アプリリウス市の郊外にある住宅。
　その家のリビングでは、今朝もいつもと同じようにコーヒーがこぽこぽと音を立てて沸いていた。
　一般的な機械式ではなく、アナログでいい味を出す、サイフォン式のものだった。
　この家の住人、ディアッカ・エルスマンは、シャツのボタンをかけながら、壁面に埋め込まれた通信モニターを覗き込んでいる。
「じゃぁ、来週は地球か。長くなるのか？」
「そんなに長くはならないと思いますけど、交渉の進展具合にもよると思います。最低で３，４日は必要かと」
　モニターの向こうでは、彼の主席秘書のユウ・ハイマンドが生真面目に答えていた。
「３，４日ね。ってことは5日はかかるな。…その後の予定は？」
　なにやら考えながら、ディアッカは促す。
「プラントに戻れば、それなりにありますが、とりあえずは交渉会議さえ終われば、特には・・・」
　ディアッカとの付き合いが長くなるユウは、彼の質問の意図を察して答える。
「なら、そのあと休暇を入れても平気なんだな？」
「はい。そういうと思って、あけてありますよ。地球行きですから」
　言ってユウは苦笑まじりに答える。
　評議員と秘書の会話には程遠い砕けた口調。
　それはディアッカの人柄のせいもあるが、彼との出会いが少年時代であったということにもよる。
「さすが、上出来」
　その答えに満足しながら、ディアッカは通信を切った。
　そこへ、二階から階段を降りてきた人物が姿を現した。寝巻きの上にシルクのガウンを羽織っている。朝じゃなければディアッカが黙ってはいられないほど、色香を感じさせる姿だった。
「早いな」
　ディアッカは軽い驚きを口にする。その人物が自分の出発前に起きてくるなんて珍しいことだった。研究職に身をおく同居人は夜遅くまで調べ物だの執筆だのをしていて、いつもはたいてい昼近くに起きているらしい。らしいというのは、自分は出かけているから 確認したことはないからだ。
「ああ…」
　それでも眠たげにしている同居人を軽く抱き寄せると頬にキスをする。された方は、ボーっとする頭を起こすように揺らして、銀の髪がきらきらと朝日の中に煌いた。
「早起きにいいニュースがあるぜ。来週、地球に行かないか？」
「地球？」
　出来たてのコーヒーを同居人の分もカップに注ぎながらテーブルに置く。その上にはすでにコンチネンタル風の朝食がならべられている。
　もちろんディアッカのお手製だ。
「そ、地球。お前、オーストラリアに行きたいって言ってただろ？　アボリジニ、だっけ？その原住民地にさ」
「それはそうだが、なんで急に」
　言いながら席に着き、手元のパネルでミュージックサーバーからクラシックを選曲する。朝にふさわしいゆったりとしたフルートの曲が流れる。
「来週、地球に行って交渉会議があるんだ。だからさ」
「しかし」
　ためらいがちに言う様子に、ディアッカはコーヒーを飲みながら続ける。
「ま、お前の予定もあるだろうから、無理にとは言わないけどさ。オレはそのあと休暇とるつもりだからちょうどいいかと思って」
「休暇？」
　それがどういうことを意味するのか同居人は理解していた。最近は忙しくて滅多に長い休みが取れなくなっていたから、地球行きに合わせたということだろう。
「研究職は時間の自由が利く。だから予定というのはないが」
「じゃあ決まりだな？」
　目の前の男の笑顔は何年立ってもすがすがしい。その顔を曇らせたくはないと思って、締め切りが近い論文の存在は切り捨てる。
「そうだな、たまにはお前と旅行もいいかもしれん」
「なら、シャトルはプライベートにするようユウに言っておくよ」
「ああ、そのほうがいい」
　プライベートシャトルの運行許可を取るのは面倒な手続きだから、ディアッカが一人で地球に行くという程度であれば一般の要人用シャトルを使うことがほとんどだったが、二人での旅行となれば話は別だ。面倒な手続きをさせられるユウの 苦笑交じりの顔を思い浮かべながら、あいつにもそのうちまとまった休暇をやろうとディアッカは算段した。
「今夜は遅いのか？」
　銀の髪をかきあげながら細身の青年は聞いてきた。
「いや、特に問題なければ遅くはないけど」
「なら、買い物に付き合え」
　博士号を取得し、カレッジの研究職についている人物は、以前に比べればだいぶ人嫌いは治ってはいたが、それでも人の多い場所は苦手で、自分からすすんで街に出ることは滅多になかった。
「めずらしいな、お前が買い物？」
「…おまえのな」
　言ってコーヒーを口にする。
「え？」
「誕生日だろう、あさって。時間が取れるのが今夜くらいしかないからと思ったんだが」
　だから、早起きしたのだ、とその目は語っている。
「そっか、忘れてた。覚えててくれたんだ」
　わざわざ早起きしなくても連絡のとりようなどいくらでもあるというのに。
　彼は変なところでまじめだから、同じ家に住んでいるのに、約束を取り付けるのに直接言わないで済ますということに抵抗を感じているようだった。前にもなんどかそう言った場面があって聞いてみたら、
「同じ家に住んでいるのに、必要な会話すらしないなんて不自然だ」そういう答えが返ってきたのだ。
　笑うその紫の目には甘い色が浮かんでいる。そこに映る自分の髪の色を見つめながら、テーブルの向かいの青年は昔と変わらず尊大に答える。
「当たり前だ。そんなことを覚えていられないほど落ちぶれてはいない」
「はいはい。じゃぁ今夜は久しぶりにデートか」
