蜂蜜色の癖毛がその肌の色にひどく似合って印象的だ。整った顔立ちの中で少し下がったアメジストの瞳は多くのファンを持つ彼のチャームポイントだったが、今、その瞳に映っているのは枕の上で彼を見上げるただ一人の青年だけだった。
その優しい表情といえば、決して職場の誰もが見たことのない甘さと大人っぽい色気を帯びて、普段の彼のキャラクターからは想像もつかないほどの落ち着きぶりだった。
一方で、その視線を一身に受けているのは御伽噺の姫君のように美しい絹糸の髪を持っている人物だ。名前はイザーク・ジュール。その肌は透き通るようなまっさらな白で、水の流れのような美しい髪は白銀色で、キスを受け止める唇でさえ色素の薄い淡い桜色をしている。だからといって彼を見下ろす青年に比べて見劣りするような華奢な体つきというわけでもなく、モビルスーツを駆って宇宙を駆ける戦士としても超一流の腕を持つ彼は、数々の実践で身に付けたバランスのよい筋肉でメリハリのある体つきをしている。
さすがに少女のように美しい顎のラインは鍛えようもないが、それでも首や肩には青年らしいボリュームの肉厚があって、純白の軍服を纏えば誰もが目も心も奪われる美丈夫になったし、まっすぐに伸びる鎖骨の線と喉頭結節の存在も加えればいくら美しくあっても彼が男であることを表していた。
そのイザークの普段はクールなサファイアの瞳は未だ情事の余韻で潤んで赤く染まり、自分を見下ろす恋人の顔を愛しそうに見つめている。
「ディアッカ…」
交わした熱の勢いのあまり蒸発したかのように掠れて婀娜めいた声で呼ぶと、シーツの波間浮き草のように泳いでいた白い腕を伸ばしてその首に絡めた。引き寄せようと力を込めれば自然と相手は陽光のような笑顔とともに降りてくる。
すぐ、目の前で覗き込む顔に、宝石のような瞳は甘く細められた。
「好きだ」
鼻先で囁く氷砂糖のような声に恋人は炎天下のソフトクリームみたいにその目尻を下げる。
「知ってる」
可笑しそうに笑いながら、額をそっと押しつける。睫毛が触れそうな距離で、アメジストが零れ落ちそうに瞬いた。
「だから、すっごく大事にしてるし」
低く甘い声音とともにディアッカが視線の先で額にかかるプラチナの髪を払うと、イザークはどこか躊躇うようにそっと目を伏せた。水に溶けそうな薄銀の睫毛が小さく震える。
腕を首もとに絡めたまま縋るように近づいて、イザークはその顎を上げた。サラサラと肩の先から銀色の水が束になって滑り落ち、絹糸の輝きがはらはらと羽根枕の上に舞う。
「大事になんてしなくていいから……」
上目遣いで視線を預け、途切れた言葉の先は触れた手のひらで伝える。
強請るように褐色の肌の上をシルクのような白い指先がゆっくりと撫でていく。子猫がじゃれつくかのようにディアッカを真似て、探るような手つきで鍛えられた筋肉質の体躯に触れていけば、その穏やかな呼吸は自然に熱を帯びてきた。
「イザーク…」
操られるように上ずった声は足掻くまでもなく隠しようもない。誘惑には不慣れな不器用な愛撫は、それでも冷めかけた欲を呼び覚ますには十分な刺激となって劣情を誘った。
「もっと……」
ディアッカが肘を折ると、どちらともなく互いの下肢が絡みついてシーツが大きく波を打つ。
こぼれ落ちる吐息の温度はあっけなく、その沸点を超えた。いくつも跳ねるガラス細工の呼気は、シーツの上で踊るように次々と気化して二人を熱で包みこむ。
「いいのかよ、そんなこと言って」
確かめる合間に呼吸は乱れ、
「かまわない」
短い答えはうわ言のようだ。
「めちゃくちゃにしても?」
手首を捉えて聞き返せば、罪を白状するように呟いた。
「おまえなら、」
言葉の最後をかき消すように、噛みつくようなキスで奪う。雪崩落ちそうなシーツを床に蹴り落とし、互いのすべてが湿度の上がった空気に触れた。
「愛してる、から…」
胸の中に抱きしめると、鼓動が滝のように激しく流れてそのリズムが混ざり合った。
「イザーク」
