特等席
「急げ」
「え、ちょっ、急げって…なんだよ、イザーク!」

 突然廊下で手を引かれて副官は隊長に引きずられるようになる。軽い重力の空間にその長身が舞い上がり、床から足が浮き上がった。
 理由がわからないまま首を捻りつつもとりあえずはイザークのさせたいようにしてやろうとディアッカはなされるがままになってみた。

「いいかげん、自分で歩け」
「んだよ、引っ張ったのはイザークじゃんか」

 居住エリアを抜けると人目につくからなのかディアッカの手は放されてそういわれた。相変わらず訳がわからないままにも隊長の後についていくしかない。副長が隊長に振り回されるのは今に始まったことじゃなく、部下達はまるで気に留めずに敬礼だけを返してスルーしてくれている。…ありがたいんだか、問題あるんだかディアッカには不明だ。その辺はもう気にしないことにしている。ジュール隊は良くも悪くも隊長あっての部隊なのだ。

「て、ハンガー?」
 
 この先を進むともうモビルスーツのハンガーしかない。
 現在、月基地の近くに駐留しているジュール隊では整備の整ったザクやグフが並んでいる。

「隊長機を出せ」

 壁際のモニターからメカニックにそう命令を下すイザークにディアッカの目は丸くなった。

「なんでモビルスーツ?てか、隊長機って・・・えぇ?」
「お前は着替えろ。言うまでもないがパイロットスーツにだぞ」

 言いながらイザークもロッカーに向かっている。

「はぁっ?戦闘待機でもないし、演習でもないし、てかどうして隊長機だけ指示だしてんの?」

 後を追いながらディアッカが尋ねるがイザークはそれには答えない。長く美しい髪がふわふわと無重力空間に漂っている。
 そして壁際のデジタル表示の時計を見てディアッカはそれに気が付いた。

「ったく、しょうがない隊長だなぁ。公私混同しないんじゃなかったのかよ」

 パイロットスーツのジッパーをあげながらそんな言葉が漏れる。隊長であるイザークは更衣室は別室で今頃は白いスーツを纏っていることだろう。

「で、グフでタンデム?」

 目の前に現れた白い機体を見上げながらディアッカが尋ねるとイザークはヘルメットを被りながら頷いた。

「乗せてやるんだ、おとなしくしてろよ」
「へいへい。後ろ狭いからやなんだよなぁ」
「文句をいうな」

 アンカーを使わずにイザークはコックピットに舞い上がり、ディアッカもそれに従った。隊長という立場になっても未だにイザークに敵うパイロットは見たことがない。彼の操縦は超一流だった。もちろんディアッカも引けを取るつもりはないが、やる気と本気度が違う。

「相変わらずだなぁ」
「なにがだ」
「イザークのセットアップの早さ。アカデミー時代はアスランと競ってたけど、未だにそんな速さでやってんのかよ」

 シートにつくなりキーボードを引き寄せると高速で起動プログラムを立ち上げていく。ディアッカはシートの裏の空間に入り込みながら背後からそれを眺めていた。

「当たり前だ。モビルスーツの出動は戦闘が前提だ。こんなものに時間なんて掛けられるわけないだろうが。一刻を争うんだぞ」

 それにしたってイザークの指はどんな動きをしているんだかと思う。そんなことを思っているうちにセットアップは完了し、コックピットのハッチが閉じた。

「CIC、カタパルトへ誘導を。ジュール機、出るぞ」
『了解です。隊長副長、ごゆっくり』

 スピーカーから思わぬ言葉が聞こえてきてイザークは顔を真っ赤にした。ディアッカは吹き出している。

「お前ら…!」
「おぉ、サンキュー。ちょっと留守にするけど頼むな!」
『了解です、副長』

 にっこりと。画面の向こうでオペレーターが笑っている。イザークが何をしようとしているかなんてもうこの隊には筒抜けなのだろう。おそらくは、彼らは彼らで明日の準備をしているのだろうから。

「行くぞ!」

 イザークが笑いを振り切るようにブーストペダルを踏み込んだ。強いGが掛かってディアッカの体がコックピットの壁に押し付けられる。

 重力負荷から解放されてグフが宇宙に舞うように進む。その行き先はディアッカの思ったとおりの場所だった。
 やがてコックピットの画面いっぱいに青い地球が映りこむ。

「時間だな」

 レバーを握り締めていた手を放すとイザークはそう言った。デジタルの画面には日付が変わったことを示す数字が並んでいる。
 イザークは通信が切れていることを確認するとヘルメットを外した。美しい髪がふわふわと舞う。戦闘中でもないのだから息苦しいヘルメットは脱いでも問題はないだろう。ディアッカもそれに倣った。

「ったく、いつからイザークはこんなになったのかね」
「こんな?」
「モビルスーツを私的に使うなんてことだよ」

 だがディアッカの顔は満面の笑顔だ。

「私的使用じゃないぞ。不具合の確認のためだ」

 苦し紛れに言うイザークにディアッカはますます笑いが収まらない。

「へぇ。どんな不具合だよ」
「うちの大事な副長のメンタルケアだ」

 目を丸く見開いたディアッカにイザークは得意な顔になった。

「最近、疲れてただろ、お前。だからせめて誕生日くらいはって思ってな、気分転換に地球を見せてやろうと思ったんだ」
「隊長機のタンデムなんてすっごいサービスだな」

 考えてみたらそれほどあるわけでもないシチュエーションだった。二人とも優秀なパイロットであり、それぞれが小隊を率いる陣形を取ることが多かったからそもそも同じポジションにいることも少ないのだ。ましてやコクピットに同乗するなんてそうそうあるわけではない。
 
「満足したか?」

 見上げてくるイザークにディアッカは唇の端をあげて笑う。

「キスでもあれば完璧なんだけどね」

 そういうとディアッカの顎は引き寄せられた。唇は柔らかく押し付けられる。

「最初からそのつもりだ。何のために同乗してると思ってる」

 あっさりとそんなことを言われてディアッカは今度こそ本当に目を見開いた。

「これ、別人とか言わないよな?」
「は?何を馬鹿なこと言ってるんだ」
「だよなぁ。こんな美人が他にいたら大変だ」

 クックッと腹を抱えたディアッカの腕を強く引いてイザークはその頬に手のひらを伸ばした。

「次の休みには地球に降りるか?」
「いいね、海行きたいなぁ。けど休暇ってまだまだ先だよな」

 現実を思い出したディアッカにイザークはシートから浮き上がってその隣に並ぶ。狭いコックピットはそれだけで身動きが取れなくなってしまう。

「それまではこの風景で我慢をしておけ」
「だよね」
「特等席だぞ、文句言うな」
「隊長シートが?それともイザークの隣が?」

 それに答えはなかったが、ディアッカはゆっくりと目を閉じる。イザークがその腕を伸ばして抱きしめながらキスをするのがわかったから。

「HappyBirthday、ディアッカ」

 耳元で聞こえた声に甘いキスが重なった。

 背後には青い地球がまるでイザークの瞳のように美しく輝いていた。






2008.3.29