　嬉しげに言う評議員もまた昔と変わらない無邪気な笑みを浮かべている。デートという単語に軽い拒絶反応を示しながら、ほっそりとした指先でフルーツをつまみあげて青年は訂正した。
「買い物だ」
　その言い方にディアッカは軽い笑みをこぼす。いちいち生真面目なんだからな、と。
「ああ、買い物ね」
　二人で出かければ買い物だろうが、観劇だろうがそれはデートというのだが。
　一緒に暮らし始めてずいぶんと時間がたつというのに。
　自分たちが恋人同士であるという事実は、二人をよく知る周囲ではすでに公認だったが、その認知度からしても、ただ一人認めようとしていない人物が当の本人であるという皮肉にディアッカはすでにあきれているが、 その頑固さが彼が彼たるゆえんなのだから、とまたいとおしさも感じているのだった。
「で、何を買ってくれるわけ？」
　テーブルに埋め込まれたパネルとモニターで朝のニュースをチェックしながらディアッカは聞いた。
「お前は何が欲しい？」
　まじめな顔で聞いてくる。
「そりゃー決まってるでしょ」
　お前のことだよ、とは最後まで言わない。けれど当然その意図は相手に伝わっているから、目の前の青年の顔には軽く不機嫌の相が現れる。
「下らんことをいうと、別の予定を入れるからな」
「っ、なんだよそれ。言ってないだろ、何も」
　およそプラントの政治を預かる評議員の言動とは程遠い。数年前から変わらない二人だけの会話のトーン。
　立派な身支度を整えながら、まったく変わらない金髪の青年の様子に同居人はくすりと笑った。
「特に考えてはいないんだ。お前が何か欲しいものがあればと思ってな。だから今夜時間を作れ」
　軽い命令。
　でもそれはお願い。忙しい彼に自分のために時間を作ってほしい、と。
「じゃあ、時間はたっぷりあったほうがいいよな。よしっ、適当に切り上げるようにユウに頼むか」
「お前はすっかりユウ頼みだな。彼は大丈夫なのか」
　プライベートにも仲のよいユウ・ハイマンドとは同居人も知己の仲だった。彼のほうもこの気難しい青年と珍しく気があって慕っているほどだ。
「あいつは優秀だから、大丈夫だよ。それに地球から帰ったら、まとまった休暇でもやるよ」
「それがいい。ところで地球での交渉には奴はくるのか」
　奴の一言で相手の名前は出さない。昔ほどではないとはいえ、やはり彼の本質は変わっていないなとディアッカは笑う。
「奴、ね。そりゃ来るでしょ。いまや夫人に代わってオーブの代表だし。けど、その分オレはやりやすいから助かるよ。
手ごわくはあるけど、相手のことを解ってるのとそうじゃないのとじゃ全然違うからな。なんてったって元隊長だし」
　言って二人で笑う。自分たちが褒められた隊員ではなかったということを今更ながら思いだして。
　一時期の限定とはいえ自分たちの上官であった事実は今では笑い話にできるようになっていた。
「では、俺も会えるよう手配してくれ」
「なんでまた？」
　意外な申し出にディアッカは驚く。自分からあいつに会いたがるとは思ってもいなかったから。
「夫人が懐妊してから挨拶してないだろう。たまに行く地球だ。それくらいの礼はつくさないとな」
　すっかり忘れていたことを指摘された。その知らせは自分宛に来たもので、同居人には話をした程度だったのだが、当の本人より覚えているあたりはさすがだ。それともあの姫から個人的に連絡が来ていたのかもしれないが。
「そっか。まだ生まれないよな？ついでにお祝いでも持っていく？」
「生まれてはないだろうが。それもいいかもしれんな」
「しっかし。あのお転婆が母親かよ。世も末だな」
　言ってリビングのサイドボードに並べられた写真立てを振り返る。そこには終戦直後にクサナギやエターナル、AAのクルーたちとディアッカが収まった写真があった。
「ふん、お前が評議員をしてるのだって同じようなものだ」
「ひでーな。お前だって一時期してただろう」
　ぶーぶー言いながら朝食をきれいに片付けた。銀髪の青年はまだ食欲はないらしく、適当にフルーツをつまんだだけだった。
「ちゃんと食べろよ。お前細いんだから」
「またあとで食べるさ。もう一眠りしてからな」
　眠気を誇示するように緩やかに伸びをする。その姿は気品高い猫のようにしなやかでつややかだった。席を立ったディアッカは思わず抱き寄せてキスを降らせる。
　しばしそれに酔っていた同居人はふとリビングのデジタル表示の時計に眼をやった。
「おい、時間じゃないか」
　言われると同時にインタフォンが迎えの到着を告げる。
　ばたばたと玄関に向かって歩きながら、ディアッカは必要なものを身につけていく。そのあとについて歩きながら、青年は見送りをする。
「じゃぁ今夜は19時にいつものとこでな」
　言いながら、抱き寄せてしばしの別れにキスをする。
「気をつけろよ」
　告げられる言葉。
　VIPの彼の警備は完璧だから、そんな心配は無用で、どちらかというと今は私人となった本人のほうが気をつける必要があるのだけれど。
　それでも、本当に危険と隣り合わせの戦場に赴くときは、あまりに切実で決していえなかったセリフ。
　それがいま穏やかな朝の光の中で愛する人が自分のために言うことが出来るという現実。
　そのシアワセをかみしめるようにディアッカはもう一度、銀の髪をさらうように抱き寄せて恋人にキスをした。
「行って来るよ。イザーク」
　扉の向こうに消える背中を見つめながら、イザーク・ジュールはあくびをすると、コイビトとの地球行きの時間を作るために、二度寝の予定を変更して論文の執筆に取り掛かるべく書斎へと向かうのだった。




END


2005/1/6