神の前で跪く敬虔な信徒のようにその名を口にしたディアッカは、誓いを立てる騎士のように恋人の瞼に慈しむような唇で触れた。
やがてそれは嵐のようなキスへと変わり、シーツの波間で乱れいく。
――これは、長い夜のプロローグだった。
◆◆◆
「シホってば、寝てんのかよ」
自分を呼ぶ声に気が付いて、シホ・ハーネンフースは一気に現実の世界へと引き戻された。手にしていたコーヒーカップに口を付けるが、その中身はとっくに空っぽだった。
「ぼーっとしてるなよ。午後のミーティング、そろそろ始まるぞ」
「わかってるわよ」
ランチを終えてラウンジで軽く休憩するつもりがいつのまにか随分と時間が経ってしまっていたらしい。
同僚に遅刻を注意されるなど隊のリーダー的な立場にあるシホらしくないことだが、ついうっかり妄想に浸ってしまっていたから仕方がないかもしれなかった。
妄想を始めると時間も場所も関係なくその世界に浸ってしまうのは乙女なら誰だってあることだ。それが楽しければ楽しいほど、時間を忘れてその世界にどっぷりと浸かるのは妄想の最大の醍醐味でもある。
いつもは職場での妄想などあり得ないのだが、シホらしくない事態に陥ったのには理由があった。
あろうことか、敬愛する隊長の首元にキスマークを見つけてしまったのだ。
それも今朝。
出来立てとばかりに赤い痕は襟元から僅かに見えて、隊長の肌が白いだけに非常によく目立っていた。これまで見たことがなかったのは、そもそもそんなものが初めてだったのか、軍服の襟の高さを計算して見えないようにしていたかだと思うが、隊長のことを考えれば前者は考えにくかった。
「やっぱり相手は副長、よね」
これは確かめるまでもない当然の事実といっていい。だって、ほかに相手などいるわけがないのだ。
ディアッカ・エルスマンを除けば自他とも認める隊長マニアなシホが考えても、ディアッカ副長以上に隊長に身近な人間などいないのだから。
そして、そうであるならば、キスマークが初めてだなんてことはどう考えてもあり得なかった。
「それにしたって失態よ」
リユース方式のカップを収集ボックスに投げ込みながらシホは小さな声で呟く。自分が、ではなく、これはディアッカへの苦情だ。キスマークをつけるなら、見えないようにしてくれないと、周りの隊員――というか、自分の士気に関わるというのに。
実はシホはモビルスーツパイロットというハードな職業からは想像もつかないが、ハーレクインが大好きな乙女な一面を持っていた。友人に言わせればパイロットがハーレクイン好きなんて現実逃避が激しすぎるということになるのだが、シホはそんなことはないと思っている。
なぜなら、目の前に王子様コンビが実在してしまっているのだから。
ジュール隊長はもちろん、ディアッカ副長だって平均以上どころかトップクラスの美形だし、それがいつも揃って並んでいるのが日常と化してしまっているのだ。しかもそれが全軍に知られるエリートパイロットである時点で、ハーレクイン的要素はすっかり揃っていると思う。だから、現実逃避としてのレベルでいえばそんなにたいしたことないはずなのだ。密かに乙女チックに楽しんでいる世界は、シホにしてみれば割と身近にあるのだから。
「だけど、リアルすぎるわ、さすがに」
これまで、何度も麗しの隊長でハーレクイン的妄想をしたことはあったが、今回は組み合わせが悪すぎた。ディアッカ副長が相手だと隊長の色気は数倍増しだったけれど、やたらとリアルな気がして湿った空気に触れたみたいな気分だった。
そしていつもなら考えられないことなのだが、妄想から醒めてもしばらくはあれこれのシーンが頭を離れそうもなかった。
「あーもう、これで二度と妄想ができなくなっちゃったじゃない」
せっかく妄想の中だけでもと、密かにあれこれ楽しんでいたのに。
そんな勝手なことをいって、シホは気持ちを切り替えるように足早にラウンジを後にした。
END
2011.7.6
2017/9/18 up